石を探しに行くところで、初めてストーリーらしきものが始まります。
そのときに、既にぼのぼのの世界観の特異さが際立ってくるのだ。
ポイントは、
偶然を運命とするところ
物に意志が宿ると考えるアニミズム
神はいない
結論として、古代人の感性に、神の不在をプラスしたあたりにぼのぼのの世界観の特異性があるのではないか、と思っています。
あとは、自己と他者の未分化、という要素も後々見えてくる気がするけれど、それは別の話。そこを考えると、ピアジェの発達理論における幼児期の特性とかに思えてくる。幼児期は、原因と結果の関係を知ったり、アニミズム的な思考を通して、抽象的思考が可能に成長していくそうです。
そっちでいけば、古代というよりも、幼児期の思考をベースにいがらしさんが作り上げた思考になる。まあ古代にしろ、幼児にしろ、その気持ちになれるというのは本当に恐ろしい人だと思う。
今回は、偶然投げられて命を救うことになった石に運命を感じるところがよい。そこに石の意志が存在するのでは、となる。偶然に運命性ってバカな、と思うのですが。でも、よくよく考えればギャンブルと恋愛においては、大人になっても運命性をバカみたいに考えてしまう。本気で超常的な因果関係を考えてしまう。たとえば、これだけ負けたから、次こそ当たるだろう、とか。残りの牌も少ないしそろそろツモるだろう、とか。全然因果関係を無視した運命の存在を、結構信じてしまう。きっとそれらは脳みその中に残った領域の、いつもは使われてないとこら、原始的なところを疼かせる事象なのかもしれません。
あと、この世界観において擬人法という言葉は意味がない。すべてに意志があるのだから。
ファンタジーにおいては比喩は存在しなく、児童文学においては擬人法は存在できない。修辞法というものの存在が、いかに狭く理知的と呼ばれる世界の代物かを教えてくれる
この頃のシマリス君はむかつく。絶対バカにしている。
- 感想投稿日 : 2014年8月23日
- 読了日 : 2014年8月23日
- 本棚登録日 : 2014年8月23日
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