コロナで全国の学校が休校措置を取らざるをえなくなったことを受けて、期間限定で無料公開されていたので読みました。
たった14歳でオーストリアのハプスブルク家からフランスのブルボン家に嫁ぎ、二度と祖国に戻ることも家族に会うことも叶わなかったマリーアントワネット。
本来は姉がフランスに嫁ぐ予定だったのが、ナポリ王の婚約者が急死したため姉がナポリ王のもとに嫁ぐことに。そうしてマリー・アントワネットがフランスに嫁ぎました。
運命というものはこのようにあっけなく変わってしまうことがあるんですね。。
幼少期は勉強に関心を示さず集中力も続かなかったが、音楽やダンスの才能があったそう。時代が違っていたら、今日のように悪女と言われることなく、気品あふれる王妃として歴史に名を残していただろうと思います。
有名な「パンがないならケーキを食べれば、、」の台詞(実際はマリーアントワネットが言ったものではなく、ルソーの小説に出てきた貴族の女性の台詞だそうですが)にもあるように、贅沢三昧をしたせいで財政が傾き、王朝が終わりを迎えたかのような印象がありますが、実際はマリーアントワネットが嫁ぐ前、ルイ15世の時から既に財政状況はやばかったようです。
しかもその頃、アイスランドでの火山の噴火により農作物の不作が続いていました。人々は食糧難に陥り、同時に物価高騰に苦しんでいたのです。
さらにフランス啓蒙思想が広がり始めており、人権というものが意識され始めた時代でもありました。
もっと言うと、1770年代のアメリカ独立戦争を支援したことにより、フランスの財政は最悪な状態となっていました。
イギリスを出し抜くためにアメリカを支援したのに、アメリカ独立に続いてフランス革命が起きてしまうなんて皮肉ですね。。
またその時代といえば印刷技術が発達した時代でもありました。
豪華絢爛な宮殿での暮らしがゴシップとして初めて民衆の目に入るようになっていたのですから、怒りは当然そちらに向きます。
人間不満があると誰かのせいにしたくなってしまうのは、どの時代でも同じなんですね。ヒトラーが台頭してきたドイツを想起させるようでもあります。
そういったことを考えると、マリーアントワネットが処刑されてしまったことに限らず、すべての歴史は偶然の結果としか言いようがないなと思います。
処刑台に上がるとき、処刑人の靴をうっかり踏んで「ごめんなさい、わざとではないのよ。でもあなたの靴が汚れなくて良かった」と言ったのが最後の言葉と言われています。王妃としての優しさと気高さを感じる一言だなと思います。
ちなみにベルサイユ宮廷では一度もドイツ語を話さなかったそう。
マリーアントワネットが1人の女性としてどんな生涯を送ったのか、歴史の渦に巻き込まれた悲劇の王妃としての彼女の人生にとても興味が湧きました。
- 感想投稿日 : 2020年3月16日
- 読了日 : 2020年3月10日
- 本棚登録日 : 2020年3月10日
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