- 百人一首 編纂がひらく小宇宙 (岩波新書 2006)
- 田渕句美子
- 岩波書店 / 2024年1月23日発売
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『百人一首の現在』(青簡舎)所収の論文群を一般向けに書き下ろした本。だけど『〜現在』では頓阿編纂説まで踏み込んでるのにそこははっきりとは書いてないんですね。なんで? おもしろい詠み人の官位表記の指摘についてもさらっとだけ。
2024年2月21日
- 清少納言を求めて、フィンランドから京都へ
- ミア・カンキマキ
- 草思社 / 2021年7月30日発売
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「私は、あなたに話しかけられた世界中で唯一の人間だと思ってきた。自分は選ばれた人間で、他の人には見えていないものが見えていると思ってきた。私だけが少なくとも霊的な通信ができる、だからあなたについて他の誰にもわからないことがわかるんだ」
これこそ『枕草子』に魅了された人がみな抱いてしまう思い込みだと嬉しくなってしまった。1000年の時代の隔たりを前にしては現代の日本と現代のフィンランドなどその隔たりはほとんど誤差のようなもので、作品の読者同士は時代や地理や言語の壁をこえてたがいに精神的に結びつくのが読書のすばらしさ。
あるかなきかの手がかりほしさにすがるように京都に向かい、セイ・少納言が生きていた証を探そうとしてへとへとになる。そうしてとうとう彼女はほとんど書写されてきたテクストの中にしかいないこと、そしてテクストこそ彼女が確実に生きていた証だったことにぐるりとまわって気づくのだ。『枕草子』というのはそういう古典である。
付け足すと、この作品は京都という被災地からは比較的離れた場所とはいえ、東日本大震災を体験した外国人の記録という側面もある。
2022年7月11日
- イッシュ ―図書館の女―
- 深沢千尋
- 2017年4月14日発売
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技術書やブログで有名な深沢さんによるはじめての小説作品。
深沢さんの文章の売りはなんといっても単刀直入なところだ。言及する対象にひるまない、技術者気質の明晰でよい意味でのあけすけさが小気味よく響く、そういう文体だ。テクノロジーや社会問題をネタに論評を展開するのにうってつけのこうしたスタイルが、小説となるとどのような形をして現れるのだろう?
正直にいうと、私ははじめこうした特性が小説にうまくなじまないのではないかと思った。それでまず学校といじめの話がはじまったたことに少し予定調和的な危惧も覚えた。けれども、いじめは物語の道具などではなくて、この小説が正面から組み合おうとする課題のひとつだったことがわかってきてびっくり。私のほうに小説は屈折しているものという偏見があったので、深沢さんの直截ぶりを忘れていたのである。
そうなると、いじめられる当事者の少年が主人公なのに、内的な悲劇を語る言葉よりも機能不全な社会への分析が優りがちなのが著者らしくておもしろくなってくる。いじめについて悲しさをあまり帯びないトーンで考えてくれる文章は貴重だ。深沢さんや私のような理屈先行だった少年少女なら、こうした言葉のありようを知って楽になることもあるように思う。そういう観点では本書はジュブナイルである。
この小説のもうひとつの重要な要素がタイトルにもある図書館と読書で、これは図書館がじっさいに社会から溢れた人びとの逃げ場となっているのと、読書という体験がある種の人びとにって精神的なサンクチュアリとなっていることとの重ね合わせになっている。読書とそれがもたらすものと、いじめと、ドロップアウトと、そのドロップアウトした社会への復帰とがストーリーと一体をなしている。こういうはっきりとした構成があると小説を先へと読みすすめるモチベーションになる。
映画や演劇もお好きな深沢さんだから、こうした構成的な強さがエンターテインメントには必要とわかっていたのかもしれない。それでだんだん先が気になって読み進めてしまうようになる。あたりまえだけど、おもしろいのは重要だ。後半のテスト対決の盛りあがりには引きこまれるし、終盤、それまでのトーンから抜け出た展開のショッキングさもある。ラストはきれいにまとめすぎかもしれない。
小説教室的なことをいうと、説明的な地の文や登場人物のいわゆる役割語的な言葉遣いが強すぎるのは気になったし、女性に天真爛漫に笑わせるなんてのは私の感覚ではクリシェがすぎると思うけれども、あるいはそういう指摘は引き受けたうえでそうされたのかもしれない。そこはご本人に聞いてみないとわからない。それと、ウィキペディアがある時代に100円で自販機の缶コーヒーが買えるのはたまたまときおり見かけるそういう自販機だったのかどうなのか、どうでもいいけど気になった。
2018年1月1日
- ジェシカ・ジョーンズ:エイリアス AKA 謎の依頼者 (MARVEL)
- ブライアン・マイケル・ベンディス
- ヴィレッジブックス / 2016年1月30日発売
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こっちのジェシカ・ジョーンズもおもしろかった。
2016年2月2日
- 「魅せる声」のつくり方 (ブルーバックス)
- 篠原さなえ
- 講談社 / 2012年12月21日発売
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アナウンサー出身の著者によるにもかかわらず発声練習というより日本語音声の分析に重きのある本。発音やアクセントなど、日本語の音韻についての本を読む前にその基礎として読める。逆に役者や声優志望の人には理論が先行していてとっつきにくいのでは。
2015年12月31日
- テスト駆動開発による組み込みプログラミング C言語とオブジェクト指向で学ぶアジャイルな設計
- James W. Grenning
- オーム社 / 2013年5月1日発売
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デスクトップでもCで書くことが必要になることはある。組み込みに限らずユニットテストの知見をCに応用するための参考になる。
2015年9月10日
- マウス・ガード 1152年 秋
- デイビッド・ピーターセン
- 小学館集英社プロダクション / 2015年5月26日発売
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マウスたちが都市を作る中世ファンタジーふうの世界で、そのマウスたちを守る戦士たちの冒険物語。かわいいけど媚びないアートワークが新しい世界を切り拓いている。
2015年7月16日
暗号化や電子署名といった情報技術上のセキュリティについて一通りの知識が得られる入門書。
前書きが不必要に長かったりせずタイトな説明になっていて、数学やプログラミングの基礎知識がある人が手早くセキュリティについて学ぶのによいと思う。参考文献も挙げられているのでさらに知りたい人が続けて読むといい本もわかる。
実際にどのような実装が使われてるかについては GnuPG とか SSL/TSL くらいしか出てこないので、技術書のなかではやや数学寄りかもしれない。PDF やコードの署名とか、S/MIME の例が挙げられててもよいのでは。
ところで、この本では "decryption" の訳語として一貫して「復号化」が使われている(「復号ともいう」とは書かれている)。暗号化と対になる操作は「復号」で「復号化」ではないというのは厳しく言う人もいるけれど(例: http://kei-sakaki.jp/2013/08/09/encryption-and-decryption/ )どうなんだろう。
ITのセキュリティというのはけっきょく「技術的(数学的)な操作で安全性や信頼を人が把握できる範囲の情報に落とし込む」ことだと思う。特定のテクノロジを使っているから安全なのではなくて、それを使えば○○をチェックすることで安全だと判断できるようになる、というような性質のもの。これはセキュリティに詳しくない人びとがもっとも陥る錯誤のような気がする。最終的に信用できるかどうかを判断するのはどの技術でもひじょうに社会的というか人間的な要素だというのがたびたび書かれているのは大事なこと。
2015年6月7日
- プリンセスメゾン (1) (ビッグ コミックス)
- 池辺葵
- 小学館 / 2015年5月12日発売
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いい部屋に住む。不動産屋をまわりモデルルームを見て回る。いまの住み家を出て新しい部屋へと移ることの夢(理想の暮らし)と現実感(ライフスタイルや経済的な事情)と切なさ(いまの暮らしや独身でいること)とをいっぺんにとらえてみせる素敵な作品。贅沢の世界を見せつけたりやたらと現実の厳しさばかり強調したりすることなく、部屋探しを巡る人びとを等身大にあくまでたんたんと描くバランス感覚がいい。
2015年5月17日
- アナと雪の女王 愛されるエルサ女王 (1) (角川つばさ文庫)
- エリカ・デイビッド
- KADOKAWA / 2015年3月15日発売
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エルサが過労で倒れる話で期待は裏切られなかったといえる。
2015年3月15日
- 孤独であるためのレッスン (NHKブックス 927)
- 諸富祥彦
- 日本放送出版協会 / 2001年10月30日発売
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必要な人にはとても有用なことが書いてある本ではあるものの、ナチュラルに孤独な自分にはレッスンの必要はないのであった。
……というのは言いすぎか。
じっさいには、「レッスン」が必要なのは孤独の人たちではなくて、ひとりを好むことに理解のない圧倒的多数の人びとのほうなのかもしれない。
2014年10月24日
- 快読100万語!ペーパーバックへの道 (ちくま学芸文庫)
- 酒井邦秀
- 筑摩書房 / 2002年6月1日発売
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たまにはこんな本も。
絵本、アメコミ、技術書以外の英書も楽しめるようになりたいものだね。
2014年9月12日
- 食物中毒と集団幻想
- メアリー・キルバーンマトシアン
- パピルス / 2004年7月8日発売
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これはおもしろい。黒死病やフランス革命に先立つ大恐慌、セイラムの魔女裁判などに見られる集団幻想の症状がライ麦に発生する麦角菌による中毒症状であるという論文集。
中世のヨーロッパは人口の増加率が伸び悩んだが、これはそれまで考えられていたような「人口増と飢饉・伝染病による大量死」のシーソーだけでは説明できないのだという。たとえば、腺ペストはそれが大流行するほどの人口密度があった場所は当時ごく限られた都市部だけであったし、疫病の広がりに不適当な地域でも流行期には人びとの死亡率が上昇している。出生率の低下と死亡率の上昇にはなにかべつの変数が介在しているのだ。
麦角菌は主にライ麦に発生し、摂取すると痙攣・幻覚といった神経障害や出生率低下など諸々の症状を引きおこす。本書では、中世から十九世紀にかけて集団ヒステリーや魔女裁判、さらには熱狂的宗教運動といった形をとって欧米各地に起こったできごとが、いずれも気候的・風土的な理由から汚染されたライ麦を摂取せざるをえなかった地域・時期に発生していることを詳細な統計から説明している。これまでヨーロッパの精神史とのみみなされてきたこうした事件がたんたんと生理学的説明を得るさまには知的興奮を覚えずにいられない。
僕は前からセイラムの魔女裁判に興味があったのだけど、それが集団ヒステリーによるものだという理屈だけでは、たとえば家畜が変死したといった事実については従来説明がつかなかった。それが麦角中毒によって説明がつく。
麦角中毒は近年の急速な人間の健康状態の改善によってすでにその症状が忘れられようとしている病気だったので、現代の科学でなかなか顧みられなかった。人類の繁栄と衰退は『銃・病原菌・鉄』ではないけれども戦争、感染症、テクノロジーにばかりによっていると考えがちである。しかしつい最近まで、人間の体は、それじたい自然の一部として、つねに様々な毒物にさらされていた。考えてみれば「人間の健康をむしばむ毒物は技術によって生み出された負の遺産であって自然はつねにあらゆる生命を育む慈悲ある環境である」というのは現代特有の思い込みなのだ。そういう意味で、ヨーロッパに限らず、いたるところの人間の健康史、食物史、精神史観を見直すことにまで思いを馳せさせる刺激的な本。
ただ読みものとして書かれたわけじゃないので専門家じゃないと統計を論じる箇所などはちょっとしんどい。
2014年10月6日
- 蝸牛考 (岩波文庫)
- 柳田國男
- 岩波書店 / 1980年5月16日発売
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読んでいて蝸牛を「ツンデレ」とか「ツンツンデレデレ」とか呼ぶ地方もあるかと思ったがないようだ。
2013年11月22日
- こちら『ランドリー新聞』編集部
- アンドリュー・クレメンツ
- 講談社 / 2002年2月20日発売
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タイムリーにも(というかちょっと遅いかもだけど)言論・出版の自由を扱った物語ということで、児童書だからといわずに大人も読んで得るところ多い本ではあるけれど、それが真っ向から扱われるのは後半で、前半はカーラとラーソン先生というふたりの人間の出会いと成長の物語になっていて、そこがけっこう好き。
「人を怒らせるために」真実を突きつけて憂さ晴らしをしていた新聞作りが趣味の少女カーラに、子供たちを自発的に学ばせる善い指導者からいつの間にか怠惰な放任主義の教師に成り下がっていたラーソン先生。正しい気持ちが行き場を見失っているという点では共通しているこのふたりが出会ったことでラーソン先生の授業は生気を取り戻す。この「間違っているときのふたり」に思い当たるところのある大人も少なくないのではないかと。
カーラの新聞がみんなでつくる学級新聞になり、それからそれが原因である事件が起こると、ラーソン先生はトラブルをクラスの子供たちの生きた教材にしようと、危機に瀕している自身の立場も省みず奮闘する。そういう中で、言論・出版の自由を保障する有名な米国憲法の「修正第一条」が出てくるわけだけど、当事者、利害関係のある人たち、考えなければいけないこと等々、いちいち具体的に話が進んでいく書きぶりに、ともすれば理想論扱いされがちな言論の自由をめぐる日本国内での議論とは違う、地に足の着いた展開を見て新鮮だった(し、勉強になった)。最終的に言論・出版の自由を担保してるのはみんなの良心でしょ、という明るい確信が感じられるのも米国らしい。
2013年12月2日
- 源実朝 (ちくま文庫)
- 吉本隆明
- 筑摩書房 / 1990年1月1日発売
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平安末期から鎌倉時代にかけては『袋草紙』『古来風体抄』『毎月抄』など歌学書・歌論書がたくさん現れた時期で、これはとりもなおさず、当代のかれら自身にとってももう和歌というのが一体何なのかがよくわからなくなりつつあったからだ。内裏は焼け、律令政治は形骸化し、貴族たちは平安時代をすでに失われた理想的規範としてしか見ることができなくなっていた。貴族達にとってそうした規範的過去を生きる手段のひとつが和歌に打ちこむことで、歌作と和歌文化を維持することは自分たちの生きる規範的世界を維持するのに必要なことだった。
当時すでに在京の貴族たちにとっても『古今集』の和歌は研究しなければなじめない、親しみがたい「外部」の存在になりつつあった。それより古い『万葉集』はもってのほかだ。だとすれば、貴族文化とはまったく異質の、血なまぐさい東国武門の惣領制度のなかに育った実朝にとってとなると、その距離は測りがたいほどの隔たりといってもよかった。だから、実朝の人生固有の悲劇性ということを抜きにして考えれば、かれと和歌との距離はじつは現代のわれわれと和歌とのあいだに横たわる断絶の距離によく似ている。
吉本は「文庫版によせて」のあとがきで実朝の歌作について「本歌取りというよりも、『万葉集』と『古今集』の任意の気に入った歌から、上句と下句を自由につなぎあわせて、新しい歌にするといった、パズル遊びのように思えるときがある」と書いている。これは現在のわれわれが古今調の和歌(短歌ではなく)を作ろうとするときにまず陥らざるをえない体験だ(僕はやってみたことがあるのでわかる)。実朝の『万葉集』読解をたどる吉本のやりかたは具体的で、百人一首に入る「世の中は」の歌についても、この少年歌人が『万葉集』のどの箇所を読んでいるときにいかにして生まれたのかまで生々しく想像している。こういうのを見ると、あるいは実朝あたりから定家、後鳥羽院と逆順に辿っていくことによってしか、われわれは『古今集』の世界の理解へとたどり着くことができないのかもしれないな、とも思う。
歌人実朝だけでなく、和歌とはなんであったかを考えるうえで欠かせない考察のある本。
2013年6月2日
- ノーサンガー・アビー (ちくま文庫)
- ジェーン・オースティン
- 筑摩書房 / 2009年9月1日発売
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『ノーサンガー・アビー』は最後の長編『説得』とともに作者の死後になってはじめて刊行されたが、その実はオースティンがまだ『分別と多感』で成功する前に書かれた若書きの長編である。
オースティンの小説はどれも登場人物や設定がそっくりで、また程度の差こそあれ理性的な落ちついたトーンも共通しているのだが、本作はそのなかでは少し異彩を放っている。若書き特有の肩肘を張ったところや、作者がしきりに文中に顔を出して講釈や言い訳をする「照れ隠し」が随所に出てくるからだ。オースティンの六作品を題材にした、僕の好きな『ジェイン・オースティンの読書会』という映画があるのだけど、そこではたしか「ためらいがある」というようなことを言われてたように思う。作者の気負いや小説観などが垣間見られてほほえましい。
どれもおおむねコメディの形をとっているオースティンの作品だが、本作ではそれもすこしドタバタ風味で他とは違っている。「小説の読みすぎが高じてとんだ勘違いをする」というのは『ドン・キホーテ』を想起させますね。
作中の人物に小説観を語らせるところや、地の文で作者が「このような小説があってもいいのではないか」と釈明したりするところ、男女の恋愛風俗を描くところ、強い構成力などから、僕などはどうしてもオースティンを紫式部と比較してしまう。初期の作品から最後の長編までがほぼ同じくらいの長さの六作にきれいに収まり、全体で作者の小説家としての成長の記録となっているところも、『源氏物語』と式部の関係に似ていると思うのだ。
2014年12月20日
- なぜ意志の力はあてにならないのか 自己コントロールの文化史
- ダニエル・アクスト
- NTT出版 / 2011年8月9日発売
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わたしたちはなぜ自ら下した決意を守れず先延ばしにしてしまうのか。
この問題を考えるにはだいたい三つのアプローチがあって、それは、まず「資本主義社会というものは人々の欲望を刺激し誘惑をし続ける世界である」という社会学的な考察、それから古代ギリシアの自律の美徳に始まる哲学的な考察、そして「人間は直近の報酬を極大に評価するものである」という経済学・認知心理学的な考察というふうに言えるものと思う。それぞれにいろいろな本が出ているとは思うけれども、本書はそれら三つのアプローチを自由に横断する、先延ばし論考の決定版ガイドといった体をなしている。
意志薄弱や先延ばしというのは考えてみれば自律の理想が裏切られる瞬間であるわけで、理性や自由意志といったことを考えてきたギリシア以来の西洋哲学にとってはつねにまとわりついてくる、避けることのできない身近な課題だったといえる。
それでアメリカの人々は、浪費と放蕩に邁進しつつも、同時にわれわれはこんなにも堕落してしまいそしてそれを止めることができないでいるという、嘆きにも似た自省が共存する屈折した倦怠感にとらわれている(そしてその跡を日本は忠実に辿っている)。GTDやらライフハックやら、即物的な自己統御ノウハウが生まれるのも、あるいはこうした精神史に由来しているのではないだろうか。そして私はやると決めた作業を先延ばしにしていまこのレビューを書いている。なんとかしたいよほんと。
2013年5月1日
- 深読みシェイクスピア (新潮選書)
- 松岡和子
- 新潮社 / 2011年2月25日発売
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あるいは翻訳者の精読、あるいは役者の直感によって、たったひとつの言葉に籠められていたシェイクスピアの深い人物造形が明らかになる、その発見の瞬間の喜びを手軽に共有できる楽しい本。一語であっても、わずかに感じる違和感から目を背けずに考え・調べつづけると、かならず新しい発見で応えてくれる懐の深さが古典の魅力であり、それは源氏物語にもシェイクスピアにも共通している。
2013年3月11日
- 詩経国風 (上) (中国詩人選集 1)
- 吉川幸次郎
- 岩波書店 / 1958年3月20日発売
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感想は『詩経国風』の下巻を読み終えたら書く予定。
2013年6月30日
- たかこ (絵本・こどものひろば)
- 清水真裕
- 童心社 / 2011年4月28日発売
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はじめ、あやしう、あながちにふるからんぞよきとをしへむこころばへにやとこそおぼゆれ、さらで、ただことやうならんためしにひきいだせるばかりなりけり。さもあらましかばなかなかならまし。ふるきこと、いまやうなること、くらぶるもをかし。をのこのたかこと等し碁なりぬるなむめでたくおぼゆる。
2013年2月2日
- キャプテン・アメリカ:ウィンター・ソルジャー
- エド・ブルベイカー
- 小学館集英社プロダクション / 2011年9月29日発売
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渋い。こんな感じの冷戦スパイ・アクション・テイストで映画も作ってくれるなら楽しみ。
2013年2月2日
- 光車よ、まわれ! (Fukkan.com)
- 天沢退二郎
- 復刊ドットコム / 2004年8月1日発売
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詩人、天沢退二郎の数少ない長編児童文学のひとつ。くだくだしい背景説明なしに、はじめから怪異の世界に一気に入って始まるところがすばらしい。『ジム・ボタン』とか『モモ』とか、エンデの作品に魅せられた子供時代の興奮を思い出しながら読んだ。
とにかく子供の心をとらえて放さないよう、エンターテインメントに徹した作りだけど、たびたび現れる怪異(あやかし)の描写にはこちらの想像力を試されるような描写がひょっと出てくる。もっと書きやすい怪異にすればいいのに……とか下世話なことも考えてしまうのだけど(笑)、そこは言葉にしにくいものを怖れることなく想像しそれを書くことに挑んだ作家の創造性に敬意を表し、こちらも想像力をおもいきり駆使して楽しみたいところ。
あとどうでもいいことですが、これ1974年の作品なのだけど、男の子ひとりにタイプのぜんぜん違う女の子ふたりというところと、それから要所要所の語り口に時折絶妙なラノベ感を覚える。いまの時代にこそ児童文学の新しい古典になれる作品なのではないかと…と思ったら新しい文庫が出てますね。いいことです。いまの技術で才能ある人の手によってアニメ化されたのをぜひ観たいと思った(実写映画化はどうせろくなことにならないだろうからしてくれなくていいです)。
2013年7月1日