立花式読書論、読書術、書斎術 ぼくはこんな本を読んできた (文春文庫 た 5-8)

著者 :
  • 文藝春秋 (1999年3月10日発売)
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本棚登録 : 1262
感想 : 98
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絶望した!
僕がこれから読もうと思っている文学作品のほとんどを小学生から中学生の間に読んでしまっている立花隆氏の化け物ぶりに絶望した!

独学のための本の探し方は非常に参考になりました。
ジャーナリストという様々な分野のことについて調べて書くことを仕事にしている人の言葉なので説得力があります。
実際に大型書店に行って本棚を見て回りたくなります。

妹尾河童氏が書いたネコビルの話は去年の秋に東京に行ったときにビルの外観をチラッと見ていたのでイメージしやすかったです。

本の読み方については松岡正剛氏とのスタンスの違いが面白いなと思いました。
例えば立花氏は「人が薦める本を読んで良かったことなどない」と言い切っていますが、松岡氏は『多読術』の中で「薦められた本を読むというのはとても気持ちがいいものだ」という風に言っています。
書評についても立花氏は「本の内容についてだけ教えてくれれば良いのであって、評者の個人的な経験など聞きたくない」と言っていますが、松岡氏の「千夜千冊」はあえてその本にまつわる自身の経験や思い出を語るようにしています。
両者の違いは立花氏が読書を情報を得るための手段という観点から語っているのに対して、松岡氏の場合は読書をもっと生活に密着した、自己の成長や他者とのコミュニケーションの手段として語っているところから生じているのだと思います。
僕の中でいまいち曖昧だったこうした目的の違いによる読書法の区別が松岡氏と立花氏の本を続けて読んだことで、自分なりに明確にすることができたのは大きな収穫です。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 文庫
感想投稿日 : 2010年2月1日
読了日 : 2010年1月31日
本棚登録日 : 2010年1月31日

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コメント 4件

gakishiさんのコメント
2010/02/01

ふむ。僕はどちらの著作も読んだことがないけど、スタンスとしては松岡正剛氏のほうに近いみたいだな。他人から薦められた本を読むかどうかって箇所は置いておいて、書評についてとくにそう感じます。
「本の内容だけ教えてくれれば」といったって、人づてに聞く知識に伝達者側のフィルターがかからないことなんてありえないわけで、それならいっそ、そのフィルターをはじめから認めたうえで、なぜそのフィルターがそういう形をしているのか、という部分から把握したほうが、すくなくとも妙な誤解はうまないと思うわけです。だから僕の場合は、読書によって情報を得、ときにはコミュニケーションの手段として用い、その結果として「コミュニケーションの相手自身についても把握する」というみっつめの目的が入ってくるように思いますね。もちろんこんなのは理念にすぎなくて、実践できているという自信はないのですが。

まーろうさんのコメント
2010/02/01

立花隆『ぼくはこんな本を読んできた』P.205~
>この欄(※週刊文春の「私の読書日記」という連載で、立花氏も含めた五人のメンバーによって持ち回りで書かれた)に限らず、週刊誌や新聞の読書欄に私が求めるのは、いま書店の店頭にある新刊書で何が面白いか、何が読む価値があるかという情報であって、それ以上のものではない。だから、「読書日記」で、読書にかこつけて身辺雑記的なことが書いてあるとすぐにイライラして、「そんなことはどうでもいいから、早く本を紹介して、本を」とつぶやきながら、飛ばし読みで本のタイトルのところだけ拾い読みしていた。
>中略
>私に必要なのは、その本を手にとって見る価値があるかどうかの情報である。買うか買わないかは、自分が手にとってから判断するから最小限の情報でいいのである。こういう観点からすると、かねて一般の書評は書きすぎだと思っていた。

まーろうさんのコメント
2010/02/01

松岡正剛『多読術』P.13~
>読書って二度する方がいいんです。同じ本をね。というのは、読書にはその本のこととはべつに、いつ読んだのか、どんな気分で、どんな感受性のときに読んだのかということが、密接にかかわっている。道中がくっついている。宿泊先の枕の感触もくっついてる。読んだ本の感想を書くには、このことを無視できない。
>中略
>だから、その本を現在時点でも読んでみるようにした。再読です。まあ、昔のソースせんべいやタマゴ焼きと同じ味だったか確かめるわけですよ。そうすると、たいていはそこには「開き」がある。(中略)まったく印象が違っていたということは、しょっちゅうある。けれども、その「開き」こそはたいへん重要なもので、ぼくの経験では読書の本質にかかわるようなことが少なくない。さっきの時間と空間をまたぐ視線が大事であったことにも気がつかされる。

まーろうさんのコメント
2010/02/01

本当はもっと長く原文を引用しようと思ったんですけど、エラーが出てコメントできませんでした。
ブクログはこういうところが糞ですね。
「ある本を題材として他者とコミュニケーションする」という場合でも松岡氏は知人や友人と本を介在した会話ができることの面白さを語っていますが、立花氏にとってはその分野の専門家に取材するという状況がまさにコミュニケーションの現場ですから、その人たちとまともに話すために相当の情報を効率良く集める必要があるんですよね。
僕の場合、これまで読書というのは自己の精神修養、思考方法の習得という主観的な目的で行うのがほとんどでした。
最近はそれに加えて専門分野の知識習得という客観的な目的としての読書の必要性を感じるようになりました。
他者とのコミュニケーションという意味での読書の面白さを知ることが出来たのは喫茶店でのgakishiさんやゆきおさんとの会話のおかげです。

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