1986年に実際にあった中野区立中野富士見中学校の生徒がいじめを苦に自殺した事件を追ったノンフィクション。
鹿川裕史くんは、盛岡の駅地下のトイレで首を吊って死んでた。
クラスのみんなや先生による虐めを苦にしての自殺。
親も別居や離婚、復縁などがあった複雑な家庭環境の中、何も精神的な支えがなかった鹿川君。
死ぬ何ヶ月か前には、彼を死んだことにする「葬式ごっこ」が行われ、クラスのほとんどの生徒や4人の教諭の著名まであったという。
この本を読んだときに、重松清の「十字架」を思い出した。
クラスの子が虐めを苦に自殺して、その後、同級生は何か感じ何を背負っていきてきたか。
何人かの元級友による8年後の証言が書かれていて、みんないろんな葛藤や思いをもちながら、重い十字架を背負ってそのこなりの人生を歩んでるのに、すこしは救われた気がした。
みんなその当時はそういう環境の中、それは仕方なかった。そんな大それたものではなかった。
と言ってたけど、鹿川君の自殺に寄って、彼らはいろいろ考えさせられたんだと思う。
じゃないと、彼の死が無意味なものになってしまう。
ある生徒が言ってた
『あれだけのことをしてしまったんだから、そのことを忘れて生きるのは、許されないと思う。』
胸が熱くなった。
いろいろ言いたいことはいっぱいある。
やっぱりこういう虐めは学校や家庭の環境が、もっと子供のことをサポートしてあげる体制になってないからおこるのか?
本当は、一人一人が愛情に飢えてたから、そういう虐めが出てきたのか。。
先生も親もまわりに流され、子供のことを本当にかまわなくなった。
子供のことを本当に親身に考えていたら、平手打ちをしても子供はちゃんと育ったはず。
これは、大人たちの責任なんだと。つくづく思った。
子供をかまいすぎるのも良くないけど、子供がこまったときや困難に陥ったときに、自然と手を差し伸べてあげられる親になりたい。
- 感想投稿日 : 2012年11月28日
- 読了日 : 2012年3月21日
- 本棚登録日 : 2012年11月28日
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