うわぁぁぁーーーーーっ!
確かに、しっかりと、その「叫び声」を聞いた・・・。
「人間みなが遅すぎる救助をまちこがれている恐怖の時代には、誰かひとり遥かな救いをもとめて叫び声をあげる時、それを聞く者はみな、その叫び声が自分自身の声でなかったかと、わが耳を疑う」(ジャン=ポール・サルトル)
生臭さと、鋭利さと、ざらつきが一度に迫ってくるような、そんな小説。
エロスとグロテスクとタナトスに彩られ、眉をひそめるような嫌な感覚がびしびし伝わってくるのだが、それがまた生々しくて、小説の状況とは裏腹に活き活きとしていて、とても面白かった。青春群像劇特有の疾走感も良かったのかもしれない。
サルトルの言葉からイマジネーションを受けた大江は、社会から疎外された、僕、呉鷹男、虎の若者3人とダリウス・セルベゾフとの奇妙な同居生活、そして、彼ら共通の夢、レ・ザミ号での航海を目標とするところから端を発して、それぞれが声なき「叫び声」を発するにいたるまでの人間模様を鮮烈に描いている。
希望を打ち砕かれ、閉塞感が漂いながら、しかし、孤立な生き方しかできない若者たち。社会は決して受け入れてくれず、また、社会に馴染もうとせず、最後の居場所として集った若者たち。若者時代に感じたこうした何かを少しでも思い出せれば、彼らの叫び声はまさに真に迫ってくるものとして感じられるだろう。
大江の創作した若者たちはかなり極端である。そして、性的な色を放ち過ぎている。しかし、だからこそ僕らは矮小な自分として、こうした感覚が呼び醒まされてくるのだ。
大江の放つ「言葉」はみずみずしくも研ぎ澄まされている。1960年代という時代に対して、大江自身の「叫び声」として真っ向から対峙し、勝負した作品であったのではないだろうか。
- 感想投稿日 : 2015年5月25日
- 読了日 : 2015年5月24日
- 本棚登録日 : 2015年4月8日
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