光受容体が密集して最もはっきり像を結ぶ中心窩が眼底網膜上に二つある眼球を左右にもつモズはわたしが識別するよりずっと前にタカを空中に感知し動揺する。中心窩が一つしかない眼球を左右にもつわたしはタカに狙われても気づかない。大きな孤を描いて右眼でモズを狙いながらタカは左眼で雌に求愛する。矢のように飛びながらリアルタイムに出来事を経験する。

視覚──人間には見えない世界


 さえずりはやや間隔を置いてわたしの左右の耳に届く。左右の耳の間隔を比較してさえずりの位置を突き止めたいのだがさえずりがわたしの耳に届く時間差をわたしは感じ取ることができない。どの方向からさえずりは聞こえてくるのか、後ろか、前か、向こう側か。両耳の間隔がわたしより小さい小鳥さんは頻繁に頭を動かし頭部の面積を広げて時間差を感知している。

聴覚──さえずりの謎と反響定位


『そもそも鳥の感覚を理解するには人間の感覚と比較せざるを得ないため、他の種を知ろうにも自ずと限界がある。鳥と違って紫外線を見ることも、音の反響で物体の位置を知ることも、地球磁場(地磁気)を感じ取ることもできない人間が、そのような感覚を持つとどんな感じがするのか想像することは一つの挑戦であった。』11頁

Tim Birkhead
BIRD SENSE What It's Like to Be a Bird
沼尻由起子

2019年7月15日

読書状況 読み終わった [2019年7月15日]
カテゴリ 理科

 主題モチーフ形象の全体を深い造形的統一に支える記憶のメカニズム。白い地の上に喪葬の儀式としてかたちをなし再び現れる今はもう存在せず変化することもないヴィジョン。基本的原型的造形的な語彙をなす黄色い部屋安息日のテーブル灯のともったランプ幼少時の掛時計父母兄弟姉妹恋人。流謫によって失われ絵画を通じて再び見出され執拗に描かれる生まれ故郷。

『フォーヴの画家たちがもたらした色彩の力、キュビストたちの厳しい空間構成、こうした相反する要素をシャガールは途方もない技量で調停しようとする。これらの二つのレッスンは、個人的なヴィジョンを表現するために用いられ、以後そのヴィジョンは全き自由において表現され続けた。』251頁
『描くという行為は、唯一無二、画家であることを証立てするものである。描くという固有の行為に画家を絶え間なく仕向ける歴史があって、その喧騒や緊張に作品を関係づけないかぎり、私たちは作品を理解することができない。』251頁

シルヴィ・フォレスティエ
シャガール、空と海との間で
南仏での安息─晩年の境地

2019年7月14日

読書状況 読み終わった [2019年7月14日]
カテゴリ 美術

 欽明天皇治天下七年十二月度来百済国聖明王時仏教公伝。仏教は先進の思想文化技術であるこれが入ってくる難波の地は対外の要衝であるこれを防御するに仏教を以てせよ。天武天皇十三年閏四月五日詔凡そ政の要は軍事なり是を以て文武官諸人務めて兵を用い馬に乗るを習え。寺院を造営し伽藍を配置せよ。仏の力で国を鎮め護れ。近江飛騨信濃を以て美濃を包囲せよ。

『一般に七世紀中頃までの軒丸瓦の同范品・同系品の分布には一定の規則のようなものがある。しかし、天狗沢系軒丸瓦の分布はその定義に直ちにはあてはまらないのである。当時の同范品・同系品の存在の要因には決して経済的な面での関係ではないものがある。たとえば、官の寺同士でそうした軒丸瓦が使われていたとか、何らかの利害を伴った豪族間で特定の種類の軒丸瓦を共有し合うとか、または寺院所在地の水系が同じであったり、あるいは同じ街道沿いに存在するというような場合である。その場合は、ある地域から他の地域に瓦当范が移動した痕跡を残すかのように、点々と同范品や同系品が存在するのである。いわば、その背後に政治の動きが見えるのである。』4頁

古代寺院における特異性


 弁端が極端に尖り蓮弁中央の縞を強調する凸線があたかも間弁のように凹弁を飾ったようにみえる単弁無子葉八弁蓮華文は各地にも類を見ない特殊な古新羅系瓦の文様。畿内に接する近江衣川廃寺、東山道から枝分かれして入る飛騨寿楽寺、東山道はずれの信濃明科廃寺、東海道の最端と考えられる甲斐天狗沢瓦窯跡にのみ分布。この軒丸瓦を天狗沢系軒丸瓦と名づけた。

『瓦の范の状況から第一次伝播と考えられる近江から飛騨へ通じる道、東山道上の廃寺等に天狗沢系軒丸瓦がないかどうか探してみた。多くの古代寺院や遺跡はあるが、同系の瓦はなかった。飛騨の文化圏は越、すなわち北陸に通じるが、北陸にも同系の軒丸瓦はないのである。このように近江から東山道を経て街道の最北端というべき飛騨にいたるまでの道筋に同系の瓦が一点も見られないのが不思議である。文化圏を共有し、越から飛騨へ文化が伝えられたと考えられるその道筋にも同系の瓦が見つかっていないのである。なぜか、なぜ近江からそこに行き着くまでの道筋に無いのか。何か人為的なことが無い限りこのような不自然なことは起こり得ないのである。その人為的なこととは中央に掌握されていた集団とまではいえないが、かなり一般との接触を持たない、または持たせられない瓦工集団が、その目的地へのみ彼等の技術を持って移動したと考えられる。』248頁

天狗沢系軒丸瓦の諸問題

2019年7月14日

読書状況 読み終わった [2019年7月14日]
カテゴリ 歴史

 インテリゲンツィヤがナロードを啓蒙する。それでは説明のつかない現象を図書館記録にみる。司書は利用者の嗜好を軽い読書と呼んだ。絵入り雑誌を手に読み方を共有する人々がそれぞれに解釈共同体をなしインテリゲンツィヤを変質させナロードを共感させツァーリの表象を決定し都市の様式を準備し価値を広め規範を共有し苦難に満ちたロシア史その印象を改める。

『従来、近代ロシアの出版研究で主として関心が払われてきた読者は、一九世紀後半の知識人たちによって識字啓蒙の対象となったナロードであった。だが、実際には、そうした知識人たちが「軽い読書」と批判した行為をする人々が存在した。それは帝国内リンガ・フランカとしてロシア語を用いる非ロシア人を一部に含みつつ、企業家やそこでの勤務者、あるいは医師、弁護士、教師のような専門職者、商人といった都市の中層民と、町人、職人、出稼ぎ労働者といった都市下層民ら、「大改革(クリミア戦争敗北に危機感を抱いたアレクサンドル二世はそれまでの身分制にもとづく国内体制を再編し新たな身分関係に立脚する社会を構築するため諸改革事業に着手した──引用者)」後に現れた新しい階層から構成される読者だった。つまり、「軽い読書」とは必ずしも知的に浅薄な行為ではなく、一九世紀後半におけるロシア社会の構造変化を反映した現象であった。』76頁

2019年7月9日

読書状況 読み終わった [2019年7月9日]
カテゴリ 歴史

 六国史が途絶え漢文日記が故実を記録した。漢文日記をためしに土佐日記は日付とともに毎日の出来事を記した。テーマを立てて蜻蛉日記は記述を選択した。土佐日記をためしに旅を綴り蜻蛉日記をためしに半生を綴る更級日記は時代とその歴史性を越えて人間の普遍を捉えた。普遍のその目をもって旅の習俗の、物詣の文化の、歴史学の成果の、その真ん中に飛び込む。

『そこで問題になるのは、紀行文としての『土佐日記』と『更級日記』の違いである。『更級日記』において分類された六種の記述(伝承、名所、景色、歌、出来事、道程──引用者)が『土佐日記』とどのように違うか具体的に見ていこう。』92頁
『その場にどのくらいいたのか、他にどんな言葉をかけたのか覚えていない。でも祖父と一緒に、遠回りをしながら家に向かってゆっくり歩いていたことだけは鮮明に覚えている。』11頁

水面に飛び込むカワセミはつねに小魚の真ん中を咥えて戻ってくる。

2019年7月7日

読書状況 読み終わった [2019年7月7日]
カテゴリ 歴史

 奉行より野菜類少し贈たるに返礼可致由申左ありてハ交易ニ似寄たる故受間敷其後在留之紅毛カヒタンより食料為贈申候。オランダ商館が仲介する物質供給の仕組みを幕府は認めなかった。商館に返却代金の受け取りを要求する奉行。奉行に代金を受け取らせて通商禁止令を緩めさせたいロシア。長崎に商館あってこその仕組みでは続々と来航する外国船に対処できない。

『このように「オランダ人に売る商品」とすることで、薪水給与令で扱うことができないこの事例を何とか先例に背かない、これまで通りの応対という形に、日本側は体裁を整えたのである。
 この物資の運搬の際、オランダ商館からドンケル=クルチウス(一八五二年在日商館長に任命され来日。一八五五年オランダ駐日特命全権領事官となり日蘭和親条約・日蘭修好通商条約を締結。一八六〇年離日。第一章註(2)より──引用者)の書名入りの「納品書」がロシア船に届けられている。この「納品書」は日本商館文書に一枚残存しており(30)、それが史料2である。』五八頁
『(30) 本来ならばロシア船に送られたはずの納品書が、オランダ側の史料に残っているのは奇妙な事である。(中略)ここで推測を行なうために、『覚え書(フォス美弥子編訳『幕末出島未公開文書-ドンケル=クルチウス覚え書-』──引用者)』から参考となる記述を引用する。(中略)つまり、物資を運んだ後、日本人担当者はロシア人から古い方の納品書と三三・六テールの代金をそっと渡され、それらを袂の中に忍ばせて出島に赴き、そっとドンケル=クルチウスに渡す。そしてドンケル=クルチウスは新しい納品書を作成して、またそっと同日本人担当者に渡す、といった具合である。(中略)直接顔を合わせる面々によって、こっそりと行なわれていたのではないだろうか。そして、このような事例は、おそらく他の応対にも数えるほどあって、こうして型通りには進まない状況を何とか動かしていたのではないだろうか。』七七頁-七九頁

ロシア使節プチャーチンの長崎来航と物資供給


 長崎奉行代理萩原又作はオランダ商館長に尋ねた。外国人願望之趣意其内何を主といたし候哉。石炭です。石炭は戦時禁制品ですと商館長は奉行に説明した。クリミア戦争当事国イギリスが石炭を注文してきた。現在長崎に石炭在庫なしと返事するこそ賢策。東インド政庁の指令を携えたオランダ軍艦ヘデー号来航。情報を得て奉行はイギリスへの石炭供給に踏み切った。

『クリミア戦争は、ファビウス(オランダ軍艦スンビン号艦長ヘルハルドゥス・ファビウス海軍中佐──引用者)が「この期間中、ちょっとした軽率な振る舞いや愚かな絡み合いにより、そして文書ではもちろんのこと、不注意な発言や軽はずみな一言により、オランダは危急存亡に対局させられていたかもしれない。オランダはこの地域で得ている信用や国の威信を失うだけでなく、特権維持すらも危機に晒されていたのである。」と述べているように、オランダ人自身を矢面に立たせる状況を生み出した。日本人の目には、オランダ人はお手本として、または同士として映ったことだろう。』九四頁
『一八五五年中に長崎に来航した船の数は、前年に比べ飛躍的に増加した。全部が蒸気船というわけではなかったが、船の来航が増えるということは、石炭の需要が高まることを意味する。オランダ蒸気軍艦ヘデー号への供給に手間取っている現状では、今後の展開に対応できないことは、はっきりと日本人にも認識されていたことだろう。以後、石炭供給の問題は、さらなる炭鉱の発見、そして合理的な発掘の技術や道具の知識等、西洋技術の移転問題へと関心が広がっていくことになる。』九四頁

長崎における石炭供給とクリミア戦争

2019年7月6日

読書状況 読み終わった [2019年7月6日]
カテゴリ 歴史

 使節団はプロイセンを含む関税同盟とハンザ都市ハンブルクブレーメンリューベックと両メクレンブルクを北ドイツと表現し交渉に臨んだ。村垣範正は質問を浴びせた。なぜメクレンブルクもハンザ都市も関税同盟から除外されているのかなぜオーストリアもそうなのかなぜプロイセンは一つの条約の締結を欲しているのかなぜハンザ都市は別の代表を要求してくるのか。

 ハンブルク市民はいう。東アジアの小国日本と締結し得た条約がプロイセン一国のみとはなんとしたことか。この海域でプロイセン船舶などみたこともない。知名度の低いプロイセン旗を掲げる意味がわからない。向後も自分たちの旗を掲げ続けるにはベルリンではなくハーグの影響力をもって働きかけるべきではないか。ポルトガルはそれでうまくやったのではないか。

 東アジアは属人主義原理が厳密に適用される特異な地域であった。かの地に任命されたバイエルン人の代理領事に中国人に対して犯罪を犯したプロイセン人をプロイセンの法律で裁くことができるのか。中国条約とシャム条約を締結したドイツ諸国がそれぞれに領事や外交代表を任命する権利を行使するときそれぞれが保護すべき国民の範囲をどのように取り決めるのか。

オイレンブルク使節団とプロイセン自由主義者

『東アジア諸国の近代史の出発点となったアヘン戦争が勃発したのは、ドイツ諸国の自由主義と国民主義の運動が、オーストリアの首相メッテルニヒ(Metternich)を中心とした「旧勢力」によって厳しく抑圧されていたウィーン体制下の「三月前期」と言われる時代のことであった。』231頁

2019年7月2日

読書状況 読み終わった [2019年7月2日]
カテゴリ 歴史

 ハンザ諸都市の船舶はすでにして中国沿海部に進出している。プロイセンの海運業も太平洋沿海域への遠征に参与しつつある。中国市場は巨大である。早急な条約締結が是非とも望まれる。シャムとの条約締結はヨーロッパにおける我々の通商政策上の地位にふさわしい形式をもってし、日本との条約締結は寄港地としての利便性からアメリカと同等の権益を確保すべし。

一八四〇-五〇年代の東アジア情勢とドイツ諸国

『しかし一八五〇年代には一方で、東アジア及び東南アジア海域の情勢が再び大きく更新された。周知のように、一八五四年にはまず日本で米・英・露との和親条約が締結され、下田・函館が開港される。次いで五五・五六年にはイギリスがシャムと修好通商条約・追加通商協定を締結し、シャムの全港における交易が許可された。この後、アメリカ・フランスも五六年中にイギリス同様の条約をシャムと締結した。そして中国では、五六年以降に英仏連合軍によるアロー戦争が勃発し、その第一次戦役の結果として五八年六月、英・仏・米・露代表は清朝政府と相次いで天津条約を締結した。この天津条約により、一八四〇年代に開かれた前述の五港(主に華南地方に所在)に加え、華中・華北・東北地方南部にまで及ぶ十港が新たに開港された。五八年七月以降には、日米修好通商条約を皮切りに、蘭・露・英・仏が日米条約同様の通商条約を幕府と締結し(安政の五ヵ国条約)、日本も通商開国への運びとなった。同諸条約により、函館・神奈川(横浜)・長崎の五九年以降の開港、新潟・江戸・大坂・兵庫の六〇年以降の順次開港開市が規定された。一八五四年以降の東・東南アジアにおける以上の動向は、これらの動きに直接参与しなかったドイツ諸国(諸国!──引用者)に対して様々なインパクトを与えることとなる。』51頁


 スイスおよびベルギーとの条約締結を拒絶し得れば此後外国々願ひ出で候節差し押へ候辞抦も出来、許せば此後外国々へ之御断ハとても相立ち兼ね、ポルトガル条約之儀は長崎にて兼て先約有之候事と存じ候。プロイセン条約延引之段是非とも談判致し可申候得共猶其他の国相越し彼是可申出夫等は如何取計可申や右之処据り不申候ては人心又々折合不申後患心配致し候。

五ヵ国条約後における幕府条約外交の形成

『最後に本書で頻用する「開国」という言葉の語義を、あらかじめ措定しておく。前述したように、寛政~文化期以降、徳川政権は、ロシアとの通商開始問題の浮上を機に、外国との通信通商は、一部の国々(朝鮮・琉球・オランダ・中国)を除いて、新規に行わないという対外方針を明確化した。またその前後から、こうした対外政策は、「祖法」として遵守していくべきであるという規範意識(鎖国祖法観)が、幕政担当者や知識人らの間に定着していった。「開国」は、この対外政策を一部ないし全面的に改変することを指すものとする。より具体的には、条約の締結などにより、前記四ヵ国以外の国と新たに通信・通商関係を取り結ぶ一つ一つの外交行為を、本書では「開国」として表現する。』22頁

2019年6月29日

読書状況 読み終わった [2019年6月29日]
カテゴリ 歴史

 自天子至郡邑得祀而遍天下者唯社稷與孔子焉。建都邑之祠宇春秋仲月行釈菜之禮唐室之舊典也。州縣置廟春秋釋奠我宋因之。都邑祠宇咸建講堂召通經者展函丈之儀聖朝之新制也。隋唐之際天下州縣皆立學置學官生員而釋奠之禮遂以著令。其後州縣學廢而釋奠之禮吏以其著令故得不廢。徒見學廢矣無所從祭則皆廟而祭之。官爲立祀而州縣莫不祭之。則以爲夫子之尊由此爲盛。

 天下に遍く祭祀は壇に祀られる社稷と王者のように廟がつくられ門人が配享される孔子のみ。唐制を踏襲するほか講堂を建て経書に通じる者を召し寄せ宋朝は講学の儀式をおこなった。釈奠の礼は明文化された規定のゆえに保存された。学が廃れ祭祀が叶わくても廟によって孔子を祀った。官が祠をつくりすべての州県で祀られることで孔子の尊さが盛んにあらわされた。

北宋前半期における廟学


 甚者生雖不得位而没有所享以爲夫子榮謂有徳之報雖堯舜莫若。何其謬論者歟。奠先師先聖於學而無能廟古也。近世之法廟事孔子而無學。宋因近世之法而無能改。至今天子始詔天下有州者皆得立學奠孔子其中如古爲。凡學春官釋奠于其先師秋冬亦如之。始立凡學者必釋奠於先聖先師及行事必以幣。官謂禮學詩書之官。若漢禮有高堂生樂有制氏詩有毛公書有伏生億可以爲之也。

 甚だしきは生前しかるべき位を得られず死後祀られた孔子は栄誉であるとはなんと誤った考えか。先師先聖を学において奠する古に廟はなく孔子を廟に祭祀する近世の制度に学はない。学がないのに孔子廟に礼をおこなうなど聞いたことがない。唐制を踏襲したゆえに過ちを犯したのだ。官とは礼楽詩書をいう。漢では礼に高堂生が楽に制氏が詩に毛公が書に伏生がある。

北宋前半期における廟学/先賢祭祀の理論


『士大夫論の前提には、さまざまな理由によって、科挙受験可能な知識階級が急増したという事実があり、また科挙制度の導入によって、少なからず社会の仕組みが変化した(『しかし千年以上も続いた学校のあり方、仕組みを理解するのに、科挙の付属物という消極的な位置づけのみで十分であろうか、というのが本書の基本的な立ち位置であり、出発点でもある。』4頁──引用者)ことがある。この知識階級は、元・明・清にわたって歴史上大きな役割を果たすから、その形成や特質を把握することがめざされ、その変遷過程の中で宋代をどのように位置づけるかが問題とされたのである。本書ではこれらの問題意識を念頭におき、元から明初までを射程に含め、宋代の学校が当時の人々にとってどのようなものと認識されていたのか、儀礼祭祀の変容と、そこにあらわれる地域意識の変化からみていくこととする。』30頁

2019年6月25日

読書状況 読み終わった [2019年6月25日]
カテゴリ 歴史

 水面突入時に水の抵抗を減らすバウの形状はカワセミのくちばし。水中で左右に振る動きを模するスターンの形状はカモノハシの平らなくちばし。フィンから流れを吹き出し推進力を得るエキセントリックなサメのエラは消え次第にノーマル形状に近づく。ボトムの芯材を高い剛性を得る葉脈のように配した。ダズル迷彩からヤドクガエル模様へ。残る課題は浮力の配分。

 発泡スチロールにイメージを削り出したコンセプト模型。サイドのエッジはしゅっとしてぎゅんってして。コンピュータの中に形=データを創り実験解析検証を繰り返しシェイプアップ。ハニカム構造の芯材をカーボンシートに挟んだ軽量かつ強度ある素材。NC加工機で直接削り出す石膏ボードの雌型。複数のパーツを作製しレーシングカーを組むようにアッセンブリ。

『「流れの力も借りて速度を出すようにする。しかし流れよりも艇速の方が速くなったときには(水の)抵抗は限りなくゼロに近くなければならない。要はひとつの船の中に、相反するふたつの性能を取り込まなくてはならない。それが流体力学的なアプローチです。そしてもうひとつはバイオミメティクス。抵抗軽減のほか、複雑な流れの中での推進力増加や回転性能向上のため、水の中で同じような動きをするカワセミやカモノハシのくちばしなどを模しています。生物の持っている機能を生かして急流を駆け抜けていくというのが、バイオミメティクス的なアプローチです」』87頁

競技用国産カヌー開発「水走」プロジェクト

コンピュータの中のデータで実験解析検証をする。サイドのエッジに触れて指先の感覚を研ぎ澄ます。おれはカワセミになる。

2019年6月22日

読書状況 読み終わった [2019年6月22日]
カテゴリ 体育

 ツツジの花は遺骨の喉仏にも似て。エチオピア高原に降る雨は肥沃な土をナイルに運ぶ。あの頃海面は低かった。ついにシーラカンスの寿命をこえた人類に百二十歳まで生きる時代がきた。ヌシは救いもせず守りもせずただそばにいるだけらしい。夏もちかづく茶摘み歌。染色体がすぱすぱ切れてゆく。人形浄瑠璃にきく義太夫の声。彼氏の固有名詞がどんどん変わって。

『からまればじぶんでときほぐす。』7頁

2019年6月19日

読書状況 読み終わった [2019年6月19日]
カテゴリ 国語

 やつらは血も涙も通っていない強欲か。規模は脅威ではなかったか。あれは必需品と便益品を失う貧しさについての一考察ではなかったか。生産性の向上手段ではなくひとがそのひとなりに労働に参加する機会を社会に参加する機会を社会を貧困から遠ざける鍵を分業と呼んだのではなかったか。水面下に隠れた氷山のかたちそのメカニズムを、エミュレーションにみる。

『市場社会の理念と資本主義の原理とのあいだには、微妙な差異があるということ。このことに、わたしたちはもう少し、敏感になる必要があるのではないだろうか。そして、スミスの時代とはじつは、市場社会が社会のほぼ全域にまで浸透しながらも、資本主義経済には微妙に成り切っていない、きわめて稀少な時期に属するのである。資本家と労働者への階級分裂はまだ完成しておらず、そのどちらの階級に進むかを、あたかも自分で選択できるかのような表現(表現!──引用者)が、『国富論』ではあちらこちらに出てくる。『国富論』を読むときには、この微妙なタイミング(のズレ)にぜひとも留意する必要があるのである。』28頁
『本書の議論は、けっして決定的なものではない。いろいろな可能性のなかの一つ、二つを、想像力を逞しくして論じてみたものにすぎない。それが何ほどか、思考の材料を提供しているかどうか。その判断は、読者に俟つ他はない。
 遠い昔の古典と現代の先端企業がはからずも遭遇したとき、そこにはどんな光景がひろがるのだろうか。それは、わたしたちの「働き方」と「生き方」に、新しい光を投げかけるものだろうか。さっそく、検討を始めてみよう。』15頁

2019年6月17日

読書状況 読み終わった [2019年6月17日]
カテゴリ 社会

 三司廃止尚書省復活唐制回復を論ず。国家立制動必法天尚書省上応天象対臨紫垣。蓋唐中葉之後兵寇相仍河朔不王軍旅未戢故自尚書省分三司。夫三司乃近代権制廃三司廃判官廃孔目廃勾院尽去鄙俗之名如此則事益精詳也。名実不符正名漸復之集議序列を論ず。尚書省有名無実為閑所理有可疑建官分職職与官殊量材受爵爵与材異。国朝故事令勅儀制無在朝叙職入省叙官之説。

 太宗朝。唐王朝の後継者たるもの尚書省を復活すべし。唐中期以降の混乱期を継承した制度は専ら使職就任者の資質が批判された。仁宗朝。宋代に定められた朝班の序列が唐制の象徴たる尚書省と対立した。唐宋両制比較検討し官制全体の名体を正し周礼に運用の論理的根拠を求むべし。曲がりなりにも統一を維持してきた宋朝の正統性への自信が周礼の根源を意識した。

北宋前期における官制改革論と集議官論争 ──元豊官制改革前史──


 煕寧末上欲正官名命校唐六典以摸本賜群臣。官制所分撥事類已見次第百司庶務類別以明未能了当事務不少精選可用者依旧置局。臣切恐施行之際督察漏略検防散逸彌綸之体不可不早有飭戒。臣伏使更制之前習勒已定則命出之日但在奉行而已。手詔修講逾年尚爽条理仍前紛糾貽議来世所論体統此意為式令。承受官司各有付受歴照験豈得不知来処。上曰造令行令職分宜別著為令。

 神宗新官制職務分担の目処はついた新人事を進呈せよ。補臣準備不十分につき中輟。執政不究心があろうか。新任官着任間に合わず。新尚書省建設間に合わず。旧中書門下より分割された門下省給事中が原案への署名権を持たない疑義あり。既に省審の済んだ奏鈔。来歴不明に発給された画黄。造令と行令を別けよ。中書省取旨門下省審覆尚書省施行各省職掌を順守せよ。

元豊官制改革の施行過程について


『従来の宋代政治史研究においては、官制を専らその機能面から(統治の具体的手段として──引用者)分析する研究が中心であったが、翻って前近代中国における官制が持つ意味を考える時、そこには様々な象徴性が込められていることに気付く。例えば先に触れたように律令官制は儒教イデオロギーの根幹である『周礼』の理念に基づく(『周礼』の六卿を天地四時に比定して世界の秩序を具現化する──引用者)ものであるし、寄禄官を「本官」と称する宋人の認識には、唐制を完全には否定しきれない彼らの精神構造(宋人は唐という「近代」をいかに捉えていたか──引用者)が現れている。また、前代の官制に仮託することで王朝の正統性(宋人は宋朝自身の正統性に対しいかなる認識を持っていたか──引用者)を顕示するようなことも行われていた。官制をめぐる当事者達の議論には、当然彼らの理念が投影されているはずである。こうした点に注目すれば、官制をめぐる議論から当時の人々の国家観や時代認識が見えてくるであろう。』v頁

2019年6月13日

読書状況 読み終わった [2019年6月13日]
カテゴリ 歴史

 いまの行動を決めるのは将来予測であるとする発想。将来を未来と入れ替えてみた。未来をいまに取り込むさまざまの発想。資産の限界効率を未来に予想し、流動性を未来に予想する。未来に起こりうる出来事を数字をもっていまに織り込む。期待のわずかな変化が数字を大きく左右する。投機が予想に関与する。そして数字は不確実であり未来はやはり不安定であった。

『これ(未来のことはわからないゆえに決定は一種非合理な衝動に基づくことがある──引用者)をケインズは「血気(animal spirits)*56」と呼んだ。』90頁
『*56 『雇用・利子および貨幣の一般理論』、一五九ページ』101頁

2019年6月8日

読書状況 読み終わった [2019年6月8日]
カテゴリ 理科

 お国自慢の品々をたずさえる各国使節。故郷に錦を飾ろうと読書にふける留学生。仏教書の翻訳にあけくれる異形の僧侶。惜しみなく千金をつぎこむペルシャの豪商。黙々と主人につきそう崑崙奴。唐女に恋して妻に娶り子をなし定住する遣唐使人。諸国の特徴ある楽器が奏でる音色。色鮮やかな民族衣装と金髪碧眼の舞姫。阿倍仲麻呂の青春。混血のるつぼ。帝都長安。

『長安城は、東西南北(東に高麗百済新羅日本琉鬼(琉球)の五カ国、西に高昌亀茲波斯大食(サラセン)仏菻など二十五カ国、南に南詔環王真臘など十五カ国、北に契丹渤海など五カ国、ほか突厥吐蕃回鶻沙陀の強隣四カ国──引用者)にそれぞれ門戸を大きくひらき、世界の文物を激しく呑吐(どんと、とふりがながふってある──引用者)し、各国の使者をしきりに送迎して、いわゆる政治と経済を有機的に結びつける朝貢(ちようこう、とふりがながふってある──引用者)貿易圏の軸心をなしていた。』24頁
『荒海のなか、長安にわたっていく日本の使節たちが、多くの国々の使節たちと肩をならべて朝賀の式典に出席し、また在唐中には胡人の開いた店にも足を運び、西域の品物を購入し、さらには異形のペルシャ人やインドシナ人を連れて帰国したことを考えても、かれらの活動はアジア全域の視野でとらえないと、正しく評価できないだろう。』24頁

2019年6月6日

読書状況 読み終わった [2019年6月6日]
カテゴリ 歴史

 写本は多く其日と某日とを誤写混用する。他の史料が別日とする例から其日某日は係日の誤りではなく正確な日が不明ゆえとみるべき。嘉永三年日本紀略校訂本を完成出版した山崎知雄は其或作某非是と注する。その他其日某日が是日と理解されている例はいずれも年月日を欠く。其日某日は日付不明ゆえの是月是頃とみるべき。其日停遣唐使にある其日は九月三十日か。

『すなわち日付の絶対性に疑問が生じた『日本紀略』の停止記事について、さらにその内容(遣唐使の派遣停止は朝議で決定されていないのではないか──引用者)についても検討する必要が生ずるのである。これは停止を伝える唯一の史料であることからも当然のことであろう。』109頁

いわゆる遣唐使の停止について


 僧成尋は、皇太后藤原寛子より託された先帝後冷泉天皇書写経と太皇太后宮亮藤原師信亡妻遺髪愛用鏡を五台山に供養し、冷泉院前内親王給五条袈裟着用奉祈後世往生極楽、治部卿上給頭巾着用奉祈二世、内外典を宇治殿藤原頼通左大臣藤原師実民部卿藤原俊家治部卿源隆俊に送った。寛子は頼通女。師信室は頼宗女。冷泉院前内親王は章子内親王。治部卿上は源隆俊室。

『それにたいして、成尋入宋の延久三年・四年当時の関白教通(頼通の同母弟)の名がみえないこと、あるいは肝心の今上帝後三条天皇の二世を祈ることなどが一切出てこないことが注目される。頼通と藤原氏と血縁関係のない後三条天皇とに確執があったことは周知のとおりであり、また頼通と教通との間にも対立関係があったことが知られている。成尋の関係者として、前記のような片寄りがあるのは、あるいはこのような対立の如実な反映であろうか。そして憶測を逞しくすれば、成尋に入宋許可が降りなかったのは、このような俗界における対立関係の影響によるものかも知れない。』273頁

入宋巡礼僧

2019年6月4日

読書状況 読み終わった [2019年6月4日]
カテゴリ 歴史

 ポストモダンとエコロジーが出会いの契機を壁抜けしあう。消費をも呑み込んで生産はみずからをより太らせる。富の生産から消費の生産へ。公害すら帳簿化して消費する。人間への同情心を少しく欠く成長の限界。人間の時間で十万年を考える。地球の時間で汚染を考える。弁済できない過失。はずれた関節。有限の地球と向き合う欲望。有限の器に無限をどう盛るか。

 非対称な日米関係と隠蔽意識。戦後という独自のあり方。バビロン捕囚の五八年と戦後の七〇年。敗戦国ドイツと敗戦国日本の落差。支払でもあり贈与でもありうる憲法九条。劣位のうちにあるわたしの足場。戦後から遠く離れて地球の問題へ。過去とのつながりから未来とのつながりへ有限性概念のもとで。もっと長い射程をもつソ連消滅。考え方の終わりのはじまり。

 山の向こうには、海の果てには、かつて人間ならざるものが、神々が、妖怪が、魑魅魍魎のたぐいが住んでいた。過去の経験から慎慮によって妥当な判断を取りだす。手抜きをせずに算数式で推理をして考えを進めこれを未来に延ばし未来を創出し未来を現在の統制下に置く。人となりへの信頼から人となりへの判断を離れその人のいうことへの信用に契約を派生させる。

 推理を信頼しいうことを信用し未来に向けて身を投げる。ところが。信頼は裏切られることがありうる。信用は、同時に双子の存在をも生みだす。リスクである。危険は、これを予測し数値化し再帰化し馴致して人間化する。確率論をつくる。保険でリスクを分散する。株式でリスクを分散する。チャンスが利潤を生みだす磁場を構成する。安心が経済行為を呼びよせる。

 人はどう生きたらいいのか。イオニアギリシャインド中国メソポタミアイスラエルに同時多発する世界思想世界哲学世界宗教。間共同体の無限。世界人口変動と地球環境容量と人類生命曲線。有限に応じて無限を排除せず、欲望をなだめず、平穏化もせず。無限の可能性を追求する果てに有限性と出会い有限な生と世界を肯定する。充溢し燃焼しきる一杯のワインの消尽。

 貫通できずにずるずる引き延ばしながらのれんに腕押し的に突き進む。したいとできるのあいだに生じる制限と努力と可能性との相関の意識。可能性と内的な創発性の感覚。自由の感覚。みえないマルコムを手探る。欲望に対し力能として現れる技術。技術は科学の、ではなく、科学こそ技術のはしため。技術革新の無限進行。産業外からくる限界と産業に内発する限界。

 自然に働きかける人間。自然は非有機的肉体と化し人間は有機的自然と化す。自然史的な過程における力能的反応。本質的過剰とも倫理的逸脱とも逆立しつつともに存在することをやめない力能の意義。人工衛星の高度を有する生態系と技術革新のありよう。一九八〇年代以降に集中する被害額甚大産業事故。一七年刻みの技術革新論を版を重ね辛抱強く持続させてみた。

 国家の威信をかけて一七万人を動員し単なる従来の技術の応用に徹する酷使。民主公開自主の気風を戒厳令下に圧伏する。出力が入力に帰還してこない。内部に搾取対象の外部をつくりながら自壊する資本主義。地球が無限にみえている資本家。担い手となる力能の交替。笑いの有無。必要ではなく歓び。わからないなにかが帰還してくる。あとはわたしの試練につなぐ。

『いま、私にみえているのも、一つの信憑の崩壊である。私の中で気づかれずにあった堅固な信憑が、ひっそりと死んだ。私は、その死について語りたい。そしてそこに生まれた未来の空白をどのように埋めるべきか、私なりの未来の考え方について、考えてみたい。また話したいと思う。』14頁
『すると、問題は、こうはならないか。』16頁
『すぐに一つの疑いがよぎる。』20頁
『いや、ほんとうにそうか。』26頁
『何が起こったのか。何が予想外だったのか。』29頁...

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2019年6月3日

読書状況 読み終わった [2019年6月3日]
カテゴリ 思想

 どんな死も同じである。一つ一つの死に、さまざまな死のかたちに、違う意味を与えることができるのも同じゆえである。弔う。その破れ目の可能性をへて、死者をもつという経験をへて、とても大切なことにつなぐ。小さな物語を手放さない。一つの大事な提案を、その欠陥を含め、その欠陥をただし、補う意思をもって、受けとる。受けとる大事な仕方をかんがえる。

『欠陥ももつ、この大事な話の基幹をなす小さな物語の永続性に、私はいま、少しだけ、勇気をもらいます。』5頁

死が死として集まる。そういう場所

2019年5月24日

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カテゴリ 思想

 世界史の教科書に前漢の記述を学んだ高校一年生のとき。劉氏の天下一統の要因はどんなかたちで存在していたか。一地方政権の名称を天下と等置される名号にした原動力はなにか。軍功受益階層をまとめて規定できるか。任侠的習俗は認められるか。下位を保証する上位の主体性はなお説明可能か。歴史事象を特定の主体意志に還元できるか。前漢前期に収斂はあるか。

『しかし筆者は、逆の事実に注目したい。王莽によってはじめて「天下の号」なる概念が導入されたということはむしろ、これまで「天下」に特定の名称は必要なく、「漢」という名称も「天下の号」ではなかったことを示すのではないか。それは同時に、王莽の革命時点においては、すでに「漢」は、「新」と等置する「天下の号」となったことをも明らかにする。だが、それは一体、何時のことであろうか。』7頁


高祖功臣併存枠組自立一体呂氏実像文帝肖像賈誼匈奴分国天下葛藤軌跡呉楚七国南方状勢をよむ。

2019年5月23日

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カテゴリ 歴史

 宇内最大の邦その驕矜を亶にするは是れ大疵なり。孛露墨是可の如き竟に泰西の呑滅する所と為る。華夏戎狄釣しく是れ人なり類なり。斉州に聖人有れば万国にも聖人有り。賢者を遴選し立てて以て君と為す是れを堯舜に比して多くを譲らず。敵の罪を誣いて約に負くを責め然る後以て薙獮す是れ泰西の術。我理直義正にして瑕なくば彼恧然内愧以て侵を下しむる辞なし。

『相対主義の極致に待っているのはあらゆる規範を欠いた無秩序であるが、そうした恐怖心が共有され(自らの不完全が明確に自覚され彼我の関係性はあくまでも平均によって維持さるべしとされ独善による悲劇を避けるため完全の追求自体が断念され──引用者)たときに、逆に最低限のレベルで彼我の関係を律する「約」が生まれるのである。このような、「無」の果てに生まれる最低限の「有」、無秩序の果てに生まれる最低限の普遍は、ヨーロッパがウェストファリア条約以来成熟させてきた世界観と、驚くほどの親和性をもつ。西洋が好きなわけではない。事大主義的に強者に阿るわけでもない。そんな彼ら(古賀侗庵阪谷朗廬中村正直ら──引用者)が開国を選択し、しかも「神州」の特化による独善主義にも走らなかった背景には、正統派朱子学の「理」概念と、不断の「変通」によって強烈に「異」を意識する心性が融合・熟成した結果生成された、緩やかだがそれゆえ強靭な、独特の普遍主義が存在したのである。』51頁

「変通」下の儒教普遍主義──古賀侗庵の「世界認識体系」──


奉勅攘夷に横浜鎖港に将軍進発に将軍辞職に自他認識の相剋をよむ。文脈なお未決定なり。

2019年5月21日

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カテゴリ 思想

 因果の緊張関係を機因化して肌身に感じ取る。変化し続ける内的複数性を構造的に安定的に一身に体現する。不幸で何が悪いかたくましく観念化するまたは物語化する。詩的精神の浄火を純化する。取材した話をありのままに記録し羅列し設定を確認し因果のまとまりをつけダイナミックに構成し展開し関心対象を持続させる。混沌を秩序化する何か不如意な技術がある。

『(大江文学の体験とは──引用者)現実を「異化」するその冒険的な着想や、自然や無意識と日常生活とを複雑に、有機的に結びつける豊富な比喩群、この世界と、皮膚が一枚剝がれてしまった状態で接しているかのような過敏な感受性、他者として読者と強烈に遭遇する登場人物たち、現実の出来事以上に鮮烈な記憶として残る各々の場面、四国の「森」を中心に、読者の中に幾つもの場所を占める文学的トポス、そして何より、極度の緊張感を以て、核兵器のような世界規模の危機から、誰が触れても壊してしまうような繊細微妙な心理までを余すところなく汲み尽くして、文学以外の方法では、決して表現することの出来ない思想へと至らしめる文体。』67頁

2019年5月19日

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カテゴリ 美術

 生の瞬間に永遠を賦与しことごとくを一つにしてつかみたいと若き俊英は叫ぶ。混沌の内部をしつこく凝視してもより賢くなれるわけではありません。当面する課題への義務の感情、逃れられない案件への恭順の念、明確な問題設定、快活であるための陽光を謙虚に願い、われわれの生の地底を貫く裂け目と深淵を大胆に、献身的に踏み越える、わたしは歴史の教師です。

『ニーチェのラディカリズムの眩いばかりの光に照らしてみれば、ブルクハルトはいわゆる「イロニー的存在」のように思われるであろうし、事実また、ある程度までそうであるが、しかしブルクハルトとニーチェは、それにもかかわらず、時の変転に内在する「持続」と「永遠」に向け「超歴史的な(超歴史的な、に傍点がふってある──引用者)」眼差しを投げかけていた点で、互いに結びついている。終りのない生成という単なる過程から眼差しを転じ、等しく回帰しつねに等しい意義をもつものの性格を生存に賦与する方向へ眼差しを向けるそのことを、もしわれわれがニーチェとともに超歴史的と名づけるならば、ブルクハルトは彼の著わした歴史が超歴史的である、唯一の(唯一の、に傍点がふってある──引用者)十九世紀の歴史家であったとさえいえる。その理由は、ブルクハルトは近代の歴史の学問がもつ根本概念(根本、に傍点がふってある──引用者)と根本偏見(根本、に傍点がふってある──引用者)、すなわち「世界過程」とか「進歩」とかさらにまた「発展」といった概念や偏見をさえも、放棄しているからであり──この彼の大胆さにはまだほとんど注意が払われていない──ブルクハルトにとって関心のあったことが、つまるところ時間化することではなく「永遠化すること」だったからである。発展とか進歩とかを放棄したことと並んで、ブルクハルトはこれらの諸概念のうちに含まれている「意味」への要求をも放棄した。しかし放棄を可能にしたポジティヴな原因(中世が解体したことによってはるか沖合に流されてしまった歴史をギリシア世界とその都市国家の没落にローマ帝国の崩壊とキリスト教の登場に近代の起源としてのルネサンスにそして中世の本当の終点としての革命時代の第一期に時代の頂点と危機に見舞われた転換点を探求するブルクハルトは歴史的に保持すべき知識の価値をあくまで信じた点においてニーチェよりもはるかに「反時代的」であったといえる──引用者)は、ニーチェの場合とは異なっていた。』57頁

ブルクハルトとニーチェ

Karl Löwith
JACOB BURCKHARDT Der Mensch Inmitten der Geschichte
西尾幹二/瀧内槇雄


郭嵩燾(1818-1891)ヤーコプブルクハルト(1818-1897)

2019年5月17日

読書状況 読み終わった [2019年5月17日]
カテゴリ 歴史

 粘土を造形するわたしの手探りに意味の雨が降る。あらゆる信念はいかなる場合にあっても合理的に反駁できない。任意の信念に没入する狂いはいつでも可能である。ところが。ただたんに外因的に変化を強いられて内的な因果とは無関係に精神が変容する。それは無意味な切断であった。わたしの手探りは絶句した。影響は破壊的であった。わたしは手探りを再開した。

『無限に降り続く意味の雨を、身体が撥ね返すのである。』13頁そして36頁

意味がない無意味──あるいは自明性の過剰

2019年5月16日

読書状況 読み終わった [2019年5月16日]
カテゴリ 思想

 利をなすことに努めるひとは害を残す夷狄のように廉恥心を失い商賈の情を懐き私利を貪った。士大夫たちは議論に自惚れた。意見の異なる副使を連れて公使として英国に駐在し西洋富強の様子を日記に認めた。中国社会をまなざす目で議会制度をみつめた。生涯にわたって経学を研究し大学章句質疑中庸章句質疑を書き上げた。すべては吾があるべき士大夫像のために。

『従来の郭嵩燾像が現代の研究者の研究枠組みと深く結びついているとしたら、それは本当に当時の郭嵩燾のあり方を描けているのであろうか、果たしてそのような方法によって郭嵩燾が何を目指していたのかを明らかにできるのであろうか、という疑問である。進歩と保守、西洋近代と伝統儒学といった枠組みはあくまで現代の研究者のものである。本書を通して明らかにされるように、郭嵩燾自身が自らを進歩派と見なして保守派を排撃したわけではないし、また自身の思想課題を伝統儒学と西洋近代との接合などと見なしていたわけでもない。つまり、従来の研究では、郭嵩燾自身の主体的な問題意識という最も基本的な点が、十分に検討されてこなかったと言えるのである。』4頁

2019年5月12日

読書状況 読み終わった [2019年5月12日]
カテゴリ 歴史
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