もう何度読んでいるかは分からないが、折に触れて中島敦を読みたくなる時がある。
「隴西の李徴は……」から始まるあのリズム美に触れたくなるのだ。もはや中毒である。
そういう意味で、中島敦はすごい作家だなあと思う。33歳という若さで亡くなったが、この人が作品を生み出し続けていたなら……と想像してみると面白い。
私が角川版を購入したのは、森村玲さんのカバーが中島敦観とマッチしていたから。
最近、どの出版社にも言えるのだが読者獲得のために、不必要なほどマンガテイストのものに変えないでほしい。。。
さて。
「山月記」は言わずもがな、私は「名人伝」も大好き。
紀昌が世話になった師匠を倒さんとするも失敗したあとの、謎の和解ハグシーンはいつ読んでも笑ってしまう。
この「名人伝」から改めて繋がった作品が、オイゲン•ヘリゲル『日本の弓術』である。
こちらはエッセイだが、ぜひ触れて欲しい。
【2016.12.29再読】
万城目学『悟浄出立』を読んで、改めて「悟浄出世」「悟浄歎異」、「李陵」を読む。
沙悟浄の立ち位置。
活躍する者ではなく、調停する者であるという、いわゆる脇役でしかない嘆き。
けれど、悟浄の視点だからこそ、物語は小説へと変化出来たのだろうし、三蔵と悟空の持つ性質を言語化出来る思考を持ち合わせる存在は、悟浄しかいない。
「李陵」は、李陵と司馬遷の二人の苦悩から成る。
どちらも主君に見捨てられた者として辛酸を舐める。
しかし、宿命とも言える仕事に没頭出来た司馬遷と、匈奴の中で身を休めることが出来ながらも、蘇武との決定的な差にジリジリとする李陵ではその後が違う。
自分の足元に何が拡がっているのか。
人が宿命を感ずる時とは、一体どのように訪れるのだろう。
- 感想投稿日 : 2014年7月28日
- 読了日 : 2014年7月28日
- 本棚登録日 : 2014年7月28日
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