一揆の原理 日本中世の一揆から現代のSNSまで

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著者 :
野分之朝さん 日本史(研究用)   読み終わった 

―「一揆」を再考、再構して彩光する

本書では主に中世の一揆について、「一揆=階級闘争」として捉えていた戦後歴史学のいわば願望的歴史観を再考し、一揆という言葉の意味や一揆における民衆の行動、意識形態からその実像に迫って「一揆」を再構築し、その歴史的意義に光を当てなおすことが極めて平易な言葉とわかりやすい具体例を通じて行われている。また、そのなかで原初形態としての中世の一揆、それが転訛した近世の百姓一揆、もはや一揆としては完全に変質した近代の新政府反対一揆の三者の比較も適宜行われている。

結論から言うと、一揆というのは中世に最盛期を迎える人々の連帯の形であり、説明するのならば「1人の問題を全体の問題として扱う運命共同体的な団結」のことである。その中では全員の共同意思によって行動し、責任は全員で負うことになっている。なぜならば、一揆の参加者は武士、僧、農民など様々な身分背景を持ちながらも、その立場的な相違を超えて参加者全員が平等に意見をする多数決において決定された意思に基づいて行動をするということは、“正義”とみなしうるからである。(これは序列が示されることなく署名がなされる傘連判(近世)にもみられる意識だとする。)
そのため、一揆というのは人と人をつなぐ紐帯ではありえても、体制を打倒する実力行動ではない。(その色が出てくるのはもはや一揆としては最終段階を迎えた明治10年以前のものだけである。)また、人々は「契約」を交わすことで無縁の状態から縁を再構成し、平等に結ばれる。だから当然人を殺害することが目的ではなく、特に近世の百姓一揆では農具を持って抗議を行うことが知られている。そしてそこでの交渉相手はあくまで交渉可能な権力であり、朝廷、国家、幕藩の存在を前提として要求を発するのだが、(ここにも新政府の存在を否定する近代の新政府反対一揆とは異なる側面を見出すことができる)彼らの意識というものは中世ならば緊急事態に際しては富める者は富を放出して貧者を救うべきだとする「有徳思想」、近世ならば武士は百姓が生活できるように良い政治を行い、百姓はその善政に対して年貢を納めるという「御百姓意識」に、簡潔に言うと支えられている。

所感としては何と言っても…読みやすい!圧倒的に読みやすい。あとがきにおいて著者自身が言及しているところではあるが、日本史の本(たとえ一般書においてでも!)における「やたらめたらに参考文献が列挙されていて読みにくい」「当たり前のように出てくる「戦後歴史学」というものがそもそもわからないし、それに対する様式化された批判もさらに難解」「歴史家の当たり前は必ずしも一般読者のあたりまえではない」という問題を(3つめは私も長らく歴史に身を置いているので評価しがたいが…)かなりの部分で解決し、非常に明瞭になっているように思われる。また、かといって著者が言及している学説が一体誰の説なのかというのは明示する工夫がなされていて、これからの学習にも活用できるという点は日本史学習者としてありがたいの一言に尽きる…ありがとうございます、先生。
さすが、あの「応仁の乱」を売った研究者は違うなあと思いました。こちらのほうが先だけれど、「売れる」文章だなと圧倒されました。

レビュー投稿日
2018年5月15日
読了日
2018年5月11日
本棚登録日
2018年5月11日
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