作品名: 伊能忠敬
作品名読み:いのうただたか
著者名: 石原 純
わかりやすかった。
18歳から、佐原の伊能家に婿養子にはいって、30年間は、家運を回復することに全力を挙げた
名字帯刀もゆるされ、50歳になると、隠居が許されたので、やりたかった学問をするために、江戸にでてきた。
19歳も年下であった高橋作左衛門に入門して暦学と測量術を体得した。
その後、幕府の命令によりロシアが頻繁に訪れるようになっていた蝦夷の地に測量におもむく。
そのときに、ものさしをはじめ、方位盤、測量儀、望遠鏡などを、西洋の文献を見て、作っています。
蝦夷では、間宮林蔵とあって交友しています。
もどってからも、日本全国を18年間も測量を続けています。
亡くなる時、その師、高橋作左衛門を慕って、その墓のそばに葬るように遺言をしています。
伊能忠敬の労作、日本輿地全図の完成をまって、伊能忠敬の死が発表され、高橋の墓がある、浅草源空寺に葬られました。明治22年東京地学協会が芝公園の丸山に記念碑
「贈正四位伊能忠敬先生遺功碑」をたてられたところで終わっています。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001429/card58549.html
目次
地図の作製
忠敬の前半生
忠敬の学問修業
日本全国の測量
底本データ
底本: 偉い科學者
出版社: 實業之日本社
初版発行日: 1942(昭和17)年10月10日
入力に使用: 1942(昭和17)年10月10日
校正に使用: 1942(昭和17)年10月10日
25頁
- 感想投稿日 : 2023年9月12日
- 本棚登録日 : 2023年9月12日
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