転生者オンム・セティと古代エジプトの謎

  • 学習研究社 (2008年10月14日発売)
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(2009.06.28読了)
TBSテレビの「世界・ふしぎ発見」で紹介された本です。図書館に予約して、やっと順番が回ってきて読むことができました。
ドロシー・ルイーズ・イーディーという名前のイギリス人女性の話です。
1904年3月にロンドン郊外で生まれた。父親は仕立屋だった。1981年4月21日、エジプトのアビドスで死亡した。享年77歳。
ドロシーは、1907年、3歳のときに階段から落ちて死亡した。死亡を確認した医師が、いったん病院に戻って、死亡診断書を書いて再びイーディー家に戻ってみると、ドロシーは元気に遊んでいた。このとき、エジプトのセティ一世の時代のアビドスのセティ神殿の巫女ベントレシャイトの生まれ変わりとなったらしい。
4歳のとき、一家で大英博物館へ出かけた際、エジプトの間で、懐かしさを覚えた。その後、ドロシーの父親に買ってもらったエジプトの写真集で、アビドスのセティ神殿を見て、ここが自分の家だと気付いた。セティ一世のミイラの写真を見て、知っている男性と気付いた。
大英博物館のエジプト室にドロシーは何度も足を運び、10歳のころからバッジ博士にヒエログリフの読み方を教わった。
セティ一世は、エジプトでもっとも有名なファラオ、ラムセス二世の父親です。
モーゼが、エジプトで過ごしたのは、ラムセス二世の時代と言われます。
14歳のころから、セティ一世がドロシーのもとにあらわれるようになった。夜間睡眠中に。
成人したドロシーは、英国人向けのエジプト広報誌の仕事に携わっていたときに、エジプトからの留学生と恋に落ちた。
1933年、ドロシーは、イマーム・アブドゥルメギードと婚約した。二人はエジプトで結婚した。ドロシーは妊娠し、男の子を生んだ。子どもにセティと名付けた。
1935年10月、夫のイマームは、イラクで一年間教師をしないかという要請にこたえて、単身でバグダッドに向かった。
ドロシーは、ギザのピラミッドで発掘の指揮をしていたセリム・ハッサン教授にお願いして、発掘作業を見物させてもらった。ドロシーは、セティの母を意味する「オンム・セティ」と呼ばれるようになった。
ドロシーは絵がうまかったので、発掘された遺物のデッサン画家として雇われた。ドロシーは、仕事に熱中するあまり、子供の面倒はあまり見なかった。
1936年、夫のイマームは帰国した。ドロシーとイマームは離婚した。
オンム・セティは、エジプト考古局に雇われた。セリム・ハッサン教授の口利きのおかげだった。
1939年、息子のセティを再婚していたイマームに渡し、子育てから自由になった。
オンム・セティは、1952年に初めてアビドスを訪れた。紀元前1300年にベントレシャイトとして暮らした場所だ。いずれこの地に住むように運命づけられていると感じた。
1956年3月、52歳になったオンム・セティは、アドビスで暮らし始めた。
1981年に亡くなるまで、ここで暮らした。
オンム・セティは、セティ一世から聞いた話をノートに書き留め、この本の著者に託した。この本の中でも、その一部が紹介されている。
(2009年6月29日・記)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ドキュメンタリー
感想投稿日 : 2009年7月26日
読了日 : 2009年6月28日
本棚登録日 : 2009年6月28日

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