ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」精読 (岩波現代文庫)

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showさん 人文科学   読み終わった 

最初ちくま学芸文庫の『ベンヤミン・コレクション1』に入っている「歴史の概念について」を読んでみたのだけど、全然意味がわからなかったので、この「精読」を読んでみた。そしたら、ほんのちょっとだけわかったような気になった。

「したがって、ベンヤミンがいうところの「真実において概念的に把握された」過去全体の回帰は、つねに暫定的であり、真実からみれば近似的なものにとどまる。ネガから生まれる「新しいポジ」のそのつどの回帰があるだけである。その意味でベンヤミンは歴史哲学的認識(概念)による「過去に潜在する可能態」の解放は、進行途上の形で考えているとみるべきであろう。ネガティブな「くず」から分割的・分析的にとりだされた、そのつどの個性的なポジたちの集合は、そのつど星座として構成される。星座の完璧な構成は、人間の認識にとっては完成されることはないであろう。それは、あたかもカントがいう「終わりなき課題」(unentliche Aufgabe)であるだろう。」(p23~24)

僕としては、このあたりは「歴史」は完成することはない不断の営みである、として読んだ。そういう考え方の源流は、もしかしたらベンヤミンにあるのかもしれない(よくしらないけど)。

もうひとつ。

「以上のような観点から、過去への「感情移入」とか、「あるがままの事実」を主張する実証主義は、断固として排撃されることになる。なぜなら、それらは過去の支配者への感情移入であるからだ。より正確にいえば、事実の実証主義は過去の支配者へ感情移入する(「英雄史観」)ことを通じて、現在の支配者へ感情移入し、それをもって現在の社会を正当化するのである。」(p115)

ベンヤミンの「歴史の概念について」が書かれたのは1940年だそうだが、この時点で「実証主義」がもつ問題点を指摘しているのは驚くばかりだ。ただ、よくわからないこともある(というか、わからないことだらけだが)。

というのも、ベンヤミンは、「事実の実証主義」を排し、「廃墟」「ぼろ、くず」の「救済」によって「根源史」(世界の完全な概念的把握、という意味だと思う)が見い出せる、としている。もう少し詳しく言うと、ベンヤミンは現象を二分法でネガティブとポジティブに分け、分けられたそのネガティブなものからさらにポジティブとネガティブを分け、またそのネガティブをポジティブとネガティブに分け、どんどんどんどんポジティブを救い出していき、暫定的な「真実」へと近づく、と述べているのだ。

しかしそれは原理的にはわかるような気がするが、実際ポジティブなものを過去からどんどん「救済」していったとして、最後に残ったと考えられる「ぼろ、くず」が、本当に最後に残された「ぼろ、くず」であるという根拠は何なのだろうか。やはり、それが「ぼろ、くず」であると言い切るためには、主観的な「決断」が必要なんじゃないだろうかと思う。そうしないと、いつまでも「暫定的」な認識にすら到達できないんじゃないだろうか。「今これが暫定的な認識です」という決断じたいは暫定的ではない、という矛盾は、いかにして乗り越えられるのだろうか。

とはいえ、史料批判や複数の目による検証、というツールでは解消しえない難問が「実証主義」に孕まれていることには注意しなければならないのだろう。「史料批判」「複数の眼」といっても、それにかかわる人間が全員同じ「感情移入」をしていては、「複数の眼による検証」が意味をなさないからだ。こういう「実証主義」への信頼に対する危険性は、頭に置いておいていいんじゃないかと思う。

レビュー投稿日
2009年12月12日
読了日
2009年12月12日
本棚登録日
2009年12月12日
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