失われた時を求めて (10) (ちくま文庫)

  • 筑摩書房 (1993年1月1日発売)
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感想 : 10
5

見出された時2020-1-26読了

シャルリュス氏のpromiscuous さのあとから始まる午後のパーティの冒頭、あの紅茶に浸したマドレーヌにら対応する新たな体験から復活する話者の文学的な野望。それが形になったものがこの作品というメタ的な構成。
とりあえず読み切ったという満足感があるけど特にゲルマントの図書室での心の中のシーンはもう一度よく読んでみたい。

失われた時を求めて全体としての乱暴な感想
展開するストーリーで読ませるわけではない。ストーリーはもちろん展開するけどペースがゆっくりしすぎ。世界文学の括りで出てくるドストエフスキーなんかとは全然違う。雰囲気で読んでいく、というのも全体からすると少し違う。特にコンブレーはそう感じたけど。スワンの恋は共感か反感だろうし花咲く乙女たちの影には憧れ、ゲルマントの方は色々な意味での忍耐、ソドムとゴモラは驚きと忍耐、囚われの女は秘密、逃げさる女は焦り、見出された時は絶望からの希望(しかし世界は絶望に満ちている)

メゼグリーズのタンソンヴィルとコンブレー、ゲルマントの一体性。サンルー夫人となったジルベルトは幸せではない。話者は懐かしい土地にいる感激もなく、自分は人の意見に流されているだけで文学の才能がないと嘆きサナトリウムに向かう。
戦時下のパリでのシャルリュス男爵はジュピアンに経営させているホテルで若い男とSMプレイに興じる。
話者は再びサナトリウムに行くがサンルーが死に出発が遅れる。
このサナトリウムも話者の病気を治癒するには至らない。サナトリウムを出てパリに向かう汽車の中、話者は再び文学的な才能のなさに胸を打たれる。野原の真ん中に汽車がとまり、夕日が線路に沿った一列の木々を照らしている風景を見ても何も心には起こらない。詩人の感覚は起こらない。
久々のパリでゲルマント大公邸でのパーティの招待を受け出かける。耄碌しながら相変わらずのシャルリュス氏とすれ違い、着いたゲルマントの館。そこで踏みつけた少し落ち込んだ敷石。p135その瞬間、突然の幸福感が舞い降りる。バルベックの周辺を馬車で散歩したときにどこかで見た木々の眺め。マルタンヴィルの鐘塔の眺め。マドレーヌの味などの感覚から来る幸福感。文学的な才能の不在は吹き飛ばされた。それはヴェネチアのサン・マルコ聖堂の洗礼堂の不揃いな二面タイルの感覚。
ゲルマントの館で通された図書室で文学への新たな取り組み方に目覚める(もう一度他の訳でも読んでみたい部分)。ゲルマント大公邸での午後のパーティは昔ながらのメンバーが見かけも役割も変わって現れる。話者の記憶の中の人々とその時現れた人々の違い。それぞれの昔と今を繋ぐそれぞれの濃密な時。時は人の足元にどんどん積み重なっていく。私は自分の遥か下に、といっても自分の中にあたかも千尋の谷を見下ろすように、多くの年月を望み見てめまいがするのだ。人間は生きた竹馬にとまってその生涯を送り、その竹馬はたえず大きく成長していき、ときには鐘塔よりも高くなり、ついには人間の歩行を困難にするばかりか危険にしてしまって人間はそこから突然転落する…
話者は自分の出会った人々を時の中に膨大な一つの場所を占めるものとして描いていく事を心に決める。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2020年1月26日
読了日 : 2020年1月26日
本棚登録日 : 2014年2月15日

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