38人の沈黙する目撃者 キティ・ジェノヴィーズ事件の真相

  • 青土社 (2011年5月25日発売)
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感想 : 10
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社会心理学の教科書には必ずと言っていいほど紹介される(らしい)有名な事件のルポルタージュ。
1964年にアメリカで起こった殺人事件。
深夜に女性が自宅を目前にして殺された。
近隣住民は彼女の悲鳴を聞き、目撃した者さえいたが誰も通報しなかった。
なぜ彼らはなにもしなかったのか。

これは「彼女の事件」について語られた本ではない。
この本で語られるのは、彼女の人生でも彼の人生でも彼らの人生や人格でもない。
個々の事情は社会に衝撃を与えた事象自体とは関係ないから。
ここで考察しようとしているのは社会のアパシーについて。
今だったら無関心やネグレクトと言ったほうが近いかもしれない。

目撃者の行動もさることながら、社会の反応が今に通用し過ぎてぞっとする。
目撃者の名前をさらせと新聞社に投稿する正義の一般人たち、
社会が悪いテレビのせいだ大都会の人間関係がどうのこうのと(取材もせずに)言い切る「識者」たち、
もう終わったことなんだから忘れましょうという近所の(目撃者ではない)人たち。

神話を作ってしまった功罪はあるけれど、著者は「目撃者の行為」ではなく「私たちの行為」を考えようとする。
その状況で自分は動くだろうか、家の下で起こる殺人を無視することと、外国で起きている虐殺を無視することは違うのか。

すごいと思ったのはジャーナリズムのあり方。
たとえばp48、事件発生直後はたいした扱いの記事ではなかったというくだり。
些細な事件に見えるから自分が担当記者だったとしても「警察の談話をそのまま後追いするような」記事を書いただろう、とある。
つまり、警察の談話をそのまま発表するのは、頭を使わないおざなりなものだという認識がある。
(もっとも、タイトルにもある「38人の目撃者」が何もしなかったというのは警察意見を鵜呑みにしたものであるらしい)

事件の性質に関連しない限り「わざわざ」犯人が黒人だとは書かない、ともある。
事件と関係ないプライバシーや条件を重大なものであるかのように扱うことは、事件の性質を捻じ曲げる。
白人から「なぜ黒人が犯人であることを“隠した”のか」と苦情がきても、説明できるだけのポリシーを持っている。

訳者はあとがきで「黒人であることを発表しなかったのは賛否両論あるかもしれない」「新聞時代にはこうした選択もあり得たということだろう」p112と、まったく他人事に書いているけれど、この問題は今だってある。
たとえば事故と無関係な病歴、事件と無関係な国籍、被害と無関係な性関係やオタク趣味を嬉々として書きたてる報道や晒せとあおる言論が今の日本にはたくさんある。
たとえば桶川ストーカー殺人http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4104405019の被害者の服装。
そもそも64年のアメリカなんだからテレビは普及してるし日本でさえカラー放送が始まってる。

ローゼンタールについて語られた序文にも、保守的な当時のタイムズのなかで、ユダヤ系の記者は名前を変えたりイニシャル表記にしたりして出自を隠したとある。
名前で判断されないようにしていた著者について書いてあるのに、肌で判断されないように気を配ることに無頓着なのが信じられない。
この鈍さがものすごく嫌。


著者の思考の深さは素晴らしい。
読むべき本だ。だけど新鮮味はない。
(これはむしろほぼ50年前の社会問題が未だに通用することに驚くべきところだ)
的外れな後書きのおかげもあってもやもやしたものが残る。
当時のニューヨークの通報制度なんかは現在の参考にはならないけれど、歴史としては興味深い。

~夫人、~嬢、ルンペン、ついでに乳母車など、言葉がいちいち古いのは原書の古さを意識したものなんだろうか?

「彼女の話」じゃないのにキャスリーンの顔をあしらった表紙は、「私たちの話」であることに気づかせようとする中身にそぐわない。
知りもしないのになれなれしく「キティ」と呼ぶ報道への疑問が呈されているのに副題が「キティ」なのも気になる。
『魂の叫び』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4916028678で、被害者を親しい人が使わない愛称で呼ぶ報道のエピソードがあったのを思い出した。


著者の意をくんだ形の本で読みたかったな。
読むべき内容なのにおすすめとは言えない本のつくりがすごく残念。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 犯罪・事件・犯罪被害
感想投稿日 : 2013年3月25日
読了日 : 2013年3月24日
本棚登録日 : 2013年3月25日

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