上級国民/下級国民 (小学館新書) (小学館新書 た 26-1)

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  • 小学館 (2019年8月1日発売)
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基本的にはこれまで橘さんが述べてきたことと同じ。現代の社会変化は「知識社会化・リベラル化・グローバル化」という巨大な潮流のなかにいることによって起こっているということ。知識社会では、ひとびとは「知能」によって分断されるということ。リベラルな社会では努力によって変えられないことによる差別はいけないことだが、努力すればできるとみなされていることができないことは自己責任となること。つまり知能が足りないことは自己責任であり、そういう競争がグローバルな世界で行われていることで、上級国民と下級国民が分断されているというのが現実であるということ。白人であるとか、日本人であることにしかアイデンティティを保てない人は、他者に攻撃的であり、いわゆるネトウヨなどになってしまうということみたいです。これはこれで結構残酷な話なのだけど、もっと残酷なのは、次の一文。

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「経済格差」がなくなれば、その根底にある「性愛の格差」がよりはっきりと姿を現わすことになるでしょう。それはおそらく、いまよりもっとグロテスクに「分断」された社会にちがいありません。

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非モテは本当に厳しい世の中になりそうです。

[note]

・平成の日本の労働市場では、若者(とりわけ男性)の雇用を破壊することで中高年(団塊の世代)の雇用が守られたのです。

・「生産性の高い製造業が海外の市場や安価な労働を求めて海外移転を進めたこと」と、「大企業が国内において、おそらく労働コストの削減を求めて、生産の拡大を子会社に担わせ企業内ではリストラを進めたこと」を挙げています。

・日本では、報酬の高い産業(製造業)から低い産業(サービス業)へと一貫して労働力が移動したため、これによって市場経済の実質付加価値を6% 減少させたと深尾さんは試算しています。

・日本経済の問題はITへの投資額が少ないことではなく、投資の成果が出ないことです。

・日本では、雇用対策を優先したため、社員の仕事を減らすような業務のアウトソースができず、子会社や系列会社をつくって社内の余剰人員を移動させるという対応がしばしば行なわれてきました。しかしこれでは、個別の企業にとっては労働コストの削減にはなりますが、経済全体の生産性上昇にはつながりません。

・日本では、ITの導入が組織の合理化や労働者の技術形成をもたらさず、割高な導入コストや、異なったソフトウェアを導入した企業間の情報交換の停滞も相まって、生産性の停滞を引き起こしたというのです。

・日本では、逆に会社間の差が広がっているのです。

・平成が「団塊の世代の雇用(正社員の既得権)を守る」ための 30 年だったとするならば、令和の前半は「団塊の世代の年金を守る」ための 20 年になる以外にありません。

・社会がリベラルになればなるほど、何歳になっても働いて納税したり、リタイアしてからも健康の許すかぎり地域のボランティアに参加するなど、「自分はこうやって社会に貢献している」とアピールしなければなりません。

・(オランダでは)生活保護の受給者は、職業紹介所から斡旋された仕事が「一般的に受け入れられている労働」であるかぎり、これを拒むことができないのです

・知識社会における経済格差とは、「知能の格差」の別の名前でしかありません。

・ポピュリズムとは「下級国民による知識社会への抵抗運動」 だからです。

・貧しいひとびとの「経済合理的」な行動によって、裕福な国のベーシックインカムは確実に破綻するのです。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 社会
感想投稿日 : 2019年9月1日
読了日 : 2019年8月8日
本棚登録日 : 2019年9月1日

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