いじめの構造 (新潮新書 219)

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  • 新潮社 (2007年6月1日発売)
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「誰が犯罪を「いじめ」にしてるのか?それは国家権力(警察)を憎むカビの生えた日教組思想と、教師はあらゆる困難を乗り越えていじめ被害者を守り、いじめ加害者を更生させるべきだと考えるコケの生えた教師聖職者論者、それに少しくらいヤンチャな方が立派な大人になるといった牧歌的な青春イメージです。(本文より)
P174~数学なら頭の良し悪しが正しい答えを決めるが、社会問題は話し合いと多数決で解決するのが民主主義(デモクラシー)社会のルールです。だからこそ、具体的な利益で考えるべきなのです。
P175~学校は「出席停止の期間において、当該児童生徒が学校や学級へ円滑に復帰できるよう、規範意識や社会性、目的意識等を培うこと、学校や学級の一員としての自覚を持たせること、学習面において、基礎・基本を補充すること、悩みや葛藤を受け止めて情緒の安定を図ることなどを旨として指導や援助に努める」ことが文科省の通知「出席停止制度の運用の在り方について」)で明確にされています。被害者が毎日学校で殴られ、安全な状態で今日いうを受ける権利をはく奪されることに対して、加害者が失う利益はクラスのみんなと一緒に授業を受ける権利だけです。暴力系のいじめをした生徒に対して出席停止をちゅうちょする理由がない。「人権」対「人権」という構図になった途端話が判らなくなる。
P178~被害者が被害を訴えた時、精神科医やスクールカウンセラーの意見を尊重し、学校がいじめを確認できなくても転校を許可することで最も弱い被害者を守る。
・価値観の押し付けはいじめ防止には抱えない。何を卑怯と感じるかは価値観そのものであり、いじめ予防には価値観の押し付けは不可欠。むしろ、価値観を押し付けないから、子供は『チクリ行為は卑怯』「いじめられたからって休むなんて卑怯」という自分たち独自の価値観を肥大化させていくのです。弱い者いじめは卑怯である。人をいじめるのは卑しい行為だ。そして卑怯者や賤しいやつは他人から軽蔑されて当然である、このような規範は武士道に繋がる。
・学校のいじめ問題を解決する手段として「人権フィクション」だけで対応するのと「武士道フィクション」も付け加えるのとではどちらが効果的でしょうか。
・自分の人格や能力相応に大人がハラスメントと付き合って生きているように子供もいじめとリアルに付き合いながら生きています。どんな対策も現実を知らなければ始まらない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: いじめ
感想投稿日 : 2015年4月14日
読了日 : 2015年4月11日
本棚登録日 : 2015年4月11日

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