職業としての政治 (岩波文庫 白 209-7)

  • 岩波書店 (1980年3月17日発売)
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(2014.12.12読了)(2013.01.24購入)
衆議院が解散し、総選挙期間中なので、「政治」について考えてみようと、読んでみました。
残念ながらよくわかりませんでした。マックス・ヴェーバーが1919年1月に行った講演をまとめたものということです。
政治とは何であるかについて「あとがき」から引用しておきましょう。
「ヴェーバーによれば、政治の本質的属性は権力であり、政治とは「国家相互の間であれ、国家内部においてであれ、権力の分け前にあずかり、権力の配分関係に影響を及ぼそうとする努力である」。政治を行うものは、権力それ自体のためであれ、他の目的のための手段としてであれ、権力を追求せざるをえない。政治はどこまでも政治であって「倫理」ではない。その意味で政治一般に対するセンチメンタルで無差別的な道徳的批判は、百害あって一利もない。」(118頁)

【目次】
職業としての政治
訳注
あとがき  脇圭平

●国家(9頁)
国家とは、ある一定の領域の内部で―この「領域」という点が特徴なのだが―正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である
●権力(10頁)
政治をおこなう者は権力を求める。その場合、権力を別の目的(高邁な目的又は利己的な目的)のための手段として追及するか、それとも権力を「それ自体のために」、つまり権力自体がもたらす優越感を満喫するために追究するか、そのどちらかである。
●ジャーナリスト(43頁)
ジャーナリストの責任のほうが学者よりはるかに大きく、責任感の点でも、誠実なジャーナリストになると、平均的に見て学者にいささかも劣るものではなく、―戦争の経験からも分かるように―勝ってさえいるということ、この点もほとんど完全に無視されている。
●政治家(76頁)
資産状態からいって、政治「によって」生きることを余儀なくされた人の場合、恐らく今後も次のようなコースが選択の対象となるであろう。典型的な直線コースとしてはジャーナリズムか政党職員のポスト。そうでなければ、労働組合・商業会議所・農業会議所・手工業会議所・労働会議所・使用者団体といった利益代表のポスト、あるいは地方自治体の適当な地位。
●資質(77頁)
政治家にとっては、情熱・責任感・判断力の三つの資質が特に重要であるといえよう。
●政治行為の結果(81頁)
政治行為の最終結果が、往々にして、いや決まって、当初の意図とひどく喰い違い、しばしば正反対なものになる、というのは全く事実で一切の歴史の根本的事実である。
●暴力行使(97頁)
人間団体に、正当な暴力行使という特殊な手段が握られているという事実、これが政治に関するすべての倫理問題をまさに特殊なものたらしめた条件なのである。
●偉大な達人(100頁)
無差別の人間愛と慈悲の心に溢れた偉大な達人たちは、ナザレの生まれであれ(キリスト)、アッシジの生まれ(聖フランチェスコ)、インドの王城の出であれ(仏陀)、暴力という政治の手段は用いはしなかった。
●政治(105頁)
政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である。

☆関連図書(既読)
「日本改造計画」小沢一郎著、講談社、1993.05.20
「総理の資質とは何か」佐伯啓思著、小学館文庫、2002.06.01
「美しい国へ」安倍晋三著、文春新書、2006.07.20
「大臣 増補版」菅直人著、岩波新書、2009.12.18
「あなたが総理になって、いったい日本の何が変わるの」菅伸子著、幻冬舎新書、2010.07.20
「職業としての学問」ウェーバー著・尾高邦雄訳、岩波文庫、1936.07.15
(2014年12月13日・記)
(「BOOK」データベースより)amazon
あらゆる政治行動の原動力は権力(暴力)である。政治は政治であって倫理ではない。そうである以上、この事実は政治の実践者に対して特別な倫理的要求をつきつけずにはいない。では政治に身を投ずる者のそなうべき資格と覚悟とは何か。ヴェーバー(1864‐1920)のこの痛烈な問題提起は、時代をこえて今なおあまりに生々しく深刻である。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 社会問題
感想投稿日 : 2014年12月13日
読了日 : 2014年12月12日
本棚登録日 : 2014年12月11日

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