読んでいない本について堂々と語る方法

  • 筑摩書房 (2008年11月27日発売)
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感想 : 196
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全くもって引き込まれるタイトルである。そして、ここまで堂々と言い切られてしまうと、本書の中身をきっちりと読みたくなってしまうのが、人の性であろう。ただし、この本はマニュアル本の類ではない。読書に関する常識を問い直し、新しい向き合い方を論じた一冊なのである。

著者は、フランスの大学教授であり、パラドックスの名手であるそうだ。そんな著者は、多くの人が読書に関して3つの誤った規範を持っていると主張する。すなわち、「読書は神聖なものと見なしている」、「読書には通読義務がある」、「本を語るには読んでいる必要がある」ということである。しかし著者は冒頭からをこれらの規範を批判し、「むしろ読んでいることが害になる」とすら言う。

◆本書の目次
Ⅰ 未読の諸段階
1 ぜんぜん読んだことのない本
2 ざっと読んだことがある本
3 人から聞いたことがある本
4 読んだことはあるが忘れてしまった本

Ⅱ どんな状況でコメントするのか?
1 大勢の人の前で
2 教師の面前で
3 作家を前にして
4 愛する人の前で

Ⅲ 心がまえ
1 気後れしない
2 自分の考え方を押しつける
3 本をでっちあげる
4 自分自身について語る

著者が論点としてあげているのは、本を読むということの”あいまいさ”についてである。読者の育った文化的背景、その著者や領域に関する既有知識などによって受け取り方は様々であり、それに比べたら本をどこまで精読するかということは小さな問題であり、恐れることはないと主張する。この受け取り方のことを著者は<内なる書物>と呼んでいるが、これはコンテンツとコンテキストの違いと捉えると理解しやすい。どのように読もうとも、読者によって語られる瞬間からコンテキストになるという指摘は、腑におちる。これから普及してくるであろうソーシャル・リーディングなるものは、コンテキストを共有するという行為なのかもしれない。

また、本書は昨今注目されている「キュレーション」という概念について述べた一冊と読み替えても、非常に面白い。奇しくも冒頭に図書館の司書が登場し、「何百万という蔵書について一冊も読んだことがないが、全部の本を識っている」と主張する。その司書にとっては、全体の見晴らしや、書物を横断することこそ重要であり、個々の書物のディテールを追うことが重要ではないのである。さらに、最終章で「批評」と「創造」について述べているところも、キュレーションとクリエーションの線引きを整理するのに有用な論考である。

本書で主張しているメッセージは、非常にシンプルである。ただし、そのメッセージが発せられるまでの、前段の組み立てが抜群にうまく、メッセージが効果的に響くように設計されている。そして、その前段の組み立ての多くは、さまざまな書物からの引用で構成されている。著者自身が、本を読むなと言っているにも関わらずだ。なぜ本からの引用で構成されているかは、後半、そのトリックが明らかになる。どうりで上手いわけだ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: book
感想投稿日 : 2011年1月23日
読了日 : 2011年1月23日
本棚登録日 : 2011年1月15日

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