天翔ける (角川文庫)

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  • KADOKAWA (2021年2月25日発売)
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日本経済新聞社小中大
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葉室麟「天翔ける」 福井市
春嶽は旧幕府に続いて新政府でも重職に就いたのである
2021/11/20付日本経済新聞 夕刊
江戸末期から明治維新にかけての激動の時代、幕府と新政府の双方で要職に就いた人物がいた。福井藩の16代藩主、松平春嶽(しゅんがく)である。早くから開国の必要性を理解し、有能な人材を集めて、公議公論によって国の政治を行おうとした。本書は春嶽を通して、幕末から維新に至る歴史を見つめ直した小説だ。

松平春嶽が登城に使った御廊下橋(手前)と山里口御門。小雨の朝、1羽の鳥が飛び立った=目良友樹撮影
松平春嶽が登城に使った御廊下橋(手前)と山里口御門。小雨の朝、1羽の鳥が飛び立った=目良友樹撮影

長い北陸トンネルを抜けると、どしゃ降りだった雨があがった。福井駅を出ると、すぐ近くに徳川家康次男の結城秀康が築いた福井城の本丸跡がある。春嶽は徳川(田安)家に生まれ、11歳で越前松平家を相続し、城の主となった。


城跡に天守閣は現存しないが、親藩大名の城だけあって石垣は立派だ。堀を巡ると、屋根つきの珍しい橋が架かっていた。御廊下橋(おろうかばし)と呼ばれ、春嶽は住居の御座所(ござしょ)から橋を渡り、山里口御門を通って本丸へと向かった。橋は2008年に再建、門も18年に復元され、名所となっている。

春嶽は安政の大獄で藩主を退いたが、再び政治の表舞台に現れ、幕府の大老にあたる政事総裁職を務めた。新政府でも重役にあたる議定などに就いた。重用されたのはなぜか。ヒントを求め、福井市立郷土歴史博物館に向かった。

「春嶽は外様大名を含めた雄藩大名によって幕府を立て直そうと考えていた」。博物館の主幹学芸員で福井県立大学客員教授の角鹿(つのが)尚計(なおかづ)さんは強調する。このため、親藩大名として幕府の上層部とつながる一方で、薩摩藩主の島津斉彬(なりあきら)、土佐藩主の山内容堂ら外様大名にも知己が多かった。時代が大きく動き、幕府の存続が危うくなっても、春嶽は幕府と朝廷を一つの政権にして天皇のもとで議会政治を行う考えだった。「賛同者は幕府側にも朝廷にもいた。明治政府に残るのは当然の流れだった」と角鹿さんはみる。

春嶽は謙虚な人だ。身分を問わず有能な人材を登用し、意見をよく聞いた。世界事情に通じ江戸や京都で活躍しながら安政の大獄で刑死した橋本左内、新政府の五箇条の御誓文の原案を起草した由利公正ら、多くの人材を育てた。坂本龍馬に会い、神戸海軍操練所の建設資金も出した。

博物館には「私には、何の才知に富んだはかりごとも奇抜な考えも無い。常に周りの意見をよく聴いて、よい方向を見出すまでだ」と述べた春嶽の書が展示されている。「春嶽は血を流さずに議論をして新しい時代をつくろうとした。極端に走る危うさが漂う現代に見直されていい」と角鹿さんは考える。

福井市内を歩き、左内公園に行くと、ボランティアが左内の墓所の掃除をしていた。春嶽と春嶽が育てた人材は今も福井の誇りだ。

(兼吉毅)


はむろ・りん(1951~2017) 北九州市生まれ。西南学院大卒。地方紙記者などを経て、2005年「乾山(けんざん)晩愁(ばんしゅう)」で歴史文学賞を受賞し作家デビュー。07年「銀漢の賦」で松本清張賞、12年「蜩(ひぐらし)ノ記」で直木賞、16年「鬼神の如く 黒田叛臣(はんしん)伝」で司馬遼太郎賞。

「天(あま)翔(か)ける」は17年KADOKAWA刊。松平春嶽の半生を描きながら、独自の歴史見解も示している。例えば、徳川慶喜の辞官納地を決めた小御所会議について、西郷隆盛らが短刀で脅す気配を見せ、春嶽や山内容堂ら慶喜擁護派は押し切られたとする説もあるが、「そんな事実はなかった」と断じ、春嶽と容堂は新政府が発足と同時に分裂することを危ぶみ従ったと述べている。(作品の引用は角川文庫)

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感想投稿日 : 2021年11月23日
本棚登録日 : 2021年11月23日

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