戦国大名の「外交」 (講談社選書メチエ)

著者 :
  • 講談社 (2013年8月9日発売)
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感想 : 16
5

戦国大名の「他国」との「外交」を担った「取次」に焦点をあて、戦国時代におけるその具体的実相を明らかにするとともに、それから明らかとなる戦国大名の権力構造にまで踏み込んだ力作。
実のところ、最近の戦国史物の読者へ媚びる傾向には辟易していたのと、また最近、戦国史研究者のお気楽な論理展開や「歴史を視る目」を疑わさせるような論旨に出会うことが多かったため、本書も少し侮っていた。(笑)
案の定、最初に戦国大名の戦争の本質は「国郡境目争論」だとしたり、武田信玄が今川氏真との同盟を破り駿河へ侵攻した際に、北条氏康が氏真室である自分の娘が徒歩で逃げる羽目になったのを面目がつぶされたとして武田と手切れし駿東に侵攻したのだ、とする話があったりして暗澹たる気持ちにさせられたものだ。(笑)
もとより、国境紛争としての「国郡境目争論」は多々あったには違いないし、他国との両属関係にあった国衆の突発的行動が否応のない戦闘状態に発展したこともあっただろう。しかし、文書史料に「国郡境目争論」と記載されているからといって、文字通りそれを国境紛争のみと捉えるのは大きな誤りだと思う。
そもそも両属状態の場合でも、それは暫定的に緩衝地域を生み出した結果であり、長期の政略・戦略的にみれば自己拡大運動を指向することになる戦国大名にとってみれば、いづれはそれの解消を迫ることになるだろうし、北条氏康の娘の話も面目をつぶされたことを口実にしているだけであるだろう。三国同盟を破った相手が隣国付近にまで迫っている中で、仮に娘が輿に乗って逃げることができたとして、逆におめおめと手をこまねいている方が変である。(笑)まさに「戦争」は「外交」の延長線上にあるのであり、非を打ち鳴らし「戦争」状態を惹起させることにより状況を有利にしようとしているに決まっているではないか。まさか証明書類とも成りうる文書に、あわよくば侵略しようと思っていました、これ幸いと領土拡張作戦を行いました、と書けるはずもない。(笑)いま中国も何も尖閣諸島だけを欲しているわけでも、前の胡錦濤主席の面目がつぶされたからでもなく、非を打ち鳴らし「口実」をもうけ、さらに「その先」を見据えているのだ。それが政・戦略というものだ。秀吉が島津義久と大友義統への停戦命令の中に「国郡境目争論」を持ちだしているのは、自らの「惣無事」論理の適用と国分裁定者たらんとしているからではないだろうか。そう考えないと、戦国大名らによる領域拡張運動は説明がつかないことになってしまう。
さらに本書の話に戻ると、歴史上「取次」などそう珍しい存在でもないし、起請文や書状の作成の仕方、戦国時代の書札礼の概説的解説が長々とあったりして(これはこれで戦国時代の書札礼の勉強にはなったが)、これは選書レベルではないなと感じながらも読み進め章を重ねていくと、これが意外や意外(失礼!)、だんだん面白くなっていったのにはびっくりした。(笑)
宿老クラスと側近クラスがペアで、それぞれのカウンターパートと交渉する話や、『戦国遺文』などをみていると副状や使者の口上という言葉が多く散見されるが、その意味するところや制度的慣習がわかり、いろいろと興味深いものがあった。さらに「取次」自体は私的交渉を公的に取り込んだものであるが、それが「取次」役の報奨や利益にもつながったという話は目から鱗のような感じであった。
そして何より本書の真骨頂は、現代語訳した「外交」文書そのものを掲載し、交渉の成り行きを辿っていくところである。特に、北条氏康と上杉謙信との交渉過程や、主に『上井覚兼日記』をもとに再現した島津氏と大友氏離反を画策している国衆との交渉過程の描写は、それぞれの思惑のすれ違いが見事にあぶり出されていて抜群の面白さであった。
冒頭での「国郡境目争論」の話などはガクっときたが、終章の「惣無事令」へつながる著者の見解などを読んでいると、それなりの「視点」でもって考察されていることもわかり少し安心もした。(笑)
戦国大名の「取次」を論じることで、戦国時代を覆う社会ルールや、ひいては戦国大名の権力構造をよく理解できる一書になっている思う。
本レビューでは筆が滑りすぎたので、支離滅裂な個所があればご容赦。(笑)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 選書
感想投稿日 : 2013年12月11日
読了日 : 2013年12月8日
本棚登録日 : 2013年8月10日

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