(2003.07.11読了)(2003.07.04購入)
(「BOOK」データベースより)amazon
日本中を震撼させたJCOの臨界事故をはじめ、数々の原子力施設の事故から明らかになった国の政策や原子力産業の問題、技術者の姿勢を問い、これからの科学技術と人間のあり方を考える。生涯をかけて原発問題に取り組み、ガンで逝った市民科学者・高木仁三郎が闘病中に残した最後のメッセージ。

2003年7月11日

読書状況 読み終わった [2003年7月11日]

(2017.03.28読了)(1999.03.11購入)

【目次】
第一章 パンドラの筐は開かれた
第二章 原子力発電 ―巨大化と人間
 Ⅰ 原子力発電
 Ⅱ スリーマイル島原発事故
第三章 核燃料はめぐる
 Ⅰ 核燃料サイクルとプルトニウム
 Ⅱ 核燃料サイクルの過程
 Ⅲ サイクルと人と環境と
 Ⅳ 日本の核燃料サイクル
第四章 核文明のジレンマ
 Ⅰ プルトニウムの毒性
 Ⅱ プルトニウムと核拡散
第五章 不死鳥かバベルの塔か ―高速増殖炉をめぐって
 Ⅰ 高速増殖炉とは
 Ⅱ 高速増殖炉の将来
第六章 ホモ・アトミクス
第七章 未来への一視点
あとがき

☆高木仁三郎さんの本(既読)
「食卓にあがった死の灰」高木仁三郎・渡辺美紀子著、講談社現代新書、1990.02.20
「マリー・キュリーが考えたこと」高木仁三郎著、岩波ジュニア新書、1992.02.20
「宮澤賢治をめぐる冒険」高木仁三郎著、社会思想社、1995.04.30
「原子力神話からの解放」高木仁三郎著、光文社、2000.08.30
「原発事故はなぜくりかえすのか」高木仁三郎著、岩波新書、2000.12.20

2017年3月28日

読書状況 読み終わった [2017年3月28日]

(2012.06.13読了)(2012.06.08借入)
大船渡市立図書館に行くと宮沢賢治は、岩手県の生んだ偉人ということで、郷土資料のコーナーに読み切れないほどの宮沢賢治関連の資料が集めてありました。この本もそのコーナーから借りてきました。かみさんも宮沢賢治のファンなので、かみさんの本棚にもたくさん宮沢賢治に関する本があるのですが、ついついよその読みやすそうな方に手が伸びてしまいます。少しずつ手近のも読んでゆきます。
この本は、「賢治にことよせて、私(高木仁三郎)の科学論と自然論をエッセイ風に書いた形になっていて」というものです。第一話と第二話は、講演をまとめたものです。
宮沢賢治と高木仁三郎に同じくらい興味があるという方にお勧めです。

【目次】
第一話 賢治をめぐる水の世界
第二話 科学者としての賢治
第三話 「雨ニモマケズ」と私
あとがき

●「種山と種山ヶ原」(9頁)
じつにわたくしは水や風やそれらの核の一部分でそれをわたくしが感ずることは水や光や風ぜんたいがわたくしなのだ。
●純粋な水(19頁)
「純粋な水」というものを得ることがほとんど不可能だ
どんな手段で水を作ったり精製したりしても、器に容れる段階で必ず器の素材物質の一部を溶かし込んでしまって、一定の不純物が入り、それによって一定の性質を持ってしまう。
●「雁の童子」(44頁)
雁の童子というのは、いってみれば天にも行ききれず、地上の人間の世界にも十分に住み切れなくて、天と地の間をさまよっているといいますか、生と死の間を繋がっているわけですね。雁の童子というのは、そういう生きる悲しみ、死ぬことの悲しみ、その両方を負ってしまったような存在です。
●自然と人間(52頁)
自然の大きな全体というのがあって、人間はそれに取り巻かれた一員でしかないんです。人間があって環境があるのではない。全体があって、その一部に、点のような存在として人間がある。
●放射能汚染(91頁)
岩石の中の放射のを測るために非常に感度のいい検出器を開発したら、環境がすでにものすごく放射能で汚れていることが見えてきました。
宇宙の昔に生まれた放射能を測りたいと思っても、核実験やアイソトープ利用というのが始まっていて、しかもあとからは原子力発電も始まったわけで、それから出てくる放射能の汚れのほうが強くて、宇宙の歴史を調べるのに邪魔になってしょうがないのです。
●安全に生きられる(104頁)
私が考えてきたのは、本当にみんなが共に、安全に生きられるような科学や技術を作っていきたいということなのです。
●エコロジー(105頁)
人間の生き方の基本を、人間がほかの生き物たちと共に生きるところに置く。そうでない限りこの地球の全体、生態系といいますか、生命の場を保つことができないし、人間そのものもその中で自由に創造的に生きてゆくことができません。
●「グスコーブドリの伝記」(117頁)
カルボナート火山を噴火させてしまえば、炭酸ガスが出ることによって温暖化が起こって冷害が防げるのではないか
(噴火によって吹き上げられたチリが上空に漂い、日光を妨げ、寒冷化する可能性もあるのでは)

斎藤文一著『宮澤賢治と銀河体験』

☆宮沢賢治の本(既読)
「新編 宮沢賢治詩集」宮沢賢治著、角川文庫、1953.12.20
「注文の多い料理店」宮沢賢治著、角川文庫、1956.05.20
「セロ弾きのゴーシュ」宮沢賢治著、角川文庫、1969.02.10
「銀河鉄道の夜」宮沢賢治著、角川文庫、1969.07.20
「宮沢賢治の愛」境忠一著、主婦の友社、1978.03.30
「兄のトランク」宮澤清六著、筑摩書房、1987.09.20
「ふれあいの人々」森荘巳池著、熊谷印刷...

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2012年6月13日

読書状況 読み終わった [2012年6月13日]
カテゴリ 宮澤賢治:作家

【東日本大震災関連・その⑩】
(2011.07.11読了)(2009.07.22購入)
積読の山を移動していた時に見つけた本です。購入したことをすっかり忘れていました。見つけた時にいま読むべき本だと思い、読んでみました。
福島原発の事故で、放射物質がまき散らされ、食品の放射能による汚染が問題になっています。この本は、チェルノブイリ原発事故の後の周りの国の対応、国による食品の安全基準の違い、日本の対応などについて書かれています。
現在の日本の安全基準などは、本とは別に調べないといけませんが、最終的には、国の基準は、物の調達の可能性と経済的な部分との兼ね合いで決めざるを得ない面があるので、あくまで各人は、参考値として考えることになるでしょう。放射能は人体に有害なことは確かなので、それぞれ自分の懐具合と将来的な障害の可能性の許容量を勘案して対応せざるを得ないでしょう。
そのためにも、福島原発の放射能汚染の状況と今後の見通しの下に、放射能の放出が続くようであれば、各食品の放射能汚染状況の細かい数値の発表が欠かせないことになるでしょう。
この本は、2011年4月に「食卓にあがった放射能」七つ森書館刊で新装版が出ています。

章立ては以下の通りです。
1.食品の放射能汚染とは
2.チェルノブイリの放射能―その教訓
3.食卓にあがった放射能
4.輸入食品と放射能汚染
5.日本で原発事故が起こったら
6.放射能にどう備えるか

●チェルノブイリ原発事故(6頁)
1986年4月26日にソ連のウクライナ共和国で起こったチェルノブイリ原発事故は、科学技術や環境といった面はもとより、政治、経済、文化などさまざまな側面で世界に巨大なインパクトを与え、世界中の人々を震撼せしめた。なかでも、放出された放射能によって生じた食料品の汚染は、それが人々の毎日の食生活に関係するだけに、これまでに原発とか放射能とか聞いただけで避けて通ろうとしてきた人々をも直撃した。
●暫定的制限値(14頁)
食品1キロあたり370ベクレルという暫定的な制限値を設けた。セシウムの放射能がこの値を超えたものは、食品衛生法第4条違反に相当するとして輸入を認めないという方針を決めた。(1986年11月)
●晩発性障害(28頁)
晩発性障害の最も典型的なものには、白血病とがんがあるが、白血病の場合で早くて被爆後約4.5年くらいから、他のがんでは10年くらいから現れ出すのが一般的だ。その他に、白内障、不妊、慢性皮膚炎、加齢現象なども、晩発性の障害と考えられる。
身体の晩発障害と同じように、遅れて現れる影響に遺伝的影響がある。放射線が生殖細胞の遺伝子や染色体に異常を与えることで起こされる先天性の異常である。
●放射線被爆に対する考え方(30頁)
放射線の被曝に対する基本的な考え方としては、「このくらいは浴びてもよい」という態度は好ましくなく、「避けられる被爆は可能な限り避ける」というのが正しい。
●ヨウ素の汚染(45頁)
ヨウ素で汚染した牧草を牛が食べた場合、すぐに牛乳の汚染となって現れることが知られている。人間が飲んだ牛乳中のヨウ素はすぐに甲状腺に集まり、そこに大きな被害を与える。特に乳幼児たちは、一般に大量の牛乳を飲む、しかも、乳幼児の甲状腺は小さく、甲状腺内の濃度が高くなるため、大人よりはるかに大きな被曝となる。ヨウ素は子供たちにとって、特に要注意だ。
●事故情報の伝達(58頁)
いちばん最初にすべきことで最も大切なことは、事故情報やそれに対しての基本的な備え方を、市民に的確に伝えることだ。「不用意に伝えるとパニックになる」といって、情報公開を渋る政府は多い。
●ソ連以外の政府の対応(59頁)
各国はそれなりに事故情報を流しているが、そのほとんど...

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2011年7月11日

【東日本大震災関連・その①】
(2011.03.27読了)
地震で棚から落ちた本を整理していたら、見つかった本です。原子力発電の見直し論議が行われると思いますので、参考になるかと思って読んでみました。
原子力船「むつ」が漁民の反対で出港できず、台風の襲来に乗じて、出港したら放射能漏れを起こし、もどることができなくなった頃の話です。
以下の3つの内容で構成されています。
むつ市奥内小学校二股分校生徒が手分けして彫った版画「むつの海を守る人びと」
高木仁三郎著「私たちの生活に原子力はいらない」
宮島郁子著「母親として私たちも原子力を考える」

子供たちの彫った木版画は力強いものです。むつの漁民の決意が表現されています。
高木さんの文章は、原子力がいかに危険なものであるかが分かりやすく書かれています。
●放射線被ばく許容量
許容量と言うとそこまでは放射線を被ばくしてもよい「安全量」のように聞こえますが、実際は、何人が死んだり障害にかかったりすることを「許容」するかという、いわば原子力産業のための「ガマン量」です。
●放射線
放射線は本質的に生体に対して、細胞を破壊し、ガンやその他の障害を生じ、遺伝子に悪影響を与える破壊的で危険なものなのです。
●プルトニウム
プルトニウムは、それ自身としても、茶さじ一杯の量が何十万人もの人の致死量に当たるというほど元素の中でも最も毒性の高いものです。

原子力の今後を考えるとともに、今回の東日本巨大地震によって引き起こされた福島原発の危機的状況は、何とか安全状態に抑え込んでいただきたいものです。

☆高木仁三郎の本(既読)
「マリー・キュリーが考えたこと」高木仁三郎著、岩波ジュニア新書、1992.02.20
「原子力神話からの解放」高木仁三郎著、光文社、2000.08.30
「原発事故はなぜくりかえすのか」高木仁三郎著、岩波新書、2000.12.20
(2011年3月29日・記)

2011年3月27日

読書状況 読み終わった [2011年3月27日]
カテゴリ 物理・化学

(2007.06.04読了)(2006.07.15購入)
原子力発電の廃止を唱えて活動していた高木さんの書いた本です。
キュリー夫人と原子力はどう結びつくのかと考えてしまったのですが、キュリー夫人がノーベル賞をもらったラジウムは、強力な放射線を出し続ける物質だったんですね。
原子番号の大きな原子は、十分に安定ではなく、崩壊することでより安定な原子に落ち着こうとする。このときに放出されるエネルギーが、放射線というものである。(79頁)
ラジウムの発見が「核」の世界を開くことになったわけです。
マリー・キュリーの小さいときの名前は、マリア・スクロドフスカです。ポーランドの人です。当時のポーランドは、ロシアの支配下にありました。
1891年11月、24歳目前のマリアは、パリの北駅に降り立ちました。ソルボンヌ大学で学ぶためでした。
猛烈な勉強の結果、1893年の物理学学士試験を首席でパスした。
1894年、マリアは、ピエール・キュリーと出会った。このときピエールは35歳。
1895年7月26日、マリアとピエールは結婚した。ピエール・キュリーは、パリ生まれのフランス人です。
ピエールは、パリの市立物理化学校の教授であった。マリーはここで一緒に研究しながら教員資格をとった。
1903年11月、アンリ・ベクレル、ピエール・キュリー、マリー・キュリーの3人にノーベル物理学賞が授与された。放射能と放射性元素の研究に対するものです。
ピエール・キュリーとマリー・キュリーは、ラジウムの研究で、多量の放射線を浴びることになり、健康を害していた。このときにはまだ、放射能の危険性は知られていなかった。
マリー・キュリーは、1911年にラジウムの発見・研究によって、ノーベル化学賞を受賞した。ノーベル賞を2度受賞していたんですね。
1934年7月4日、マリーは、死去。66歳。
1935年、マリーの娘、イレーヌがノーベル化学賞を受賞している。

現代科学は、研究成果が人間社会に与える影響を考慮しながら進めないといけないはずなのですが、影響の善し悪しを判断できる人が誰もいないように思えます。
そうなると、研究者自身が自己責任でやらざるを得ず、悪い影響が出たときは、処罰を受けるということになるのでしょう。

著者 高木 仁三郎
1938年 群馬県生まれ
1961年 東京大学理学部化学科卒業
1975年 原子力資料情報室設立に参加
1987年 原子力資料情報室代表(98年まで)
2000年10月8日 逝去
専攻は原子核化学(理学博士)
(2007年6月19日・記)

☆関連図書(既読)
「原子力神話からの解放」高木仁三郎著、光文社、2000.08.30
「原発事故はなぜくりかえすのか」高木仁三郎著、岩波新書、2000.12.20

(「BOOK」データベースより)amazon
みなさんはラジウムの発見でノーベル賞を受賞したマリー・キュリーを知っていますか。祖国ポーランドを出てパリに学び、20世紀の核の扉を開いたかげには、最悪の困難にも挑む強い意志がありました。夫ピエールや娘たちへのこまやかな愛情にもふれて生涯をたどり、その業績が今日いかに生きつづけるかを語ります。

2007年6月4日

(2007.03.22読了)(2003.07.24購入)
副題「日本を滅ぼす九つの呪縛」
(「BOOK」データベースより)amazon
一九九九年九月三〇日に起こった東海村のJCOウラン加工工場における臨界事故は、原子力産業や政府のみならず、すべての日本人に、根底から、今までの原子力問題に対する態度の甘さを痛感させるものでした。原子力利用にバラ色の期待をして五十年もの間、夢を見続けてきた私たちは、今こそ目を覚ます必要があります。臨界事故でピカッと光ったあの光は、そのようなメッセージだったのではないでしょうか。

著者 高木 仁三郎
1938年 群馬県生まれ
1961年 東京大学理学部化学科卒業
日本原子力事業NAIG総合研究所、
東京大学原子核研究所助手、
東京都立大学理学部助教授、
マックス・プランク研究所研究員、
1975年 原子力資料情報室設立に参加
1987年 原子力資料情報室代表(98年まで)
1995年 「宮澤賢治をめぐる冒険」等により第5回イーハトーブ賞受賞
1997年 ライト・ライブリフッド賞受賞
2000年10月8日 逝去
専攻は原子核化学(理学博士)

☆関連図書
「原子力戦争」田原総一朗著、筑摩書房、1976.07.25
「日本の原発地帯」鎌田慧著、潮出版社、1982.04.01
「六ケ所村の記録 上」鎌田慧著、岩波書店、1991.03.28
「六ケ所村の記録 下」鎌田慧著、岩波書店、1991.04.26
「原発列島を行く」鎌田慧著、集英社新書、2001.11.21
「原発事故はなぜくりかえすのか」高木仁三郎著、岩波新書、2000.12.20
「朽ちていった命」岩本裕著、新潮文庫、2006.10.01

2007年3月22日

読書状況 読み終わった [2007年3月22日]
カテゴリ 社会問題
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