集団に流されず個人として生きるには (ちくまプリマー新書 421)

  • 筑摩書房 (2023年3月9日発売)
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【一人称単数】
群集心理について、有名な研究を紹介しつつ、世界や日本の実例に触れながら教えてくれる本。身近な経験にも重ね合わせながら読めると思う。

ギュスターヴ・ル・ボンの『群集心理』が発行されたのは、1895年。

当時の日本は、日清戦争の終わり、そして同年に韓国の王妃の閔妃をその宮廷内で暗殺する。

『群集心理』では、多くの人が群衆の一人になった時、暗示を受けやすく物事を軽々しく信じる性質」を与えられるとする。(本文より)

この本が出された後。逆に権威はこの作用を濫用して多くを成し遂げてきているのかもしれない。逆にそうして利用されてきた個々人は、この作用が示されているにもかかわらず、それに対抗するための思考、教訓からの学び、そして行動がまだまだ不足しているのかもしれない。



歴史的出来事の例として挙げられていたのは、日本の満州事変、第二次世界大戦を始めたドイツのポーランド侵攻、そしてナチスによるユダヤ人虐殺、21世紀に入ってからのイラク侵攻、ウクライナ侵攻…

人間の傾向として、不安恐怖を抱くと群れる、という。そして、群れは、異質を排除しようとする。

群れることで安心を得ようとする人々の心理。これは、個々人にも経験があると思う。

人は、時代とともにより多くの自由を得る一方で、自由は孤独と隣り合わせ。

エーリッヒ・フロムによると、自由に耐えられないと権威に服従する。他者を排除する傾向にある。

ジャニスが論じる「集団浅慮」では、人が群れたときに考えが浅はかなまま行動することをいう。

ハンナ・アーレントは、そうした思考停止に警鐘を鳴らす。

委縮、忖度、思考停止。有名な研究事例は、ナチスドイツ時代のアイヒマン、ヘス。



著者は、特に日本は、群れる傾向が強いと考える。

空気、世間という全体の動きに合わせる。

震災で叫ばれた、キズナ。この語源はしがらみなどだという。

群れること、まとまりを作ることで、同じ動きをすることを全体の流れとして決める。

個人的にふと思ったのは、「社会人」になる時に多くの個人が皆に倣って不本意でも同じ動きをすること。自立、責任が求められる中で、多くの不安がある。だから、より周りに合わせようとする傾向が強まるのかもしれない。

メディアはこの本の議論の中でも重要なポイント。市場原理と切り離すべきジャーナリズムはその役割と立場について、市場原理と切り離すべき、という。

ジャーナリズムの自主規制が幻想であるとし、メディアは明確な規制がないことを恐れている点についても述べられていた。

最近では、2022年12月に閣議決定された、敵基地攻撃に関する法案について。この件では、敵基地への攻撃を「反撃」と言い換えていると指摘。

これまで戦争などにおいても、全体の統制を要する際に権威による言い換えが目立つ。

全滅を玉砕、後退を転進、と言っていたのは最近よくいろいろな本でも触れられていた。

そして今日も、この権威による群集心理の濫用が継続されていること。

日本で特有の被疑者の実名報道についても書かれていた。

これも、人間の善悪を分けるカテゴリー付けが強い、事につながりがあるのかもしれない。訂正可能性を許さない傾向。

一方個人的に思ったのは、記者の実名投稿について。この本では触れられていなかったけれど、逆に記者個々人の名前が各記事に記載されないことが日本ではよくあるのではと思ったりしていて、これはどう関係するのかな。報道内容に対する責任の不在、みたいなのが起こりえないのかな、とか思ったり。

SNSでも日本は特出してアノニマスなアカウントが多いという。だから著者は、一人称単数での発信、行動を奨励する。

そして、ネット上でも、声の大きいものに巻かれるエコーチェンバーの作用についても注意を促す。

結論として、

今必要なのは、メカニズムを探る、歴史、教訓を学ぶ、一人称単数の主語を抜かないこと。個人名を出さずに投稿している私も、群れの中での安心感に浸る傾向が強い。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: non-fiction
感想投稿日 : 2024年4月7日
読了日 : 2024年4月6日
本棚登録日 : 2024年3月22日

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