※読んだのは電子書籍版です。
中高生のころに一度読み、火の鳥の中でも忘れられず、再読しました。我王、猿田彦に惚れ込んでいたのを思い出しました。
彼の力は世に対する怒りの力です。
生まれてすぐに隻眼隻腕になってしまったこと、自分を迫害する人々に対する怒り、速魚を疑って殺した己への怒り、飢える人々を放り出す権力への怒り。
それらは良弁上人との出会いで、像をつくることでその怒りの力を昇華させることを学びます。
一方、荒れていた頃の我王に腕を切られた真面目な好青年であった仏師・茜丸は、都に登り権力の悪に染まってしまいます。彼の良心のような存在だったブチとの関係の変遷も切ない。
都で再び仏師として対峙することになった二人の善悪は、長い時間を経て、いつのまにか逆転していたのでした。
良弁上人は権力によって仏教が利用され、教えが汚されるだけの世の中に悲観し、即身仏になって自ら命を経ってこの世から逃げた。(即身仏は仏教修行の一種ですが、手塚治虫さんがそれを逃げだと表現したのが面白い)
だけど、こんなに汚れた世の中だけど、我王はそんな権力にくらみ、迫害されて嘆き、死んだ目をした人々を生き返らせたいと望んだ。
そして、自ら生き続けたいと願った。
それは我王自身が悪から善へ生き返った人間だったからなのでしょう。
読書状況:読み終わった
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- 感想投稿日 : 2014年10月15日
- 読了日 : 2014年10月15日
- 本棚登録日 : 2014年10月15日
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