解説を書いている三浦雅士の『孤独の発明』から流れてきた。
「うたげ」(古典詩歌の集合的想像の座)と「孤心」(その場を経て還らざるを得ない個としての場)の取り合わせが面白い。
「『合す』意志と『孤心に還る』意志との間に、戦闘的な緊張、そして牽引力が働いているかぎりにおいて、作品は稀有の輝きを発した」
中盤から終盤にかけては、和泉式部と藤原公任、後白河法皇の今様狂いがクローズアップされている。
これらの時代、歌は生活手段であり、公的技芸でもあったことが現代の私からすると不思議に思う。
単なる宴会とも違い、儀式とだけ言うと固すぎる。
物を見立ててインスピレーションを働かせたり、時には自身の恋やその経験を披露したりする。
その中で、思いもよらない言葉が生まれたりするのは、対話の効果にも似ているのかもしれない。
言葉を経て、また自分に還ってゆくところも。
たとえば、演劇も集合的芸術だと言えるけれど、舞台だからこそ息づく何かを、演者はどう感じているのか知りたいと思った。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
2020年
- 感想投稿日 : 2020年4月23日
- 読了日 : 2020年4月23日
- 本棚登録日 : 2020年4月23日
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