2013.7記。
吉本隆明や梅原猛といった仏教と日本との関係を論じるひとたちがしばしば引用するいわば基本書である「日本的霊性」。いざ手にして見ると、議論は融通無礙(←仏教用語)にあちこち飛びまくるし、内容も「往生がすんで還相があるというのではなくて、往生がすなわち還相で」といった調子でわけが分からないから、適当に割り切って読み飛ばさないと手におえなかった。それでも、難解な仏教の教義がどう日本人の心のありようと関わっているのか、という部分でははっとさせられることが見出される。
平安末期は「末法思想」が広がった、と歴史の授業で習う。著者は、貴族が弱体化し武家が勃興するこの変革期における、「何となく、『このままで、すむものではない』という気分」(P.145)を、「鋭敏な宗教的天才は、必ずこの種の焦燥不安が社会意識の上にただようて居るのを看取せずにはおかない」のだ(P.146)、という。
また、ありがちな日本人論でよく取り上げられるものとして、「日本人はオリジナルを生み出すのは苦手だが、それを取り入れて応用するのが得意である」という言い方がある。外国から伝来した仏教に対しても、そのようなイメージを持つことは容易であろう。しかし、著者はこれを「日本的霊性がたまたま仏教にぶつかって霊性は仏教の上にどんな力を示したか」(P.131)と捉える。
著者の思索を、分からないなりに追いかけることを通じて、何かをちょっとは垣間見たかな、という気分には浸れた。読み返せば理解は深まるかもしれない(が、まあその気力はないな、今のところ・・・)。
- 感想投稿日 : 2019年1月5日
- 読了日 : 2019年1月5日
- 本棚登録日 : 2019年1月1日
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