失われた時を求めて (5) (ちくま文庫)

  • 筑摩書房 (1993年1月1日発売)
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感想 : 6
5

マルセル・プルーストは、1922年に死去。遺稿がまとめられ、『囚われの女は』作者の死後一年経ってから刊行された。

物語は四篇からの続きになる。
アルベルチーヌとの別れを決意をした語り手は、アルベルチーヌに同性愛の疑いがあることを知って、バルベックから彼女を連れてパリの自宅に戻り、同棲をはじめる。

当時のフランス社会において、結婚しない男女が男性の自宅に住むということが、どのような意味あいを持つのかよくわからないが、父親の書斎を彼女の部屋にするという大胆さに驚く。

しかし、冒頭から何度も語られるのは、語り手は、アルベルチーヌには愛情はなく、彼女に対する嫉妬のために自分の監視下に置き、彼女を囚われの女にしているのである。

囚われの女というと、なんとなく映画の「ガス燈」を思い出すのだが、アルベルチーヌは、イングリッド・バーグマンのようにシャルル・ボワイエを盲信しているわけでなく、語り手のお金で贅沢をし、嘘もつきつつ、外でもよろしくやっている。

男女間の嫉妬心というのは、相手のことが好きであるという感情がないと存在しないものかと思っていたが、通常概念は捨て去り、アルベルチーヌが、同性愛に走らないよう呪縛することで精神安定をみる語り手の回想に読者はつきあう。

この巻にきて、語り手の名前が「マルセル」であることがはじめて明かされる。
プルーストが推敲し出稿したなら、名前のことに関してはもしかして違う結果になったかもしれないと推測する。

一方、他の登場人物はどうなったかというと、シャルリュス氏は、相変わらずモレルにお熱で、同じく同性愛の相手の元チョッキ職人のジュピアンの姪とモレルの結婚を望んでいる。
しかし、モレルは、ジュピアンの姪に下品な言葉を浴びせ、二人の結婚はなくなってしまう。

かつて、語り手の憧憬の作家であったベルゴットは、フェルメールの展覧会に出かけ(プルーストも死の前年にフェルメール展に出かけ、気分不良になり、その時の経験がこの場面に挿入されたらしい)、≪デルフトの眺望≫の黄色い小さな壁面を見ながら倒れ死んでしまう。

語り手は、ヴェルデュラン家のサロンに久しぶりにひとりで出かけるが、スワンとオデットが出会った家から今はコンチ河岸のそばに移されている。

半盲のブリショとの語らいで知るスワンの死。
スワンの容態が思わしくないのは頻繁に語られていたが、スワンの死は語り手に悲しみとショックを与えただけでなく、我々読者にも時の流れを意識させる喪失感がある。

ヴェルデュラン家のその夜の夜会は、シャルリュス氏主催のもので、モレルの指揮するヴァントゥイユの七重奏を聴く。
シャルリュス氏の口からオデットの男性遍歴やゲルマント大大公も同性愛者であることなどが語られるが、性倒錯についてのプルーストの思いを垣間見る思いがする。

この夜会で、シャルリュス氏は、モレルに捨てられ、そののち、彼は風邪をこじらせて肺炎になり生死の境を彷徨った。

プルーストの遺稿の出版を急いだためか、死んだことになってるサニエットがのちにまた登場したり、同じく死んだことになったコタールが夜会に登場したりと矛盾がみられる。

アルベルチーヌと語り手は、ドストエフスキーのことなどを語らうが、彼女との同棲生活は、自分が嫉妬していない時は退屈でしかなく、自分が嫉妬している時は、苦しみでしかなく、その間に幸せな時があるとしても長続きはしないと悟り、ヴェネツィアへの憧憬を増してゆく。

アルベルチーヌの占有にも飽き、ヴェネツィア行きを決めた語り手は、女中のフランソワーズに旅行案内書と時刻表を買いに行くために呼びつけた。
そして、フランソワーズから、アルベルチーヌが邸をひとりで発ったことを聞き、蒼白になるのだった。

「囚われの女」は、どうも性的傾向の相違と言おうか、語り手の倒錯した妬心にしても、シャルリュスの老執にも似たモレルへののぼせあがりや、モレルのランボーさえも顔負けの奔放さ(モレルは縦横無尽のお調子者なのでランボーとは全くキャラが違う)など、感情移入ができにくい感があった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2012年8月25日
読了日 : -
本棚登録日 : 2011年10月1日

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