平安京の災害史: 都市の危機と再生 (歴史文化ライブラリー 345)

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  • 吉川弘文館 (2012年5月1日発売)
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感想 : 5
4

(2013.04.24読了)(2013.04.18借入)
【東日本大震災関連・その120】
この本の対象としている時代は、794年の平安遷都から1212年『方丈記』が書かれたころまで、というところです。
昨年、「平清盛」の関連で、「方丈記」を読んだのですが、その頃、図書館でこの本を目にして、やっと借りてきました。
平安時代の庶民の家がどんな感じなのかは、史料がないようです。現代に伝わっている史料は、ほとんどが、公卿が書いたものということによるのでしょう。
災害については、日記、国史、等を拾い集めると、ある程度のことはわかるようです。注意してみていけば、歴史が、いろんな視点からまとめられてきているようなので、今後とも、図書館の本棚に注意していこうと思います。
この本では、平安京の飢饉、洪水、疫病、地震、火災、についてまとめたものです。
800年から1200年頃の京都がどのようなものであったのか、意外な視点から見ることができたので、面白く読めました。

【目次】
災害から見た平安京―プロローグ
飢饉の惨状
洪水とその対策
地震の発生とその対応
火災発生の状況と背景
くり返す災害と変わりゆく平安京―エピローグ
あとがき

●鴨川(54頁)
鴨川が現在のように、両側に堤防が築かれ、川幅が一定になったのは、寛文十年(1670)に完成した「寛文新堤」以降のことと考えられている。河道の内部については、近代に至るまで、鴨川には複数の流路が網の目のような経路を形成しており、中州などがあちこちにみられた。今日のように河流が一本になったのが、戦後1947年(昭和22)の改修工事においてであった
●疫病(75頁)
京で疫病が発生する場合、その原因は外部からもたらされるのが一般的であった。その最初の例が天平七年(735)から天平九年にかけて流行した疱瘡(天然痘)である。
●疫病への対処(104頁)
平安京の内部では「鬼神」「疫鬼」が歩き回り、「鬼神遊行」というべき事態が出現していた。人びとはそれとの接触を避けるため、物忌の場合と同じように、家の中に籠らなければならなかったのである。
●なゐ(121頁)
「地震」のことを古語では「ない(ゐ)」といい、動詞として「ないふる(震る)」という用例も頻出する。もともと「ない(ゐ)」は大地のことで、地震とは大地が〈揺れる〉または〈震える〉という意味の言葉であり、さらに動詞が省略されて、「ない」だけがそのまま「地震」を示すこともあったのである。

「方丈記」「今昔物語集」「宇治拾遺物語」「沙石集」「源平盛衰記」「源氏物語」「枕草子」「平家物語」「御堂関白記」「続日本後紀」「続日本紀」「日本書紀」「大鏡」

☆関連図書(既読)
「方丈記」鴨長明著・武田友宏編、角川ソフィア文庫、2007.06.25
「鴨長明『方丈記』」小林一彦著、NHK出版、2012.10.01
「方丈記私記」堀田善衛著、ちくま文庫、1988.09.27
(2013年4月25日・記)
(「BOOK」データベースより)amazon
華やかなイメージの一方で、天災や疫病などがくり返された平安京。時に猛威をふるう自然環境を人びとはどのように捉え、災害にいかに向きあってきたのか。平安時代四〇〇年の歴史を、都市・社会問題の視点から再検証。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 日本史
感想投稿日 : 2013年4月25日
読了日 : 2013年4月24日
本棚登録日 : 2013年4月22日

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