民藝に着目することの意味、民藝がなぜ美しいのかを、一貫して高価な芸術品を引き合いに出し二項対立的に書いている。文中で筆者は、千利休などの初代の茶人の民藝の静寂な美に対する理解を引き継ぎ、さらに発展させようという意志を明確にしている。
全体を通して述べられていることは"作為(高価な芸術品)と自然(安価な民藝)の対比"であるが、中でも特に気付かされたことは”民藝の裏には協団、組合がある"ということである。高価な芸術品が個人主義的でいかに独自の美を発展させるかというところに注力している(そしてそれが作為へつながってしまう)のに対し、「共通の目的を支持する相愛の団体が作る民藝」は、買って使う人たちへの信用を第一に考え、用を極めることに注力して無心で大量に生産する。この違いが、民藝を自然のものにするのだという。
現在の工業生産的な大量生産品について言及されていたのも良かった。(ないとモヤモヤするところだった)
商業主義・資本主義的に大量生産されるものは用ではなく利を最優先しており、民藝のもつ”安く大量に作るために削ぎ落とした形”とは異なる、濫造されたものとの結論を出している。
資本主義批判は作品にとどまらず、労働の過程へも及んでいる。筆者は
"よき作は仕事への精進と、創造の自由とを切要します。単なる労働の苦痛から何の美が現れましょうや。今日の如き労働の苦痛は間違った資本制度とその許にある未熟な機械制度とが酵した罪なのです。”と述べている。
また、工藝は個々に進んではならず、"建物からすべての調度に至るまで、綜合がなければならない”という指摘も民藝を語る上で重要であると感じた。アーツアンドクラフツや、利休の茶室からの影響を感じることができる。
無駄を排し、洗練された工程を経てできる民藝を評価することのできる眼を養いたいと思うと同時に、工藝は大道であり、一切の者の世界であるという言葉に、目指すべき道を示唆されたような心強さを覚えた。
- 感想投稿日 : 2020年4月5日
- 読了日 : 2020年4月5日
- 本棚登録日 : 2020年4月5日
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