盲目的な恋と友情 (新潮文庫)

  • 新潮社 (2017年1月28日発売)
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感想 : 857
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辻村さんの作品を読んでいると、いつも完全に引き込まれて虜になる。
作品の中で、主人公が、盲目的に恋をするように、夢中になる。
いつだって彼女の作品には、登場人物の命が宿っている。

解説を書かれた山本文緒さんの言葉が、的確にこの作品を表現している。
「客観性を失って自分の問題しか見えなくなっているふたりの一人称を並べ、家族や仕事などの要素を最小限に留めて、彼女たちの狭い視界をきめ細かく追った。それによって、混乱の渦はより濃く、凄みのある素晴らしい作品になった」

「恋」の章ではタカラジェンヌの母を持ち、とびぬけた美人の蘭花が、とびぬけた美男の星近と恋に溺れる様子が描かれ、
「友情」の章では蘭花の友人、留利絵の視点で蘭花と留利絵の友情関係が描かれる。

初めての恋、美男だけどダメな男星近とずぶずぶと溺れていく蘭花は見ていて痛々しくもある。
親しい友人は言う「別れなよ」と。
傷つく蘭花を見ていられない友人からしたら、適切な助言である。
でも、蘭花は。それでも彼を好きなのである。例え彼がクズだったとしても、彼を好きなのである。
好きという感情は、人間の心と、考える頭脳を、奪う。

留利絵も、蘭花と星近が別れた方がいいと思っている友人の一人だ。
ただ、留利絵の友情は、他の蘭花の友人のものとは異なる。
もっと熱烈で強烈だ。他のどの友人よりわたしを選んでほしい、ここまで蘭花のために自分を犠牲にしているのだからもっとわたしに感謝をすべき。
それは一方的な慕情だ。
だからそこに、相手からの見返りを求めてはいけない。
そんなの分かってる、それでも求めてしまう。
友情とは平等に存在するものだ。それが、相手から選んでほしい、感謝されたいと、そこに見えない優劣が生じたとたん、その慕情は暴走する。

わたしにもいつか、そんな風に思う友人はいた。
でも、そんな関係は自分が都合よく頼られているとわかると、とてつもなく疲弊する。
いつも自分だけが相手に合わせていて、なぜかいつもドタキャンされ、それを許している。
それを許さずに彼女と関わらなければいいのに。それでもその関係性を捨てられないのは。
ずっと人並みに扱われることがなかった自分を、人並みに扱ってくれたから。
もうこれ以上、自分が魅力的な友人に恵まれることはないと思い込んでいるから。
縋ってしまう、依存してしまう、期待してしまう。

「恋の前には、友人に失礼なことをしてもいいのか、思いやりを欠いてもいいのか、恋ならばすべてが許されるのか」

何より残酷なのは、恋と友情を天秤にかけた時、恋の方が、ガクンと下に、傾くことだ。
気付かないうちに、人は恋人を優先する。
つまり、自分自身を優先させる。
だから、恋は友情には勝てない。
結局、また友人に傷つけられておしまい。

今はもう、そこまで強烈な思いをもって関わる友人はいないけれど。
それが、恋なら。
今自分が抱えている慕情が、いつか暴走してしまうのでは。
いくら気をつけていても、その暴走に気付かなくなるほど強烈な愛情を孕んでいると、盲目になる。
他人事ではない、そんな不安に駆られる瞬間がいくつかあった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2020年10月14日
読了日 : 2020年10月10日
本棚登録日 : 2020年10月14日

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