最近、選んでいる作品の流れからして明らかに「結婚とは幸せなのか」ということに苛まれている。そしてこの作品は結婚詐欺の話であって、このタイミングで手に取ったということは「結婚てさ、みんな幸せだと思っているけどこういう危ない目にも遭ったりするんだぜ!」と、世界の既婚者に訴えかけて、自分が未婚であることを正当化したいだけなのかもしれない。自分の根深さというか闇深さというか、それにほとほとうんざりする。
井上荒野さんが、作家であった父・井上光晴さんの同名小説にむけたオマージュ作品だという。光晴さんの「結婚」は未読。井上荒野さんの作品は、直木賞を受賞した「切羽へ」以来。mixiレビューをふり返って当時の感想を読んでみた。今は申し訳ないことに、「切羽へ」の内容は全く覚えていなくて、ただ、好きだった箇所についてはしっかりと覚えている。それは「その日帰るときまで帽子に触れることはなかったが、帽子がそこにあることは、ずっと心の中にあった」という部分だ。当時のわたしはそれを「しぐさと存在によって、夫とは別の男性をしずかに愛する気持ちを表現している」と感じたらしい。
そして山田詠美さんの解説を読んだ際、「切羽へ」という作品に対して「書かないことの大切さ」を感じ取ったらしい。「書くことでうさん臭くなりがちな感情の描写がより繊細で美しく感じたのは初めてのことでした」と書いてある。
ほおお、なるほど。
この作品でも「書かないことによる切実さ」が感じられて、それはそこここにちりばめられている。
女性の名前/職業/場所
のタイトルで、10の目線(重複あり)で描かれる一人の男、古海健児。結婚詐欺師。
なので全部騙された女性側の目線ですすんでいくのかなと、少し気持ちがだれてきた頃、古海本人や彼の相棒、さらには妻の目線からも描かれたりする。物語が進むにつれ、どんどん彼に近づいていく。だからだろうか。だんだんと熱っぽくなる感覚がある。微熱のまま物語がすすんで、終結する感じ。一つ前の章で終わっていれば、あるいは最後の章が妻ではなかったら、物語はおそらく高熱となりえただろう。しかし、最後に妻の章が置かれたことにより、物語は微熱のまま終わるのだ。そして、最後に明らかに発生したと思われる事件については、具体的に描かれることはない。
たぶん、今のわたしは。言葉にしたいのだ。言葉にしてほしいのだ。言葉にしないことで美しくなることもあるけれど、言葉にしたからこそうさん臭くなってしまうこともあるけれど、それでもやはり、言葉にしたいのだ。だからこそ、各章の短さに物足りなさを感じてもっと続きを語ってほしいと思ったし、全体的に分かったような分からんような感覚が、鈍く残ってしまっている。
解説は西加奈子さん。西さんは結婚詐欺にひっかかる女を最初他人事としてとらえ「結婚詐欺師」「結婚詐欺にだまされる人」とカギカッコでくくっていたらしい。けれど、「古海の人間らしさに触れた時、そんなカギカッコから大きくはみ出す瞬間がある」と書かれている。
わたしは最後まで、ここに出てくる女性たちに感情移入できなかった。古海に対しても不信感丸出しで、最後まで彼は詐欺師だった。わたしが彼に恋をする瞬間は一度もなかった。それはただ、古海が詐欺師であるという偏見が抜けなかっただけなのか、心と金をむしり取られるほど熱烈に誰かを愛するという気持ちに白けてしまっているだけなのか。自分でもどちらなのか分からない。
- 感想投稿日 : 2020年6月27日
- 読了日 : 2020年6月22日
- 本棚登録日 : 2020年6月27日
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