とくに面白いと思ったのが、第4章の美術史のくだり。僕も当然これまで学校で習ってきたとおり、「国風文化は遣唐使が廃止されて、中国から文化の流入がストップした結果、自前の文化が発展した」と思っていた。けれど実は、1880年代からはじまる「旧慣」保存・文化的「伝統」の復権が、比類なき歴史をもつ日本を諸外国へアピールするための政策であって、日本の独自性をアピールするための創り出されたイメージだった。天平文化や、安土桃山文化にも同様の視角から、その作為性に迫る。しかしこんなこと言って、美術史側から反論が来ないのだろうか、というほどだ。
安土桃山文化で取り上げられる絵画が「雄壮」「豪放」なんて評価、高校のときに一生懸命暗記していたのだが、「そんな評価誰が決めたんだよ」「主観じゃねーか」とうっすら思っていたのもまた事実。そんな疑問が、10数年の時を超えて解決されたような気がする。
近世から近代における「内裏空間」と地域社会の関係の転換や、天皇イメージの転換も、興味深かった。
疑問があるとすれば、近代に入って陵墓や天皇がまとった文化的イメージの「開放性」と「秘匿性」の指摘の部分だ。これが2つあった、ということはわかるのだけれど、それぞれの性質どうしがどのような関係だったのか?ということがちょっとわからなかった。2つある、ということはわかるが、それの2つがどのように絡み合いながら、近代の人びとの陵墓なり天皇イメージを形作り、そして国民国家としての一体性を強めていったのだろうか。
近代に創造された神話的古代の作為性を明らかにして、なぜそういう行為が必要だったかという問いには、国際的契機を主に挙げて答えていると思う。でも、なぜそれが達成できたのかという点については、果して十全な答えが用意されているだろうか?天皇イメージや桜イメージのドラスティックといっていい転換が成功しえた理由は、国民国家の作為性を暴くだけでは、答え切れないような気もする。
- 感想投稿日 : 2007年11月13日
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- 本棚登録日 : 2007年11月13日
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