(2009年9月16日読了)
各地で民族紛争が行われ、国連監視団等が駐留などして、平和への道筋を探るということが行われています。どうしたら、二度と紛争のおこらない状態に持っていけるのかということがこの本のテーマとなります。
著者は、アフガニスタンや東ティモールの現場に出かけて、住民の声など聴きながらその結果をまとめ、国連機関などに提言して役立ててもらおうとしています。
「平和構築」は、国連によって「紛争後の地域において、国家の再建を通じ、紛争の再発を防ぎ、平和を定着させる活動」と定義されている。(i頁)
●アフガニスタンの現状
2001年のアメリカの侵攻と、タリバン政権の崩壊を契機に始まったアフガンでの平和構築。2004年頃までは治安も安定し、カブールからカンダハールまで、陸路で行くことができた。2005年から始まった急激な治安の悪化により、現在、国連職員は皆、国連専用機で空路カンダハールに入る。
●平和構築の体制
通常の平和構築活動で行われてきた「国連ミッションが、政治的な役割と、軍事的な役割の双方を指揮、コントロールする」という体制は、アフガンでは採用されなかった。
政治的な役割を担う「国連アフガン支援ミッション」と、治安の維持と、アフガン軍やアフガン警察の整備を支援する「国際治安支援部隊」、そしてタリバン・アルカイダ掃討作戦を行うという「不朽の自由作戦」の三者が、それぞれ別々の役割を担うことになった。
アメリカは、「不朽の自由作戦」を主導し、「国際治安支援部隊」は、NATO加盟国が参加し、アメリカ軍も参加している。アフガン住民から見ると2つの区別がつかない。
アメリカ軍による「不朽の自由作戦」への反感が「国際治安支援部隊」への反感へとつながっている。
●武装解除は日本主導(97頁)
2003年2月から2006年6月まで、「武装解除」、「動員解除」、「社会復帰」プログラムが実施された。
目的は、アフガンに無数に存在する軍閥を解体し、中央政府が直接指揮するアフガン軍とアフガン警察が、アフガン全土の治安をコントロールするためだった。
社会復帰プログラムの内容は、「農業に従事するための支援」「職業訓練」「小規模ビジネスの立ち上げ支援」などが主であった。
●東ティモール(177頁)
16世紀前半、ティモール島はポルトガルが征服。
1859年、島の東側をポルトガルが、西側をオランダが分割統治するようになった。
1945年、西ティモールはインドネシアの一部として独立。東ティモールはポルトガルが植民地支配を続けた。
1975年、東ティモール、独立宣言。インドネシアが軍事侵攻し、東ティモール占領。
1976年、インドネシアが東ティモールを併合。
1999年8月30日、投票の結果、東ティモールは「独立」を選択。
9月4日、インドネシア軍や警察、「併合支持派」の民兵が東ティモール全土で略奪と放火。
9月19日、多国籍軍の派遣により治安回復。
2002年5月20日、東ティモール独立宣言。
2005年5月、国連PKO部隊と国連警察撤退。
2006年4月、暴動発生、治安崩壊、多国籍軍派遣。
著者 東 大作
1969年、東京に生まれる
1993年から2004年までNHKディレクター
「我々はなぜ戦争をしたのか―ベトナム戦争・敵との対話」(放送文化基金賞)
「イラク復興国連の苦闘」(世界国連記者協会・銀賞)
2004年8月からカナダのブリティッシュ・コロンビア大学大学院に留学
2006年に修士課程を修了
国際政治を専攻
(2009年10月1日・記)
- 感想投稿日 : 2009年9月16日
- 読了日 : 2009年9月16日
- 本棚登録日 : 2009年9月16日
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