去年(2019年)がダ・ヴィンチ没後500年だったせいで、記念企画ラッシュだったらしく、ここ半年、再放送も含めてやたらダ・ヴィンチ関連の番組を見ている。
あまりにたくさん見過ぎたせいで、どの番組だったかもはや特定が困難なんだけど、当時の有力者の一人、イザベラ・デステという女性が、ダ・ヴィンチに肖像画を描いてほしくてたまらず、何度も手紙で頼んで、下手に出て、なんとか下描きだけは描いてもらったけど、結局願いが叶うことがなかった、という話を聞いて、この女性に興味を持った。
私はダ・ヴィンチの絵の中では「白貂を抱く貴婦人」が一番好きなんだけれど、イザベラ・デステはその絵をわざわざ所有者に頼んで借り出し(今みたいに宅急便も保険もない時代によ~!とんでもない大騒ぎです)、こういうの描いてほしいのよー!と言ってたと聞いて、なんだか笑ってしまった。
いいねえ。お金持ちな人って。自分の欲望に極めて忠実で。

で、歴史に疎い私も、「イザベラ・デステって、なんか聞き覚えあるなぁ・・・・」といろいろ記憶を遡り、某有名スピリチュアル・ブログ(「なにが見えてる?」)を経て、この本にたどり着いた。

すごくおもしろかった。
この本を児童書に分類するのは、大いなる過ちなんじゃないかと言いたい。本来楽しめるべき年齢の人の手に届くのを阻んでしまうんじゃないか?と余計なお世話なことを考えてしまった。

実は、小学生のころ、一度読んだことがあったのだけれど、その時は「同じ作者の『クローディアの秘密』はおもしろいけど、これはつまんないー!」と思ってました。アホな子供です。この本の真価が全然わからなかった。

久しぶりに歴史ものを読んだけれど、このカニグズバーグさんには「アメリカの司馬遼太郎」との称号を贈りたい。おもしろすぎて途中でやめられなかったよ。曲者たちを実に魅力的に描いている。
「ジョコンダ婦人の肖像」はより文学的な味付けで、まぎれもない傑作だけど、同時収録の「誇り高き王妃」も実におもしろい。
語り手を次々と変えていく物語、私は元々大好きなんだけど、歴史上の人物でその手法を使ったのは初めて読んだ。なかなか興味深い。この王妃、確か「英語の冒険」でも印象的に登場してたなぁ、と思う。

「ジョコンダ婦人~」は導入部でハートをわし掴みにされてしまった。コソ泥としてダ・ヴィンチの手記に登場した少年が、最後の遺書では、感謝の言葉とともに特別に遺産相続人の一人となっている。何があったのか?どういう関係だったのか?って、気になるに決まっている。

クライマックスで、「最後の晩餐」の前でサライとベアトリチェがダ・ヴィンチについて話すシーンは息をのんだ。孤独な二つの魂の別れの場面。不真面目なサライと、心に鎧をまとったベアトリチェの二人がともに素顔を見せる瞬間で、静かな緊張感が圧巻だった。

最後の方のページにイザベラ・デステの肖像画の下描きがあったが、この絵はこの絵でいいなぁ、と思う。私は好きだなぁ。
目と二重顎がなんか良い。
本には載せられていないけど、別の絵「ミラノの貴婦人の肖像」は、ミラノ公のもう一人の若い愛人ともベアトリチェだともいわれている絵だけれど、これも好きです。なんともいえない表情。ダ・ヴィンチはやっぱり肖像画が好きだな、と私は思う。

2020年4月5日

読書状況 読み終わった [2020年4月5日]
カテゴリ 小説(海外)

あー、展開が読めすぎてつまらん、などとナメ切って読んでいたが、最後の方、普通に驚いた。
まさかのスターウォーズ的展開(ルークとレイア姫って意味で)。でも、この結末はあんまり嬉しくなかった。てことで、★2つ。

読み終わったあとで、映画のトレイラーを見たが、ジェイスが「キャメロット」のアーサー王役をやっていたジェイミー・キャンベル・バウアーで、いきなりテンション上がった。モデルっぽい俳優がとても好きなんだよなぁ。手足長くて八頭身で鋭角の顔。
クラリーはじめ、他のキャストも全員、私の脳内イメージとはいい意味でぜんっぜん違っていて、いきなりこの本の印象が良くなった。
最初にトレーラーを見てから読めば良かったと思った。きっと読みながら思い浮かべる画像が全然違ってたと思われる。
残念。
なんだかアニメっぽい髪型のこまっしゃくれた少年をイメージしてたわ・・・。なぜか損した気分。

ファンタジーを読んだ後で、それを映画化したものを見ると、クリエイターの想像力の凄さに(そして自分の想像力のショボさに)いつも本当に驚かされる。自分とのそういう「差」を見せつけられるのって全然悪くない。
あの本がこうなるのか!人間ってすごいなぁ!と子どもみたいにわくわくします。
てことで、映画もぜひ見たい。

それはさておき、YouTubeで、このジェイス役の男の子と作者のカサンドラ・クレアが教会で対談をしている動画を見つけた。
作者が大変に大柄で(相撲取りクラス)、脚がやたら長い高身長のジェイスがものすごく小さく華奢に見えたのが衝撃だった。

2020年4月3日

読書状況 読み終わった [2020年4月3日]
カテゴリ 小説(海外)

たぶん私だけじゃないと思うんだけど、ドラマとか映画を見ていて、本棚が映ったり、主人公が本を読んでいるシーンが出てくると、ビデオをストップして、くまなくタイトルをチェックしている。そして、キャラクターの、というよりは、その部屋を作った美術さんの思考過程を推理してしまう。
たとえば、主人公の性格はこういうタイプ、って言われたから、それでこういう本を持ってきたのね、と想像したり、あるいは、ちょっとしたジョークで、美術さんがちょうど読み終わっておもしろかった本を持ち込んだのかな?とか。
で、私がそれほど読書家じゃなく、ふだん本の情報なども特に積極的に収集するタイプじゃないせいか、登場人物たちの(特に海外ドラマの)本棚には知らない本が多くて、意外にも読書案内になっていたりもする。私が知らないだけで、たいていはベストセラーリストに一度は登場している本、が多いという印象。

すごく記憶にあるのは、「マッドメン」のドン・ドレイパー(私の周囲にいまだかつて存在したことのないタイプの超イケメン)が「Exodos」(「栄光への脱出」レオン・ユリス著)をベッドで読んでいたこと。映画「クレイマー・クレイマー」のいなくなった奥さんの部屋にはウーマン・リブっぽい本がそろっていて、「なんか発想がありきたりだなぁ」と思ったが、主任警部モース(偉そうにルイスをコキ使う晩年の方)がバード・ウォッチングの本をいっぱい読んでいたのは微笑ましかった。「メンタリスト」のチョウ捜査官が張り込み中に読んでいた本は、タイトルのごく一部しか見えず、特定できず悔しかった。(あのマッチョなチョウ捜査官がどんな本を読んでいたかいまだに気になる。今Wikiを見たら、チョウ捜査官は読書が趣味とか書いてある。初耳よ)

・・・で、この本「シャドウハンター」は英国ドラマ「主任警部アラン・バンクス」で、ちょっと軽薄で浅はかな娘(主人公の実子)が失踪した時、彼女の部屋に落ちていた。
私はタイトルすら聞いたこともなかったけど、Googleさんによると、ベストセラーで映画にもなってるのね、ってことで、ほんとは「銃・病原菌・鉄」の下巻を読みたかったのだがいっこうに図書館から来ないから、こっちを先に読んでみた。

いやぁ、ラノベに国境はないんだなぁ。
日本の少女漫画そのもの。
いい年した私には「どっかで絶対一度ならず二度も三度も読んだことある話、下手したら100回くらい読んでいるかもしれない話」にしか思えなかったが、きっとティーンにはたまらんのだろう。
私もこういう本を読んで大きくなった。

しかし、男女が明らかに惹かれ合っているのに、憎まれ口ばかりたたいていてあまりに幼稚なので「いったいいくつだよ、まったく」と苦々しく思っていたら、15歳という設定で驚いた。「あ、そりゃ憎まれ口たたくお年頃ですなぁ」と納得。
アメリカの都会の中学生はクラブとか行くんですな・・・
てっきり18、9の設定かと。

ドラマで、アラン・バンクスの娘はたぶん20代前半くらいの設定だったと思ったけど、夢みたいなことばかり考えて地に足のついていない女の子、という役だったので、この本を持ってくるとは、なかなか美術さんたら皮肉がきいている、と思った。

しかし、上巻前半は退屈きわまりなかったけれど、終わりころになってちょっとだけおもしろくなってきたので、割とウキウキで下巻を手にしています。

2020年4月2日

読書状況 読み終わった [2020年4月2日]
カテゴリ 小説(海外)

コロナの影響で一時的に在宅勤務指令が出て、家で仕事をするはめに。家だとついダラダラしてしまうので、仕事するだけで精一杯になってしまい、他の集中力を要することに力を割くことができなくなってしまった。
おかげで、プライベートのネット時間、および読書時間が激減中。

この本は、特に集中力が必要とされる本なので、読み終わるのに恐ろしいほどに時間がかかってしまった。
しかし、本当におもしろい。

最初のプロローグを読んで、体が震えるほど興奮した。激しく好奇心が掻き立てられて、かぶりつくようにページをめくったのを覚えている。そして、章を追うごとに、そのプロローグで提示された命題が少しずつ解き明かされていく。
まるでおもしろすぎる海外ドラマを見ている時のような精神状態に。
うおー、そういうことか!
ええっ、うそでしょ?
えーっ、そうだったの?
・・・みたいな。
続きが気になるのもドラマと同じ。

著者のストーリー・テラーぶりには本当に驚く。
こんなに複雑な話を、いとも簡単に、大変にわかりやすく展開していくので、私の愚鈍な頭にも実にすんなりスッキリ入っていく。こんな壮大な話なのに、どうしてこんなに分かりやすいのか。
とにかくその筆力に茫然。同じ人間とは思えない。それこそ、生物学的差異があるとしか・・・(笑)

NHKでこの本の解説ドキュメンタリーやってくれないかなぁ。著者が直接語るところを聞きたいし、この内容をビジュアルを駆使して展開したものがぜひ見たい。やってほしいなぁ。

コロナのせいで、病原菌のところは特に興味深かった。
しかし、恐怖心は増幅された。
今って、全地球規模で人が往来しているから、病原菌に必要な出生率は常にどこでも維持されている状態になるのね。
一風土病も地球規模に流行する条件がすっかり出来上がっていることは、今、まさにコロナが証明している。
おそろしい~。人口の95%が疫病で失われたと推測されるアメリカ先住民の恐怖は、こんなものじゃなかっただろうけれど。

著者が「この本を執筆した最大の理由」についてもいろいろと考えさせられた。それも書き留めておきたいところだけれど、ひとまず続きの下巻を読んでから・・・・

2020年3月21日

読書状況 読み終わった [2020年3月21日]

先に読んだ「東大助教授の書いたハワイの歴史物語」は「客観的なハワイ」「ハワイの概要」という感じでしたが、こちらはハワイの元貴族という家柄出身の女性の書いた「主観的なハワイ」「私のハワイ」という感じ。
これはこれでおもしろかったけれど、近所のおばちゃんの語るおばちゃん自身の物語、という感じで、非常に「狭い」印象だった。
(しかし、読んでから時間がたっているので、早くも記憶がウッスラとし、自分の感想にやや自信がない・・・)

なんとなく、「平和を愛するハワイ! ピースフルな民族!」という気持ちが著者の中に確固としてあるような気がしたが、書いてある歴史などはどちらかというと血なまぐさく、世界中でよくある「外から来た征服者」が思いっきり自分の身内に都合の良い歴史語りを展開している、という状態になっていて、私のツッコミたがりな性格がむずむずし、モヤモヤ感が多少あった。
しかし、高官の一族出身だからこそ書ける話も多く、そのあたりは非常に興味深かった。

で、ここから先は完全に余談ですが、この本を読み終わって、次にたまたま図書館の順番が回ってきたジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」を読んでいるところですが、しょっぱなに「平和の民と戦う民の別れ道」の章でポリネシアの民族の事例が出ていて、非常に面白かった。
住民が平和を愛するかどうかというのは生物学的な違いからではなく、環境による違いから造られていったというあたり、目からウロコで、めちゃくちゃ興味深かった。
読みながら、この「ディープでふしぎなハワイのおはなし」の歴史の部分が思い出され、事実というのは見方によってずいぶん変わるよなぁ、おもしろい、とつくづく思った。
「私たちは平和を愛するおとなしい民族よ」なんていう考え方(日本人に大変多く見られるが)は、ずいぶん眉唾ものだし、他民族との根拠のない差別を生むという意味では少々危険だとも思った。(注・もちろんこの本もそんな選民的なことは全く言っていません)

2020年3月4日

読書状況 読み終わった [2020年3月4日]
カテゴリ エッセイ

忙しすぎて感想を書きそびれていたら、なんだか、早くも記憶がボンヤリ・・・(笑)

無理やり記憶を絞り出すと・・・
「戦火の淡き光」の別バージョン、みたいな印象。
ゴッホのひまわりみたいな感じで、同じモチーフを描いた別の小説、という印象だった。前に読んだことある、みたいな。
やはり後から書いた「戦火…」の方が私はだんぜん好きだけど、それは私がそっちを先に読んだからなのかな?
書かれた順に読んでいたら、印象がまた違うかも。

ミス・ラスケティについては、「またそのパターンかい!」と思わず突っ込みたくなるような種明かしで、ちょっと個人的にはカクっときた。物語的には重要ではないと思うから、まあいいんだけど、でも、あの最後の告白の手紙は長すぎる。
小さなところのリアリティが気になる私としては、小説家が書いたんじゃあるまいしーと少々白けた。(まあ小説家が書いてるんですが)

しかし、そんなゴタクはさておき、今回のオンダーチェは、官能プロレタリアート再び、という感じで、労働シーンの数々にほれぼれうっとりした。

特に、スエズ運河を通過するところ。
実際には文字を追っているだけなのに、私の眼前には、夜間に働く人たちが影のようにうごめく姿と、それを気まぐれに照らす黄色いライトが見えて、船の汽笛や口笛や、貨物がガツンガツンとぶつかる音も聞こえて、さらに岸辺で何か煮炊きする匂いまで感じられた、ような気がした。
あのシーンは前のめりで読んだ。
ちょうどスエズ運河工事についての歴史ドキュメンタリーをTVで見たところだったので、余計リアルに目に浮かんだ。もう最近の読書は完全にメディアミックスで、いい時代に生まれたなぁ、とつくづく思う。

そうそう、書いていて思い出したけれど、水先案内人の姿がとても印象的だった。確か3人くらい登場したと思ったけれど、彼らの職業的な性格と本人自身の性格がとても密接に関係しているような、そんなことを思わせる様子が描かれていた。
たとえばこういう描写――

「僕の見慣れていた水先案内人たちは、半ズボンをはいて、ポケットからめったに手を出さなかった。乗船して最初に注文するのは、たいてい、リキュールと作り立てのサンドイッチだ。彼らのだらけた雰囲気、お抱え道化師のような風情を、のちに僕はなつかしむようになる。まるで外国の王様の宮廷で、一、二時間ほど気兼ねなく歩きまわり、やりたい放題できると思っているふうだった。」

労働する姿をあんなに美しく描写できるのは、やはりオンダーチェが身体を使って労働する人じゃなく、傍観するだけだからなのかなぁ。(読んで美しいと思う私ももちろん傍観側ですが)
とにかく、雑多で、荒っぽい世界が、まるで神話の世界みたいに美しく繊細に見えてくる。この人の筆さばきには、いつも本当に驚かされます。天才だわ、と毎回思う。

2020年3月3日

読書状況 読み終わった [2020年3月3日]
カテゴリ 小説(海外)

YouTubeで偶然目にしたハワイアンのミュージック・ビデオがあまりに美しくかつ心地良いため、先日から何十回と再生し、一人で再生回数に貢献している。
これ↓
https://youtu.be/AbqkjkkcE7M

ウェルダン・ケカウオハが歌う「クイーンズ・ジュビリー(Queen's Jubilee)」という曲で、夕方の、ほんのりオレンジに染まったハワイの海辺を背景に、二人の女性の踊るフラが最高に美しい。

冒頭のMCで、リリウオカラニがこの曲を作った背景が簡単に述べられている。映像だけでなく、曲そのものがあまりに美しいので(特にマイナーに転じる展開部が私は好きで)作曲者のリリウオカラニ女王とハワイの歴史のことが気になったので、この本を図書館から借りてきた。

本当に良書です!
私の知りたかったことが網羅されていて、素晴らしかった。我ながらナイス・チョイス。
大学の先生、とタイトルで全面的に押しているだけあり、煽情的にハワイ礼賛するのではなく、様々な事物や歴史的事実を多角的に分析されていて、でも堅苦しくない平易な文章で、大変に分かりやすい。
事実、歴史、個人的所感、などのバランスがとても良い。

ハワイにカウボーイがいたなんて(それも一つの文化を作るくらいの数が)全然知らなかった。
フラの歌詞は非常に多重的な意味を持ち、ハワイ語を操る人にも解釈が難しいということにも驚かされた。
古い文献に見られる西洋人が見たフラ、の話もとてもおもしろくて、フラで歓待された当時のヨーロッパ人に嫉妬すら覚えるほどだった。

メリー・モナーク・フラ・フェスティバルについての章も引き込まれた。
YouTubeの動画の中で踊る母娘について、ウェルダン・ケカウオハが母親の方を「元ミス・アロハ・フラでクム・フラ」と紹介していたが、調べてみたら、やはりこのメリー・モナーク・フラ・フェスティバルの優勝者だった。さらに娘さんの方も2位に輝いたことがあるそうで、二人のあの美しすぎるフラの動きはやはり実力のなせる業!と納得した。

ところで、曲名「Queen's jubilee」からウッスラと嫌な予感はしていたが、ネットで見た和訳によると、この歌は英ヴィクトリア女王在位50年(長!)の栄誉をひたすら称えているという内容で、イギリスはアメリカではないが、それでも、どうしても帝国主義の強大な力と時代の流れを連想してしまって暗い気持ちになった。
ウェルダン・ケカウオハが冒頭で「まだ娘だったリリウオカラニがヴィクトリア女王の記念式典に参加した時に作った歌」と言っていたが、まさに彼女のそのイギリス滞在中に、当時、王だった兄はその支配力を大きく縮小することになる条約を締結させられるという大事件が起きていたらしい。
歌の歌詞とは対照的に、リリウオカラニ本人の王国の運命はこの時から転がるように真逆の道をたどっていくことを思うと、とても切ない。しかも「Jubilee(50周年の記念)」という英語の言葉の語源は、もとは聖書からきていて、自分たちの土地を取り戻すやらなんやらという話からきているそうで(←適当ですいません)、なんという皮肉か、と思う。

この本では一番最初の章で、リリウオカラニが最後の女王として必死に戦った経緯がとても分かりやすく述べられている。
私は、この歌は、リリウオカラニ自身の王国を思う気持ちをうたっていると勝手に置き換えて聴いている。

2020年2月24日

読書状況 読み終わった [2020年2月24日]

同じ著者の「英語のツボ」がものすごくおもしろかったので、おかわりクダサイーてな感じでもう1冊。

いやぁ、これもおもしろい。文法書なのに。そしてとってもわかりやすい。
「英語のツボ」が読み物としてあまりにおもしろいので、それと比べるとこっちはお勉強度が高めで地味な内容です。基本に戻って復習したい人用。

時制はやっぱり日本人よりネイティブの説明の方が分かりやすいなーって、この人の本に限らず、毎回思います。
高校生のころ、「現在完了の用法で継続と完了ってあるけど、どっちにも当てはまるやつあるよね? そもそも、現在完了と過去形の使い分けの説明に納得がいかない・・・・」と激しく混乱の極みにいたのを思い出す。
この本にキッパリと「日本語で書かれた文法書の現在完了の表す意味が抽象的でピンとこない。この分類はいったい何のためにあるのか。それは単純に和訳の仕方がいろいろあるということを伝えたいだけじゃないか」と書いてあって、「で、で、ですよねーっ!」っと全力で同意した。
この本を読むと、日本語の時制ってめちゃ難しい、それに比べると、なんと英語の簡単なことよ、と思います。

ところで、私という人間は、英語で会話するときwouldをやたら使いたがるなぁとひそかに自分で思っていたが、実際のところはあんまりちゃんと分かっておらず、まあいいや、丁寧に聞こえるだろ、てな感じで超テキトーに濫用していた。この本で改めてwouldの復習をしてみると、willを使った方がいいときもあると今更ながら思った。いや、ほんと今更ですが。
もっとちゃんと意味を考えながら使おうと思うけど・・・・会話の技術は文法書を読むだけじゃどうにもならないのが辛いところです・・・とほほ

2020年2月14日

読書状況 読み終わった [2020年2月14日]
カテゴリ 英語学習

昨日感想を書こうとしたけど、書き始めることができなかった。
体の中に、この小説の残留物が沈殿していて、かき回すと、水の中の沈殿物みたいに舞い上がるのだけど、きちんと意味のある言葉にならないって感じです。

私のオンボロな処理能力が、物語を消化することに途中で追いつかなくなったのかな。
きっとまだ処理中なのだと思う。

読み終わった日は眠りが浅くて、ずーっと深い森の中をさまようみたいな、明らかにこの本からインスパイアされたような亜熱帯な湿度の夢ばかり見続けて、夜中にちょっとうなされた。(でも意外にも寝覚めは悪くなかった)

最近、自分の生まれ育った土地を想う、という行為について(故郷そのものではなく、その行為について)考えることが多い。そして、故郷について語ることが、すごく難しいことのように思える時がある。
萩尾望都さんが「故郷の炭鉱町についてはまだ描けない」とどこかでおっしゃっていたけれど、この本もそんな感じで、ずっと書けるようになるのを待っていた、という印象の本だった。(もちろん本当のところはどうか知らないんだけれど)
とにかく、なかなか一筋縄ではいかない複雑な語りになっている。
故郷の土地とはつまり、自分を作っているものは何か?ってことを考えることだから難しいのかな。

読んでいる間、「こんな国でもやはり愛する」(P317)という思いを非常に強く感じた。
そんな風に語る人を、紛争を取材したドキュメンタリーなどでは本当にたくさん見るよなぁ、と思う。
ガミニが「この土地への愛着は西洋人にはわからない」と言っていたけれど、そんなことはない、きっと彼らもまったく同じではなくても、違った形で理解はできるはず、と思ったりもする。

それはともかく、この本の主人公たち(アニル、サラス、ガミニ、そして開眼師の4人)は見事なまでに不協和音ばかり奏でていて、登場人物の関係性として、ある意味新鮮だった。
まるで遠心力が働いているみたいな人たち。
でも、この4人は個性が見事にバラバラなのに、私は全員に不思議なほど均等に共感した。

あと、サラスとガミニの兄弟は共に心の奥に大切なものの象徴として「子を思う母親」のイメージがあって、やはり兄弟なのだなぁと思った。
「似てない兄弟」って、まさにこういう、不思議なところで似ていたりするよね、と思う。
この本で描かれる人との距離感こそアジア特有なのかな。

オンダーチェの小説はいつもそうだけど、今回も気になるアイテムが満載で調べものに追われた。
毎回、この人の小道具の描写には激しく好奇心がかきたてられるんだよなぁ。
それが楽しみの一つにもなっているんだけど。

今回は、3つの「場所」が興味深かった。
サラスの師匠が晩年に姪とひっそりと暮らしていた修行の森、それと中国の古い水墓、そしてアニルがサラスと訪れたというコロンボ近郊のアランカレーの森の僧院。

師匠が隠遁生活を送っていた、という設定の地域(アヌラーダプラ)は、世界遺産にもなっているようなので、日本語で地名を入れただけでたくさんの関連サイトがヒットしたけれど、あとの二つは特定するのに結構苦労した。

岩が入口になっているという「アランカレーの森」は、日本語のサイトは見つからなかったけど、海外では普通に有名な観光地のようで、「Arankele Monastery」と入れるとたくさん出てきた。
本の中の描写どおりな印象。僧が二時間かけて掃き清めている、と書かれていた小道などの写真をしげしげと堪能。

中国の水墓、は場所の特定に一番苦労した。紀元前5世紀、という情報を頼りに探した。「曽侯乙墓」が正式名。
原文にはどう書かれていたのかは分からないけど、本には水墓、とあったので、私は、澄んだ水にひっそり...

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2020年2月2日

読書状況 読み終わった [2020年2月2日]
カテゴリ 小説(海外)

おもしろかったー!
この人の著書にはほんとハズレがないなぁ。
英語がテーマだけど、お勉強本じゃなくて、読みものとしてぐいぐい読ませる。
取り上げられている例文も、時事ネタあり、文学作品あり、コメディアンや作曲家の言葉の引用もあったりして幅広くて飽きない。(古い本だから、時事ネタは、ちょっと古いんだけど・・・)

料理の待ち時間(機械的に炒め物したり、お湯がわくのを待っていたりする時間)にちょっと、のつもりで読み始めたのだけど、やめられなくなって、読みかけの小説を放置して、こっちをイッキ読みしてしまった。

こういう英語本をいつも求めているのだけど、意外にないのよね~。
英語のマテリアルを見たり読んだりしていると、私には「肝心のパンチラインの意味が瞬時に分からない」ということがしばしばあって(「瞬時に」というのが重要)、大変に歯がゆい思いをするのだけれど、この本はそういうのを「ちゃんと分かっておもしろがれる」ための感覚を養うのに効く感じです。

一番印象的だった例文は、意外にもジョン・ケリーの言葉。
引用されているのは、大統領選出馬中とか国務長官時代の発言ではなく、27歳の時の「反戦ベトナム帰還兵代表」としての言葉。
その若さに似合わないほどの知性に当時のマスコミが驚いた、と書いてあったけど、私も解説を読んでいてちょっと驚いた。というか、感動した。解説も一緒に読んでもらいたいので、ここでは引用しませんが。

ケリーと言えば、アメリカの現職閣僚としては初めて広島平和記念資料館を訪れて、その後、オバマ来日の際に、その場所を訪問することを彼が強く勧めたと新聞で読んだのが記憶に新しいけど(と言いつつも、それももう5年前の話なのね)、「資料館が伝えようとしているメッセージを、ケリーはちゃんと理解してくれたんだなぁ」と当時ぼんやりとありがたく思ったものだが、この本を読んで、なるほど、もともとそういう人だったのか、と分かった。

余談だけど、マーク・ピーターセンさんは、映画とかにはけっこう辛口で、時々おどろく。「『ノッティングヒルの恋人』という(本当は見る価値のない)映画では・・・」なんて書いてあったりして、ヒャーそこまで言う!と笑った。(私も同意見だけど)
でも、昨今、単なる自分の好みを言うのにも忖度しすぎな人が多くて(たとえば本の評価の★を一切つけないことを美徳としているとか、5つ星しかつけないとか)、いわゆる「いい人に見られたい症候群」には辟易しているところがあるので、著者のそういうストレートなところも私は好きです。

2020年1月27日

読書状況 読み終わった [2020年1月27日]
カテゴリ 英語学習

翻訳家の宮脇孝雄さんの『洋書天国へようこそ』に、「グレアム・グリーンはフォード・マドックス・フォードの『良き兵士』を研究して『情事の終り』を書いた」というようなことが書いてあったので、そういう小ネタ・裏話が大好きなワタクシは、それらをいそいそと図書館で借りてきたというわけである。

しかし、両方とも、「な、なんじゃコリャーッ!」な印象。
すいません。全然合わなかった。
両方とも世間の評価は高いので、少なくともどっちかは楽しめるだろうと思っていたから軽く衝撃だった。

恋愛小説を否定するわけではないんだけど・・・両方とも、登場人物たちの苦悩や嫉妬のモノローグがぐでぐで長々とひたすら続いて辟易。最初から最後までそれオンリーと言ってよい。
読んでいると、我がサブコンシャスが耳元で「ほんと、どうでもいいです」とずっとささやいてきて困った。

烈しい恋愛をしている時に読めば、また印象は違うのかな? あるいは、私の生活圏が長くイケメン砂漠地帯だから理解できないのか?などと思ったりもしたのだけれど、
「彼女が私のベッドでうつ伏せに寝ていたときの、その背骨の底部の産毛がいかに細かかったかを記憶にとどめている」
などという描写を読むと、どうも単純に著者の美意識と趣味が合わないだけのような気もする。
背骨の底部の産毛・・・? どこの毛のことだ?

2020年1月24日

読書状況 読み終わった [2020年1月24日]
カテゴリ 小説(海外)

本のあとがきで、著者が収録作品について解説している、ということがごく稀にあって、私はそういうものを読むのが大変に好きなのだけど、そういうことをする作家はけっこう少ない。なので、本を読み終わった後、著者による解説があると分かると、たいていは嬉しくウキウキと読むのだけれど、この本に関しては、全然嬉しくなかった。正直、読み飛ばした。
というのも、本文が驚くほどおもしろくなかったから。特に小説形式のものは衝撃のワンパターンで驚いた。

著者による解説は、本文が面白くてこそ価値があるんだなぁ。
ずいぶん前に読んだ同じ著者の「生半可な学者」は、内容はもう忘れたけど、おもしろかった記憶があるからちょっと腑に落ちないのだけど。

強いて言えば、クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァルについての文章と、亡くなった教え子に対する追悼の「タバコ休憩中」は良かったな。
「タバコ休憩中」は、身近な人の死をお涙ちょうだいものにしてなくて、でも、喪失感がしみじみと伝わってきて、とてもとても好感を持った。
(CCRについては、私が単に好きだからおもしろかっただけかもしれない)

その他記憶に残った箇所:

・ポール・オースターは私はそれほど好きな作家ではなく、でも柴田さんの訳が好きだったから、出るとすぐだいたい読んだのだけど、内容はもはや全く記憶に残っていない。でも、唯一、記憶にあるのが、主人公が卵をうっかり落っことして割ってしまって男泣きするシーン。
それがこの本で言及されていたので、「ああ、その場面だけ、ものすごくクッキリと覚えてる!」と思った。
私の中ではポール・オースター=落とした卵に泣く。

・自分でもフォントマニアだなぁ、と思う時があって、提出物とかあると、PCに入っているフォントを全部試さずにはいられないのだけど(やたら時間がかかるので、自分で自分がかなり嫌になります)、同じことをする人がいるんだなぁ、と思って笑った。なんか安心した。

2020年1月21日

読書状況 読み終わった [2020年1月21日]
カテゴリ エッセイ

前半(第一部)は「設定に頼りすぎな陳腐なインディ映画みたいだなぁ」などと失礼なことを思いながら読んでいたのですが、後半の第二部に入ったとたん、「オンダーチェ、キター!」と言いたくなるような独特の美しい描写が続き、またまたすっかり心奪われてしまった。

第二部を読むと、前半部分のゆらゆら揺れる影絵のようなモノローグは、思春期特有の不安定さからくるものではなく、「戦下の淡き光」の中で多くの部分が意図的に覆い隠されていたことによるものだったと分かる。(主人公は "不明瞭な地図" という言い方をしている)

その不安定な状況で足元がグラついたまま思春期を迎えた少年に、明るく健やかで安定した世界があることを教えるミスター・マラカイトの登場には激しく心揺さぶられた。
「オークの木のように強靭な」彼に、私はちょっと恋してしまったかもしれない。というのも、彼についての描写を、読み終わった後改めて2度も読んでしまった。また会いたい、に近い心情で。

ある人物をどう描くか、どの側面を切り取るか、というのは作家の力量の見せ所だけれど、オンダーチェの選ぶミスター・マラカイトの日常はあまりに美しく崇高で、でもそれは私の愛しているありふれた世界の延長でもあり、とにかく読み返さずにはいられなかった。

私は一人称の小説がとても好きだけれど、この作家に限っては、一人称より三人称の方がいいな、と思った。
とにかくディテールの描写が良い。
だから、キャラクターの視界にしばられない三人称の語りの方が良いのかも。

ミスター・マラカイトの描写以外にも、少女時代の母と屋根ふき一家の末息子が互いを知るようになっていくシーンもとても好きだった。二人の個性が、視線の先、表情、しぐさなどに現れる。まるで映画のようにリアルに鮮やかに二人の姿が目に浮かぶ。

あと、「イギリス人の患者」同様、登場するアイテムにもたまらなく心ひかれます。
特に今回は気になるアイテムがとても多くて、いちいちグーグルさんに聞いているととんでもなく時間がかかって大変だった。(そういう調べ物も楽しいひとときなんだけれど)

たとえば、ダーターが乗っていたというモーリスという車。
屋根を葺くための道具。ロング・イーヴス・ナイフ、フルー・ナイフなんて初めて聞いた。調べているうちにイギリスの「屋根の葺き方」についてのサイトを長時間読みふけってしまった。
チェスの天才、ポール・モーフィーの有名な対局、「オペラ」について。彼の短い生涯について。
「ブルー・ウイングド・オリーヴ・ニンフ」という名の釣りのフライ。ガチョウの羽を使う!
アナグマのコート。(アナグマの毛皮がどんなものか知らなくて画像検索)
「トリニティの屋根に登るための手引き」。今もAmazonで売られていて、ちょっと驚く。山登りガイドのパロディ的に書かれたみたいですね。
・・・てな感じで、インターネッツ笑に感謝感謝。

物語の全体の設定は、「イギリス人の患者」もそうだったけど、ちょっと荒唐無稽すぎてツッコミどころがなくもないのだけど、こうしたディテールの描写や登場するアイテムが美しく楽しく魅力的で、読んでいて本当に幸せだった。

読み終わって、別の小説を読み始めたけれど、どうしてもこの本の世界を引きずってしまって、なかなか次の本に入りこめない。それが今ちょっぴり困っているところです・・・。

2020年1月20日

読書状況 読み終わった [2020年1月20日]
カテゴリ 小説(海外)

タイトルにある「霊体験」そのものは、それほど驚くようなものはなかった。心霊の存在を信じない人はやっぱり信じないだろうな、というレベルのものばかり。
でも、そんなことよりも、大切な人を失った人たちが、どんなにもがき苦しんだか、(あるいはどんな風に苦しみ続けているか)がすべての体験談から伝わってきて、そのことに改めて驚き、胸がしめつけられるような気がした。

すべての遺族たちに、どうかそんな風に苦しまないで、と言ってあげたい。人がそんな風に言ったからって簡単に心が軽くなるものではないのだけれど。

こうした体験を語ることで、あるいは読むことで、救われる人がいるだろうと思うと、「死後の世界」をどんな形にしろあれこれ語ることは非常に意義があることなんだなぁとつくづく思う。

震災時、私は仙台市内の会社で働いていた。
知っている範囲で大きな被害を被った人はおらず、誰かを失った人もいない。せいぜい何かが多少壊れて水道やガスが1か月ほど止まった程度。(土地の人間ではないので、知り合いが少ないせいもある)

そういう被害が少なかった環境にいたせいか、お金にまつわる嫌な話、補助金や支援を受けることをもうけ話か何かのように話す人を実際に(割と頻繁に)見て聞いて、人の卑しさみたいなものに、当時、心底ウンザリした。
阪神大震災の時は大阪にいて、被災した人たちが身近にたくさんいて当時の混乱もよく覚えているが、それでも周囲でそんなガツガツした話は一度も聞いたことがなかったので、東北の時は本当に驚いた。
そのせいで数年の間、東北の震災に関するドキュメンタリーも本も拒絶反応を起こして見ることができなかった。
それほど被害を被ったわけでもないのに、たまたま被災地に住んでいたというだけで「被災者」とか「被災した」とか言いたがる人も多く、そういう人たちからとにかく距離を置くのでせいいっぱいだった。

でも、数年後からやっと客観的にこういう体験記や検証の記録などを見られるようになった。
密かに苦しんでいた人が大勢、本当に驚くほど大勢の人が助けてとも言えず希望も見えず辛い思いをしていると知って、やっぱりこういうものは目を背けずちゃんと読まなくちゃなぁ、と思う。
天皇陛下や芸能人たちの活動も、万能ではないが、救う力になっているんだと感じる。

本の中で、家族4人を失った人に対し、「お金がいっぱい入ったんだろう」と言う人がいた、というところを読んで、体が震えるほど腹が立った。幽霊譚に興味ある、という理由でもいいから、こうした本が多く読まれて、そんなことを考える人間がいなくなることを願います。

2020年1月13日

読書状況 読み終わった [2020年1月13日]

友達から「十二国記の新刊、読んだ!? まだ!? おもしろかったよ!!」と言われて、うぉーと思いながら、読み始めたのはこちらの本。
あまのじゃくなわけじゃナーイ!
ブクログに感想を記録していない本は詳細をすっかり忘れ去っていることがあまりに多いので、いきなり新刊に手をつけていいものかどうか迷い中なのである。
あのシリーズ、設定が複雑で、復習なしで私の頭がついていけるかしらと心配で。しかしどこまで遡るべきかもわからず、ためらっているところ。

というわけで、まだ読んでいないこれを図書館で見つけて嬉々として借りてきたわけですが・・・十二国記に気を取られていたお陰で、この著者がホラー作家だということをすっかり失念しておった。油断した。

自分でもあきれるくらい怖がりなので、最初の作品で早くも震え上がった。
不意打ちかよーと涙目で読んだ。(怪異譚というタイトルで普通気づくはずなのだが十二国記に完全に気を取られており・・・)

しかし、読み終わってみるとそれほど怖くない。
むしろ心がほっこり。
実に新しいタイプのホラーだと思った。
発想に感動した。
霊やもののけっていうと、これまでは「取り除く」ばかりだったが、営繕かるかやの尾端さんは、彼らの世界と私たちの世界の交錯した部分をちょっとした大工仕事でずらし、交錯しないように改変する、という方法で問題解決していく。
なるほどね。向こうの世界はそのままそっとしておくわけか・・・と感心。
しかも、その改変を行う人が除霊屋とかミディアムとかエクソシストとかじゃなくて、「出入りの工務店」ってあたりが新鮮すぎるよ。
彼の素顔は全く見えないどころか、最後の最後まで登場しないので、こっちの想像力がかきたてられて、たまりません。
まさか、「工務店」って言葉にときめく日が来ようとは。(笑)

その弐もあるようなので、嬉しい限りです。

2020年1月9日

読書状況 読み終わった [2020年1月9日]
カテゴリ 小説(日本)
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この本で最も印象的だったのは、「ストーカーは病気の一種で、治療で治る」という部分。
私にはその発想はなかったので、「え? そ、そうなの?」ととまどいつつ読んでいたのだが、終盤に近くなって地方更生保護委員会の担当の方がおっしゃった言葉「我々の理解としては、いわゆる依存のあるものは、全部治療が必要なんです」で、すっきりと腑に落ちた。
なるほど。依存症の一種なのか、と。

「本人が治療を望む」ということが治療の結果に多大に影響する、ということなので、相手が「俺はストーカーじゃない」と最後まで言い張っていた様子を見るに、痴漢とか盗撮とか盗癖とかの依存症と比べると、治療に持ち込むのは厄介そうだなぁ、とも思ったけれど。

そのほかについては、著者の物事に対するリアクションには共感する部分が少なく、「え?なんでそうなる?」と思うことが多かった。
たとえば、愛するペットのヤギを守りたい→正当防衛はどこまで認められるのか調べる、とか。
イマドコサーチに脅える以前に、なんでそんなよく知らない人に電話番号を教えているんだ、とか。
自分が怖いと思っている人間を無関係の友人にわざわざ会わせたり。
ラインの煽りにご丁寧に返信したり。

でも、これを書いたことに対しては、いろんな意味で尊敬に値する。とても勇気ある人だと思った。
書く、というのは、つまり、犯人逮捕までに多くの代償を払ったのに、また同じ苦しみを追体験し、さらに公にすることによる別種の新たな心配事を生むということだから。
まず私なら相手の調書なんて絶対読めない。読まない、じゃなくて物理的に読めないと思う。著者が読んだあと深く傷ついて3日ほど寝込んだ、というのは当然の反応だと思った。
さらに、妙齢の女性のセックスライフやネットでの出会いということに対する世間のリアクションも想像するだけでなんだかチョット怖い。

著者が、購入した家をDIYで住み心地よく素敵にカスタマイズできているといいなぁ、と心から願います。引っ越しはバージョンアップだったと前向きに思えるくらいに。

そうそう、一か所だけ、読んでいておもしろかった箇所が。
超イケメン検事H氏が口述筆記で調書を作成する場面。

「その姿はまるで空也上人像」

って。口から経文がポポポッっと出てるあの像ね。おもしろいたとえで笑ってしまった。
著者が「文章がおもしろいと言われるのが嬉しい」と書いておられたので、敢えて付け加えておきます。

2020年1月6日

読書状況 読み終わった [2020年1月6日]

翻訳家の宮脇孝雄さんの『洋書天国へようこそ』で紹介されていて、おもしろそう!と思って図書館でさっそく借りてきた。
訳者あとがきで「英米では極めて評価が高く、英文学モダニズム期の古典としてジョイス、コンラッド、ロレンスらの傑作と並ぶ扱いを受けている」とある通り、宮脇さんの本以外でも、英語圏のライターが賛美する声を目にしたりもしたので、期待をふくらませ、読み始めたが・・・

すいません、私にはどのあたりがどう傑作なのか、さっぱり・・・
なんなの、このマヌケな語り手は、という感想しか出てこなかった。

原文はきっと、たぶん、格調高く美しいのだろう、などと勝手に推測している。
あるいは、「よき兵士」であるエドワードの貴族的な生き方が、イギリス人にとっては何かぐっとくるものがあるのかしら。
よく分からないけど、太宰治の「斜陽」っぽい儚さがあると言えなくもない。

2020年1月5日

読書状況 読み終わった [2020年1月5日]
カテゴリ 小説(海外)

個人的には今年読んだ本の中でベスト1かな、と思うくらいインパクトがあった本です。
私って、音楽的な教育を全然受けてこなかったんだなぁ、とこの本を読んではっきりと自覚しました。
この本に教えてもらったことの半分でいいから、小学生か中学生くらいの時に教えてもらいたかったな。

義務教育中に音楽史を教えてもらった記憶がまったくないのだけど、それは私がたまたま運が悪かっただけなのか、それとも日本の音楽教育のカリキュラムがそもそもそうなのか、今さらながら気になる。
『アラバマ物語』でスカウトが、あまりに低レベルなことをさせる学校教育に対して「何かをだましとられているような感じだ」と不満をもらしていたのを思い出した。その感覚に近い。
中2の時のクラスは完全に学級崩壊していて、授業中に生徒がダーツを投げたり(危ない)、後ろで将棋したりしていて授業にならず、音楽の先生が泣きながら廊下を逃げていった姿だけは鮮明に覚えている。ま、それはそれでひとつの経験だけども。

それはさておき、この本は、あまりにおもしろく情報が多いので、ゆっくりゆっくり読んでCD聴いて、何回も戻ったりしたので、読み終わるのにほぼ1年くらいかかったと思う。すごく分かりやすく、しかも解説にそこはかとないユーモアもあったりして、大好きな先生の授業をウキウキで聴いているような感覚で読み進んだ。

一番衝撃だったのは教会旋法のあたり。
『グリーンスリーヴス』は短調でも長調でもない音調で、昔はそんな感じの音調が8種もあったというのには驚いた。その8種の教会旋法がすべて消えていった理由がこれまた非常に興味深く印象的。
ドリア旋法の代表『怒りの日』は、映画やドラマなんかでその後、何度も頻繁に耳にしたので、知らなくて今まで損してたかもーとすら思った。

そして、最後のサティの章で、またそうした古い教会旋法が再登場したのには本当にびっくりした。
付属CDで、サティは最後に入っているのだが、ずっと交響曲などを聴いていたせいか、ジムノペディが始まった瞬間、そのモダンな旋律に、時間をすっ飛ばしていきなり現代に戻ったようで一瞬ハッとしたのだが、その新しい響きの理由が古い旋法を取り入れたことに起因する、と分かって二度ビックリだった。

最近、ウクレレを習い始めて、弦楽器というものに初めて触れ、構造がピアノと違っていて新鮮で楽しくてしょうがないのだが、調性はじめ、この本の知識はそういう日常のちょっとした音楽体験にすごく役立つ。プロじゃないので必須知識とは言わないけど、知っているのと知らないのとでは見える風景が全然違う気がする。

2019年12月27日

読書状況 読み終わった [2019年12月27日]
カテゴリ How-To

最初に目次のページを開いて、取り上げられているタイトルにざっと目を通したときは、「古典が多いのね・・・(無表情)」という感じで、夏休みのお堅い課題図書を前にしたような微妙なガッカリ感があり、あんまり期待せずに読んだのですが・・・すごくおもしろかった!
読んだことがあるものも含めて、全部読みたくなったと言っても過言ではないです。(あ、唯一、「白鯨」だけは逆に読めそうもないと思った・・・笑)

素晴らしい読書案内だった。
9割がた知っているタイトルなのに、著者の豊富な読書経験に裏打ちされた解説のおかげで、まるで新刊みたいに新鮮なものに見えてきた。

「クリスティやエラリー・クイーンは小学生の頃読んでそれっきりになっている人が多い」って、ああ、それはまさに私のこと。今さら読むことはないと思っていたけど・・・この本を読むとエラリー・クイーンがすごく軽妙洒脱に見えてくる不思議。
宇宙船ビーグル号はじめ、古典SFも、10代のころ、姉の本棚から気まぐれにつまみ食いしたきりだったが、もっとちゃんと読みたくなった。

まあ、まずは初めてタイトルを聞いた「よき兵士」から読んでみようと思う。
なぜかこれを読んでいる時に二回ほど別のところで偶然このタイトルを聞いたので、「今読め」ってことなのかと思う。
お手軽に翻訳で読むつもりだけど、海外で有名なのに日本ではそれほど知られていない、っていう場合、だいたい訳が難解だったりイマイチだったりするので、嫌な予感がしなくもない。

あと、「トゥルー・グリット」も実は今すぐにでも読みたい感じだけど、コーエン兄弟の映画の方をまだ見ていないのがひっかかる。やはり映画が先かなぁ。
経験則として、映画→本の順番の方がガッカリする確率は低い。もちろんいつもそうとは限らないけど・・・。
それに、「トゥルー・グリット」はできれば原書を読みたいなぁとも思うので、やはり映画が先かな。

2019年12月24日

読書状況 読み終わった [2019年12月24日]
カテゴリ エッセイ

原題が「Chasing Phil」なので、するすると間一髪でたくみに逃げていく詐欺師をFBIが追うという、プリ夫さんの映画「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」みたいな話かな?と思っていたら、まったく逆だった。FBI捜査官が詐欺師にあっちこっち連れまわされて飲まされまくるという話だった。
タイトルは、chasing っていうより dragged by の方が正しいんでは?

この事件の捜査が行われたのは1970年~80年初頭、ってことで、先に読んだ「花殺し月の殺人」の頃の、カウボーイの延長のようなFBI(1920年代)と比べれば、もう十分に「現代」だな、と思って読み始めたけれど、二人の捜査官が使うツールや手法は今の常識から考えると驚くほど洗練されておらず、計画もバックアップもほぼ無に等しい。なのに本名を使って「潜入捜査」をしている状況が、もう見事に危なっかしくて、読んでいて、ハラハラを通り越してストレスがたまった。
ひとえに、二人の捜査官の若さと精神力と柔軟性により捜査継続できていた、という感じ。
捜査対象だった詐欺師、キッツァーがいきなり「今からフランクフルトに行こう!」なんて言い出すたび、小心者の私は「ひえーもうやだー家に帰らせてー」と思った。
二人の捜査官、ほんとエライわ。

潜入中、息つく暇もなく次々と世界を飛び回る様子が描かれていたので、私は5年分くらいの捜査かと思って読んでいたけれど、最後に潜入期間は1年と2日間だった、と書かれていて、感覚よりずいぶん短くて驚いた。

潜入捜査というのは非常に過酷なもので、トラウマになったり、薬物中毒になったりと、心身両方への影響が非常に大きくかつ危険なため、捜査を行うには捜査官の性格的な適正が重視され、更に、期間の上限も厳密に決められていると聞くが、実際、期間の規定はどれくらいなんだろう。私はこの1年の記録を「読む」だけでへとへとになった。これ以上は無理、と思ったが・・・

キッツァーの罪については、彼に対する処罰は私にはずいぶん生ぬるく思えた。この著者や捜査官が考えているよりも彼のしたことは重いと思う(保険金詐欺は特にひどい)。それに、読んでいて、この本が言うほど彼の人柄が魅力的には思えず、最後まで嫌悪感しか感じなかった。でも、彼のものの見方は興味深かった。
たとえば、金融詐欺については、「お金を持っている人」を狙うんじゃなくて、「支払いに追われ、切羽詰まった状況に陥り、お金をかき集めることに必死になっている人」を狙う。なるほどなぁ、と思った。

印象的だったのはマンハッタンでのシーン。
『三番街のバーを飲み歩いていたとき、高層ビル群をはじめて見るかのようにキッツァーが空を見上げた。建物のほとんどは、誰かが何百万ドルもの金を借りるという賭けに出たから完成したのだと彼は言った。ある意味、建物は "信頼" を象徴するものなのだと。銀行、建設会社、保険会社といった見知らぬ会社や人々の集団が危険なゲームに参加し、互いを信じ、計画を信じなければいけない。多くの正直者が集まり、建設が実現する。キッツァーにしてみれば、それは奇跡的なことだった。』

確かに、この本を読むまで考えたこともなかったけれど、今の自分の生活は多くの見知らぬ人への無意識の信頼関係で成り立っている。
その全員が「正直者」かどうかなんて、誰にも分からないじゃないか、相手が見せる預金通帳の数字が本当かどうかなんて、何人かを抱き込めば君には分かりようがないだろう?と言われれば確かにそうかも。
ましてや、高層ビル建設なんていう、巨額の資金が動いて何百人もの人間が絡む事業で誰も嘘をつかないと考えるなんて、それはある種の「賭け」なんだよ、と言われると・・・私には返す言葉もない。

2019年12月18日

読書状況 読み終わった [2019年12月18日]
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ハックルベリー・フィンについては、特に思い入れはなく、本編を読めばそれでもういいです、っていう状態だったのですが、この本、柴田氏の新刊なのに図書館で誰も借りていないのを見て、「あれっ? じゃあ私が借りちゃうよ!」と思って借りてきた。

ヘミングウェイが「今日のアメリカ文学はすべてマーク・トウェインのこの本から出ている」と絶賛したというのも、「えっ、そこまでグレートな本ですか?! マジで? どこらへんが!?」って感じで、(おそらく私が文学の体系に疎いからだと思うが)まったくその偉大さはピンと来ず、この「ハックルベリーについての本」にも、正直、そんなに食指は動かされず。

でも、予想に反してかなり楽しんで読んだ。なかなか良書です。

特に、ジム視点で書かれた数年後の後日談「リヴァーズ」(ジョン・キーン著)は、私には衝撃だった。
めちゃくちゃおもしろかったけど、若干、「いいのか?こんなん書いて・・・」とか思ってしまった。ただの一読者なのに、読み終わった後、なぜか本家に対する謎の罪悪感を覚えた。
短い小説なのに、強烈な印象で、すごく後に引く。
これはすごい。

ハックを読んだ時、「白人から見た黒人」の描写に当時の社会通念や見せかけの真実というものが非常に端的に(意図的に?)描き出されていて、その時代に実際に生きた多くの黒人たちの苦しみを思ってわずかに小骨のひっかかりみたいなものを感じたが、その小さな疼きに、冷めた大人の声で水をぶっかけられた感じかなぁ。この著者は黒人だろうと思ったが、やはりそうだった。

ほかの人の文章もぜんぶ興味深かったが、スティーヴ・エリクソンの文章だけは、ちょっと真意が私には量りかねた。
「南北戦争が奴隷制をめぐる戦争だったことをいまも何百万もの白人アメリカ人が認めようとしない今日」というのはどういう意味で書いているんだろう。今も差別や格差はなくなっていないということかしら・・・原文を読んでもよく理解できなかった。なんの補完情報もついていなかったが、どういう趣旨で書かれたものなのか、何に発表された文章なのかくらいは書いてほしかったかな?

『冒けんに入らなかった冒けん』は、入らなかったなら、別にあえて読まなくてもいいんだけどなぁ、という感じで読んだが、しかしこれも意外に楽しんで読んだ。世界共通の「男子小学生的マインド」が描かれていて、なんか、笑えて力が抜けた。

2019年12月10日

読書状況 読み終わった [2019年12月10日]
カテゴリ ファンブック

ファム・ファタールものって、肝心のファム・ファタールに納得がいかないことが多いので、あんまり好きなジャンルではないのだけど(女は男性作家の女性描写には厳しいのである!!)、この表紙の女性の写真が素敵で「赤い髪の女」ってタイトルにピッタリな感じなので、手が伸びた。

あと、ついでに、最近エルドアンのおかげで何かとお騒がせな印象の現代トルコについても、訪れたことがないせいか全然イメージがわかないので、何かとっかかりになるといいなぁ、という思いもあって読んでみた。ニュースになるのはどうしてもネガティブなことが多いしね。(小説は逆にその場所への愛を感じることの方が圧倒的に多い。たとえネガティブな事件が描かれていても)

舞台であるイスタンブルとその近郊の描写はやはりとても興味深かった。都市がわずかな期間にみるみる増殖していく様子は、トルコに限らず世界中にあることで、でもそれでいて東西が融合する都市、という旧来のイメージどおりな、トルコならではな描写もあって、文字から町の様子を想像するのは楽しかった。
トルコの人たちにとっても、ボスポラス海峡の向こう側は西洋、っていう印象が強くあるんだなぁ。

ファム・ファタールについては、まあいつもどおりで(悪い意味で)、あと主人公もなんだかマヌケな男だったから、なかなか話に乗れなかったが、マフムト親方のおかげで前半のダルさを乗り切ることができた。

オイディプス王の物語は気持ち悪くて私は個人的に大嫌いで、だから、この話が持ち出された時は「えー、またエディプス・コンプレックスの話? みんなその話、ほんと好きだね~」と、題材として手垢がつき過ぎな感もあって、うんざりした気持ちになったが、マフムト親方が一度聞いただけでこの話の「教訓」を言葉にした場面は非常に魅了された。なんておもしろいおっさんなんだ、と思った。

その後、親方に何が起こったんだ?という謎をとにかく知りたくて、あとはぐいぐい読んだ。
ちょっとしたどんでん返しなどあり、ミステリーとしてはなかなかおもしろかった。
でも、また同じ作家の本を読みたいか、と言われると微妙・・・

ただ、代表作と言われている「わたしの名は赤」はいつか読んでみたい。おもしろそう。

2019年12月9日

読書状況 読み終わった [2019年12月9日]
カテゴリ 小説(海外)
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大変に興味深く、おもしろかった。特に前半。
感想を書こうと思ってパラパラとめくりながらメモったりしていたら、またうっかり最初から読みふけりそうになった。

英語の歴史については、まず最初にゲルマン語がケルト語を駆逐してしまったこと、それから、バイキングの言葉が文法に大きな変化をもたらしたこと、その二つを昔ざっくりだが聞いたことがあって、おもしろいなぁ、もっとちゃんと知りたいなぁ、とずっと思っていた。
この本はその好奇心を十分に満たしてくれた。
Amazonのbot君が何をどう分析したのかは不明だがオススメしてくれた本。(個人情報とターゲットマーケティング云々については「サピエンス全史」の解説番組を見て以来、心の中で折り合いをつけました・・・笑)

民族の興亡による言語の変化はどの言語にも起こりえることで、ありふれたことのように思うが、この本を読むと、それだけじゃなく、一人の人間の業績が「英語」の発展に多大に寄与したということも同じく多々あると分かった。そのエピソードがいちいち毎回感動的で驚いた。

中でも、イギリスで唯一「大王」と呼ばれる国王、アルフレッド大王。
なんという知性の持ち主なのかと心底驚く。
9世紀に、国民の識字率を上げることが富国に結びつくと考えるなんて、その先見性にはびっくり。

「let there be light(光あれ)」という訳文を考えたオックスフォードの古典語学者にして革命の戦士、ティンダルの業績も胸を打った。著者が、「世界中の作家という作家が、ティンダルのリズムを体得しようとし、彼の言葉が与えてくれた豊かな可能性を享受した」とべた褒めなのも、抜粋の文を読むと分かるような気がした。シンプルなのにすごく美しい。

「大母音推移」のことは全然知らなかったので、とても興味をかきたてられた。ああ、だから発音がああなのに、スペルはこうなのね、なんてすごく腑に落ちて楽しい。なぜそんなことが起こったかというのは今もミステリーだ、ということまでが、とにかくおもしろい。
タイムマシンで言語学者をその時代に送り込んで、事情を解明してもらいたいくらい。
日本語も、「はひふへほ」は昔は「ふぁふぃふふぇふぉ」だったんだよ、と国語音声学の授業で聞いたのを思い出す。

逆に、「たった一度だけ起こった」という構造の変化(文法の変化)については、割とすっきりと解明してくれていて、これはこれで大変におもしろかった。
デーンローという言葉は初めて聞いたような気がするが(世界史で出てきてたにもかかわらず、私の脳がきれいに忘れているだけという可能性もある…)、その境界近辺で、商取引で間違いがあってはいけないからということで、今のような「語順が重要」な文法へと変化が起こった、という。なんとまあ、おもしろい。商人ってのは、いつの時代も柔軟で実際的で、政治的な壁なんか、軽く、とは言わないまでも、なんだかんだでしたたかに飛び越えちゃうよなぁ、と感心する。
フランス語の侵略にも耐え、やがて産業革命の言葉となり、今や世界語となる鍵は、この文法上の特徴にあるような気が私はどうしてもしてしまう。(もちろん、そのせいかどうかは神のみぞ知る)

とまあ、こんな感じで、知らない「英語の歴史うんちく」がいっぱいで、非常に楽しい読書であった。いつか、この本と同時進行で製作されたという映像の方も見てみたい。すごくおもしろそう。

余談だが、ほとんど英語には取り入れられなかった、というケルト語語源の単語の音の響きが特に好きだなぁ、と思った。エイヴォン(Avon)、テムズ(Thames)、 エスク川(Esk)、ワイ川(Wye)、ドーヴァ―(Dover)、ロンドン(London)・・・

2019年12月4日

読書状況 読み終わった [2019年12月4日]
カテゴリ 英語学習

本屋で一目ぼれ。
全ページ、なめるように読んで、うっとり眺めた。

山口晃氏というと、こまかーい絵巻物風の街の絵を描く人、というざっくりしたことしか知らなかったが、ずいぶんトボけたおもしろい人なんだな~と思った。
挿画1枚1枚に添えられた文章があまりにもおもしろく、夢中になって読んだ。
しかもインテリジェント。画集なのに、いくつもいくつも知らない言葉がいっぱい出てきて、調べちゃったよ。「赤備え」とか。「桿体視覚」とか。

私が選んだわけではないですが、我が実家は浄土真宗。
ひいおばあちゃんが亡くなった時、49日間、毎日のように家族総出でお経をあげさせられたので、私は当時小学校低学年でしたが、いまだにところどころ覚えていて暗誦できる。(意味は不明のまま)
さらに、親鸞の人となりについては妻帯もした割と合理的な人、という印象もあり、興味は大いにあるので、小説の方も読んでみようかしら、なんて思いながらこの画集をめくっていたが・・・

五木寛之センセイだかなんだか知らんが、いちいち挿画に口を出していて、なんと「顔禁止令」まで出していたと知り、猛烈に腹が立ったので、そんなヤツの小説など読まん! 読むのはやめ!(笑)

なんで自由に描かせないんだ。
どうせ挿絵でイメージが固定するのが嫌だったのだろう、と想像するが、もう人間が小さいったらない。
挿絵に限定されてしまうような内容ならそれだけのものなんでしょうが、と言いたい。
しかも、センセイがこういう絵にしてほしい、って出してきているその要望がもう陳腐っつーか、ショボイっつーか、ありきたりで平凡でガッカリする。

ああ、センセイがしょーもないことを言わなければ、善鸞だって、卵なんかに描かれずにちゃんと顔を描いてもらえたんだろうに、と残念でならない。覚蓮坊だってベルク・カッツェのかぶりものになっちゃってるし。
顔がいいのに。いや、顔がないのも全部いいんだけど、顔が出てくると、すごく胸にぐっと来るんだけどなぁ。ああ残念。
(ベルク・カッツェはおもしろいからどっちでもいいけれど)

そういえば、「どこかのお寺のブログに "手抜き" と批判されていた」という絵、第二シリーズの最初の絵「2-001」(激動を予感させる強い風の中に親鸞と恵信が立っている絵)、私はものすごく好きなんだけど、これを手抜きと言う人もいるんだ、と驚愕した。
センセイに限らず、絵というのは結局数学みたいに答えが1つじゃないから、長期にわたって挿絵を描くってのはノイズが多くなるもので、大変な作業なんだなと思った。

余談だけれど、新聞の連載小説というのは、出版社が配信していて、複数の新聞で採用されることもあるんだ、と初めて知って、そのことも興味深かった。

実は今、会社で購読している某ローカル紙の連載小説がめっちゃくちゃおもしろくて、毎日毎日、ウッキウキで読んでいる私。
その名も、「いい湯じゃのう」(風野真知雄 著)!
タイトルを初めて見た時は、「えー、つまんなそう・・・ガッカリ・・・」などと失礼なことを思ったのだが、いまや、会社に行く原動力の1つと言ってもいいくらいの大切な存在に。
今まさに物語はクライマックスなので、目が離せません。っていうか、大団円に向かっている気配があるので、もうすぐ終わるのか?と「いい湯じゃのうロス」に脅えてすらいる始末。

山口さんが画集の中で、「新聞小説には、読者からの感想自体がまず来なくて、たまに来ても設定がおかしい、などの苦情ばかりだそうだ」と書かれていたので、ここは長く続けてもらうためにも、新聞社にファンレターを書くべき?などと考えている私であった。

2019年11月25日

読書状況 読み終わった [2019年11月25日]
カテゴリ 写真集・画集
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