流転の子 - 最後の皇女・愛新覚羅嫮生

著者 :
  • 中央公論新社 (2011年8月25日発売)
4.57
  • (12)
  • (9)
  • (0)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 98
感想 : 7

書名の「流転の子」とは清の最後の皇女である
愛新覚羅嫮生(こせい)さんのことである。
父親はラストエンペラー溥儀の弟である溥傑、
母親は日本の華族であった嵯峨浩(ひろ)で、何年か前に
テレ朝のドラマで竹野内豊と常盤貴子が演じたので、
覚えている人も多いのではないかと思う。

私は嵯峨浩の自伝を読んでいたし、
それを批判的に書いた入江曜子の評論も読んでいたので、
ドラマも楽しみにしていたのだが、
常盤貴子の下品な早口喋りとお手軽演技に腹が立って、
あまり楽しめなかった。

さて、この本の章立ては以下の通り。

第一章 幻影
第二章 流転の子
第三章 再会
第四章 母、妻、そして娘として
第五章 命さえあれば

さて、嫮生さんの姉の慧生(えいせい)さんが
天城山で心中したというのはよく知られているが、
嵯峨家側の見方は「ヘンな男につきまとわれた」であるし、
そのほかは「本気で好きだったのに、母に反対された」と
なっている。

私はこの点はどちらでもいいのだが、
興味深かったのは、終戦後の混乱の中国を母親と流転していたのは
嫮生さんだけであり、慧生さんは学習院幼稚園に通うため、
母の実家で祖父母と暮らしていたので、
流転の経験がないということだ。

流転が終わって、母親と嫮生さんが帰国してきたとき、
死線を彷徨った、この2人の間は特別な愛情で結ばれ、
それに慧生さんが疎外感を抱いていたのではないかと、
嫮生さんは振り返っている。
浩さんはお菓子を分けるときなど、嫮生さんに多めに分けたり
していたらしい。

もしかしたら、こういう積み重ねが、
慧生さんと母親との相克に繋がっていったのではないかと思うし、
慧生さんの中国語の猛勉強は母に認められたいという思いからの
ような気もする。
けれども恋愛に関しては自分の意志があった…。

慧生さんの死後、別れ別れになっていた夫婦と嫮生さんは
16年ぶりに中国で再会する。

これは中国との結びつきを必死で模索した慧生さんが周恩来に
中国語で手紙を書いたことがきっかけである。

嫮生さんも母親と一緒に中国に渡るが、少しして日本に帰り、
日本に帰化してしまう。

嫮生さんは中国での流転の日々がトラウマだったのである。
中国語も苦手だし、日本には友人も多いので、日本にしか住みたく
なかったという述懐も興味深かった。

中国に憧れ、5歳のときに生き別れた父親の姿を想像し、
必死で中国語を学んだけれども、
日本人と恋愛し、若い命を捨ててしまう慧生さんと、
中国で死線をさまよったことで、中国に大きな恐怖感を感じ、
「普通の生活が一番ほしかった」とする嫮生さんの生き方や価値観はとても対照的である。

それでも、嫮生さんは中華料理の勉強をしに、
再び両親のもとに戻ったが、やはり日本に帰国する。
しかし、中国は文化大革命の嵐が吹き荒れ、
9年もの間、また両親と会えなくなってしまう。

しかし、この間、遠縁であり、
甲南ボーイだった福永さんと結婚し、 次々と子どもに恵まれる。
そのうちの一人が西宮の中学で常盤貴子と同級生だったという。

そして、嫮生さんは母を亡くし、父を亡くす…。

普通の家庭と異なり、
家族4人揃って暮らした日々はわずかしかなく、
歴史に翻弄された一家であると思うが、
溥傑と浩が非常に仲が良い様子はとても微笑ましかった。
政略結婚でも愛が生まれることがあるのだ。

さて。我らがwwタカラヅカでも
「紫禁城の落日」という舞台になった。
92年から93年にかけての星組、
日向薫&毬藻えりのサヨナラ公演である。
この公演、溥傑ご本人が観劇されたというから驚きだ。

そのときの主なキャストを載せておきま~す。

愛新覚羅溥儀:日向薫
婉容:毬藻えり
愛新覚羅溥傑:紫苑ゆう
愛新覚羅浩:白城あやか
倉石信吾:麻路さき
文繍:英りお
吉岡中将:麻月鞠緒(専科)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 女の一代記
感想投稿日 : 2011年10月6日
読了日 : 2011年9月29日
本棚登録日 : 2011年9月29日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする