アーレント政治思想集成 1――組織的な罪と普遍的な責任

制作 : ジェローム・コーン 
  • みすず書房 (2002年10月22日発売)
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感想 : 3
5

"1994年にまとめられたアーレントの遺稿集。

「政治思想集成」とあるが、原題は“Essays in Understanding 1930~1954""ということで、アーレントの活動の全期間を扱っている訳ではなく、ユダヤ人問題についてのエッセイは、別にまとめられている。というわけで、タイトルからイメージされるように、これでアーレントの全貌が明らかになるというわけではない。

アーレントの政治社会にかんするいわゆる主著「全体主義の起源」をまだ読んでいないのに、この本を先に読むのは、どうかな?と思ったのだけど、1965年のインタビュー記事「何が残った?母語が残った」が冒頭に収録されていて、この記事がアーレント入門に一番いい、という説もあるみたいなので、読んでみた。

2巻に分かれていて、全部で、41編、600ページを超える大著だが、「何が残った?母語が残った」をはじめとして、全体として、結構、読みやすい。(まあ、アーレントもかなり読み慣れてきたせいもあるけど)

アーレントのいわゆる主著は、客観的な記述をベースとしながらも、皮肉や反語、さまざまな古典からの縦横無尽の引用などで、複雑で、難解なものになっているのに対して、無名時代のエッセイは、テーマが明確で、一般(?)の読者にも、できるだけ分かり易く書こうみたいな感じがあって、なんだか素直で、愛(?)があるな〜、と思う。

一方、「全体主義の起源」発表後のエッセイは、「全体主義」問題のエキスパート(!)みたいな貫禄というか、迫力がある。といっても難解ではなく、「主著」より意図が明確だったり、違う角度から問題に迫ったりしていて、アーレントの考え方が、立体的に浮かび上がる感じである。

内容的には、「全体主義の起源」につながる、あるいはそれを補う論考が中心であるが、のちに「人間の条件」や「革命について」につながって行く論考もたくさん含まれている。とくに、「実存哲学とはなにか」「フランス実存主義」「ハイデカー狐」「近年のヨーロッパ哲学思想における政治への関心」などの論考の明確さと冴えは、ハイデカーやヤスパースの直弟子アーレントの面目躍如という感じ。

もちろん、「全体主義」関係の論考のクオリティは極めて高い。よくぞ、この時点で、ここまで見通せていたんだなと、慧眼に驚く。

アーレントは、63年の「イェルサレムのアイヒマン」で、普通の人間が淡々と想像を絶する悪をなし得るという「悪の陳腐さ」を発見したとされるが、戦時中、戦争直後の論考で、すでに、ナチスの幹部が基本的には普通の家庭人であること、常識人、組織人であることを指摘している。

53~54年くらいに書かれた「人類とテロル」、「理解と政治」、「全体主義の本性について」、「エリック・フェーゲンへの返答」といった論考が、この論文集の白眉かな?

「全体主義」という経験を過去の知識の連続として説明するのではなく、今、起きている全く新しい経験として、手探りながら、理解への努力を続けて行こうという姿勢が感動的ですらある。そして、それは1人で完結することではなく、他者とのコミュニケーションのなかで、生まれでてくるプロセスなのだ。

「理解することは、正しい情報や科学的知識を持つこととは違い、曖昧さのない成果を決して生み出す事のない複雑な過程である。それは、それによって、絶え間ない変化や変動のなかで私たちがリアリティと折り合い、それと和解しようとする、すなわち世界のなかで安らおうとする終わりのない活動なのである」(理解と政治)

そう、原題の""Essays in Understanding""は、「理解しようとする試み」と直訳的に理解すべきなのだ。"

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2017年4月30日
読了日 : 2017年3月7日
本棚登録日 : 2017年4月30日

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