密室 (角川文庫)

  • 角川書店 (1983年1月14日発売)
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〝密室〟を描くことで、作者は都会に暮らす人びとの深い孤独を浮き彫りにする。1972年当時のストックホルムを覆っていた重苦しい空気について、作者はこんな風に書いている。「暴力は反感や憎悪のみならず、不安や恐怖をも醸成するものである。人々はしだいに互いを恐れるようになり、ストックホルムは不安に怯える数十万もの人々を擁する都市となった。そして、恐怖にすくみあがった人々は危険な人々でもある」(73頁)。そこでは、誰もが被害者になりうると同時に、いっぽう加害者にもなりうる。

そんな、抑圧された現代社会のもとで畏縮した都会人の心もまた、ある意味〝密室〟のように閉ざされている。その点、主人公マルティン・ベックも例外ではない。ようやく負傷からは立ち直ったものの、心に負った傷はまだ癒えていない。そんな折り、現場復帰し不可解な密室殺人事件の捜査に乗り出した彼は、その過程でひとりの生き生きとした女性と出会う。殺伐とした都会にあって、なにより人間的な絆を尊重する彼女の存在にやすらぎを見い出し、少しずつ生気を取り戻してゆくベック。読んでいて思わずホッとする。

密室殺人と銀行強盗、ふたつの事件が複雑に絡み合いながらストーリーは展開してゆく。都会特有のエゴイスティックな情報に翻弄され、身も心も疲れきった警官たち。不注意によるミス、独善的な捜査、情報の読み違い、焦燥感…… そんな負の連鎖の中まんまと網の目をすり抜ける狡猾な悪人の姿もまた、ほかならぬ都会人のもつひとつの顔なのだ。ラスト、現代社会にむける作者の目は、いつになく厳しい。

文中、ドッグフードを食べて細々と命をつなぐ老人という描写がたびたび登場するが、それについてはぼくも以前フィンランド人の知人から聞いたことがある。女性の社会進出が進んでいる北欧の社会保障制度は、そのぶん専業主婦に対してはひどくシビアなのだという。そのため、夫に先立たれ年金の支給を打ち切られた年老いた専業主婦のなかには、やむなくスーパーで手に入れた安価なドッグフードで命をつないでいるひともいるのだとか。まさに〝福祉国家の光と影〟といったところか。

そのあたりの経緯は、巻末に付された訳者によるペール・ヴァールー女史へのインタビューでも触れられている。シリーズが進むにつれペシミスティックな色合いが濃くなってきたのでは?という問いかけに対し、社会民主党政権が導入した「社会主義と資本主義をミックスしたような経済システムはけっして良い結果を生まなかった」と指摘しつつ、けっして当初から社会批判的なものを書こうとしていたわけではないと語る彼女。「つまり、この十年間におけるスウェーデン社会の変化が、わたしたちにペシミスティックになることを強いたと受けとっていただきたいわ」。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2013年8月17日
読了日 : 2013年8月17日
本棚登録日 : 2013年8月17日

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