李陵・山月記・弟子・名人伝 (角川文庫)

著者 :
  • KADOKAWA/角川書店 (1968年9月9日発売)
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本棚登録 : 1378
感想 : 106
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もう何度読んでいるかは分からないが、折に触れて中島敦を読みたくなる時がある。

「隴西の李徴は……」から始まるあのリズム美に触れたくなるのだ。もはや中毒である。

そういう意味で、中島敦はすごい作家だなあと思う。33歳という若さで亡くなったが、この人が作品を生み出し続けていたなら……と想像してみると面白い。

私が角川版を購入したのは、森村玲さんのカバーが中島敦観とマッチしていたから。
最近、どの出版社にも言えるのだが読者獲得のために、不必要なほどマンガテイストのものに変えないでほしい。。。

さて。
「山月記」は言わずもがな、私は「名人伝」も大好き。
紀昌が世話になった師匠を倒さんとするも失敗したあとの、謎の和解ハグシーンはいつ読んでも笑ってしまう。

この「名人伝」から改めて繋がった作品が、オイゲン•ヘリゲル『日本の弓術』である。
こちらはエッセイだが、ぜひ触れて欲しい。

【2016.12.29再読】

万城目学『悟浄出立』を読んで、改めて「悟浄出世」「悟浄歎異」、「李陵」を読む。
沙悟浄の立ち位置。
活躍する者ではなく、調停する者であるという、いわゆる脇役でしかない嘆き。
けれど、悟浄の視点だからこそ、物語は小説へと変化出来たのだろうし、三蔵と悟空の持つ性質を言語化出来る思考を持ち合わせる存在は、悟浄しかいない。

「李陵」は、李陵と司馬遷の二人の苦悩から成る。
どちらも主君に見捨てられた者として辛酸を舐める。
しかし、宿命とも言える仕事に没頭出来た司馬遷と、匈奴の中で身を休めることが出来ながらも、蘇武との決定的な差にジリジリとする李陵ではその後が違う。

自分の足元に何が拡がっているのか。
人が宿命を感ずる時とは、一体どのように訪れるのだろう。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 2014年
感想投稿日 : 2014年7月28日
読了日 : 2014年7月28日
本棚登録日 : 2014年7月28日

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