原題は「written world」。著者はハーバード大の文学者・哲学者。
これは面白い。どのくらい面白いかというと、今年一番面白いと、もう決めたくらい。
文学と世界の関わりについて、新たな視点を与えてくれる本だ。
1968年12月、月面観察のミッションを帯びたアポロ8号からヒューストンに向けたメッセージは、聖書の創世記を読み上げることだった。
「初めに神は天地を創造された」から「神はこれを見て、良しとされた」までの部分だ。
文学の専門家でもない人が特異な状況におかれた時、古くから伝わるテキストを使って経験を言い表したということに、著者は注目する。
時間の経過とともに影響力や重要性を増し、やがて文化全体のソースコードとなる。
人に、そのひと自身の出自を教え、いかに人生を生きるべきかを知らしめるテキスト。
彼らアポロ8号の隊員にとっては、それが聖書だった。
著者はこれを「基盤テキスト」と呼ぶ。
かつては祭司が管理し、帝国や国家の中心に祀っていた。
どの時代にどのような「基盤テキスト」が生まれ、どんな影響を与えていったか、また紙や書字技術・印刷技術の発展とともに、「基盤テキスト」がどう広まり、世界を変えていったかを考察する、それはそれは壮大な文芸エッセイだ。
フィクションを扱いながら、読み物としてはノンフィクションであるという点も興味深い。
全16章で、「源氏物語」には丸々一章が割かれている。
「源氏物語」を未読でも、ここだけでも読んでいただきたい。
マーティン、見てたの?と言いたくなるような平安の頃を俯瞰した文章がまことに面白い。
[源氏物語]に和歌800首を著した紫式部の、宮廷を退いた後にまで思いを寄せている。
「紙」にフォーカスした見方が実に新鮮だ。
「ギルガメシュ叙事詩」「千夜一夜物語」「ドン・キホーテ」などという誰もが知る「基盤テキスト」もあれば、マリの口承文学「スンジャタ叙事詩」やウォルコットの「オメロス」のように始めて知るものもある。「聖書」誕生までの話は特に興味深い。
上に載せたアポロ8号の時代は冷戦の最中で「基盤テキスト」の争いでもあったという。
そんなソビエト連邦を支える本は「共産党宣言」だったというから驚く。
連邦崩壊によって威信も地に落ちるが、その時代・その国の経済や歴史・宗教・人間を形づくってきたという点では同等なのだ。
パピルスの巻物は手元にないはずなのに、今また私たちはタブレット画面をスクロールしている。脚を組んで座り、膝の上に書字版を載せていた古代の書記に、タブレットユーザーの姿は似ていると著者は言う。
中世の騎士道ロマンスは、恋愛小説をはじめとする電子自費出版で復活してベストセラーになり、口承のストーリーテリングも息をふきかえしている。
私たちはいまだ進行中の物語の中にいるということだ。
予測のつかない今後の展開を、新たに書き加えるとしたらどうなるのだろう。
確かに言えるのは、時代を超えてテキストを存続させるにはそれを使い続けること。
そうすれば必ず翻訳され複写され、コード変換されて各時代に読み継がれるだろう。
著者は、文学の未来は技術よりも教育が必要だと結んでいる。
4000年の文学の歴史をひとつの物語としてとらえた、非常に読み応えのある本。
アレクサンドロス、古代の書記たち、ブッダ、孔子、ソクラテス、イエス、シェヘラザード、グーテンベルグ、ルター、ベンジャミン・フランクリン、ゲーテ、・・各時代の人びとの姿が、まるで映像のように鮮やかに浮かび上がる筆致に興奮がやまない。全ての「基盤テキスト」には、誕生の必然性があるのだ。
レビューの中で割愛した部分が山のようにあるので、ぜひ読んで確認してね。
すべての本好きさんにお薦め。
- 感想投稿日 : 2021年1月21日
- 読了日 : 2021年1月20日
- 本棚登録日 : 2021年1月21日
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