2015.1記。
1976年、ソ連のミグ25が防空網を突破して函館空港に強行着陸、パイロットが亡命を要求。最新鋭戦闘機奪回のため「ソ連特殊部隊潜入の可能性あり」の極秘情報が米国からもたらされる・・・。本書は、自ら陸上自衛官として現場を目の当たりにした著者による「秘史」物。
自衛隊に対する風当たりが強かった時代。この超一大事にあってさえ、時の三木首相への防衛庁からの報告は、警察、運輸、法務、外務、のあとの5番目。官邸が「ことを荒立てるな」としか指示しない中、函館の陸自師団は戦闘の可能性に思い悩む。
「この地上戦闘は・・・どちらが先に武器を使用したかは、多くの国民がテレビを通じて、茶の間で見る。総理の防衛出動命令をもらわないうちには、先に武器を使用できない。敵の発砲を見定めてから、隊員個人が正当防衛として武器を使用する。これでは、わが方には多数の死傷者がでるだろう」(P.67)・・・
文書の言葉尻の修正が延々と続き、結局は前線の連隊長にあいまいにゆだねられる。文書命令がないことに疑問を抱きつつも、黙って受け入れていく現地部隊。
「(師団長は)戦争目的で実弾の使用を認めたことに気を重くしていた。前の大戦で経験した、『実弾の重み、暗さ』を思い出していたのである」(P.89)。
結局ソ連軍はこなかった。自衛隊側の防衛対処を見て踏みとどまった、というストーリーを私も信じたいが、わからない。現場の奮闘にせめてもの名誉を、と検討された賞状の文言まで「対処行動」から「警備訓練」に変えられてしまった。そしてこの作戦行動の全貌はほとんど国民に知らされることはなかった。
「何も起こさせない」という自衛隊にとって本来一番重要で、そして一番見えにくい任務をともかく彼らは果たした、そのことに、深い敬意を持って本書を閉じた。
- 感想投稿日 : 2019年1月6日
- 読了日 : 2019年1月6日
- 本棚登録日 : 2019年1月1日
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