燃えつきた地図 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (1980年1月29日発売)
3.58
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感想 : 107
5

ハードボイルド小説だ。或いはノワール小説的でもある。

ハードボイルドやノワールという物語の成立には都市という舞台は必要不可欠だ。

田園風景の中で、誰もが誰もの家族たりうる社会でハードボイルドもないだろう。

この物語も等しく、都市が舞台であって、さらに、拡大してゆく最中の都市とも言える。

この舞台装置はまったくノワール的と言ったら研究者には笑われてしまうだろうか。

都市において人や事物、そしてそれらに与えられた役割は完全に匿名的で交換可能な価値を持つ。

だからこそ、都市の機能は平等公平で自由である。
しかし、その内実は孤独で冷酷で不平等でもある。

P.293『「ほら、あんなに沢山の人間が、たえまなく何処かに向かって、歩いて行くでしょう・・・みんな、それぞれ、何かしら目的を持っているんだ・・・ものすごい数の目的ですよね・・・くよくよつまらないことを考えていたら、取り残されてしまうぞ。みんながああして、休みもせずに歩き続けているのに、もしも自分に目的がなくなって、他人が歩くのを見ているだけの立場に置かれたりしたら、どうするつもりなんだ・・そう思っただけで、足元がすくんでしまう。なんだか、詫びしい、悲しい気持ちになって・・・どんなつまらない目的のためでもいい、とにかく歩いていられるのは幸福なんだってことを、しみじみと感じちゃうんだな・・・」』

周囲に取り残されてしまうのではないかという恐怖、疎外感と、それを感じさせないための様々な装置、それは自販機だけの飲み屋、バー、屋台やカフェーだ。

しかし、脆弱な人間にこの都市は疎外感、嫉妬を感じさせ、自己愛を傷つける。

Pp313-314『「・・まるで自分が見捨てられてしまったような・・すこし違うな・・ひがみというか・・人生の、とても素晴らしいことが、僕にだけ内緒で、僕だけが、のけものにされて・・」』

疎外感、孤独感は、なにもある個人が脆弱であるからだけでは無く、都市という機能が人をそう感じさせるようだ。

P.353 『「自分が、本当に自分で思っているような具合に、存在しているのかどうか・・それを証明してくれるのは、他人なんだが、その他人が、誰一人ふりむいてくれないというので・・」』

この物語の核心は不明瞭だが、人が都市のなかで「蒸発」する現象として、解離性遁走もあげられる。

記憶が入れ替わり、全く新しい人生をはじめてしまう。

解離性障害の一病態だ。

およそ匿名的で交換可能な都市社会、近代社会においては、失踪し、新しい人生をはじめてしまうということも実はそれほど困難ではなかったのかもしれない。

そして、都市の日常における孤独からの逃避、いや、個人が個人であるための防衛として、遁走は有効な防衛機制だったのかもしれない。

しかし、現代ではどうか。

スマートフォン、SNS、マイナンバー、銀行口座・・

給与も銀行振り込み、納税記録、年金など高度な紐付けがなされている。

そこへきて住民基本台帳(もはや死語だろうが税金の無駄だった)が導入され、マイナンバー制度(最悪なネーミングセンスであり税金の無駄になりつつある)も導入された。

全人格「的」労働ではなく、労働を含めたステータス・バロメータが含まれた「人格」が意図しないうちに形成されていく。

Covid-19のさなかにあって、銀行口座も紐付けられようとしている。

この2020年にあって失踪はかなり困難であって、さらにいえば公私の境界は曖昧だ。

それどころか常に他者のオピニオンが自己に入り込み、もはや対人境界まで曖昧になっているのではないか。

自分の意見は誰かの意見でしかないのではないか。

このアヴァンギャルドな小説を読み、モダン・ポストモダン社会との相違に思いが交錯する。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2020年6月10日
読了日 : 2020年6月6日
本棚登録日 : 2020年5月24日

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