次郎物語 (中) (新潮文庫)

  • 新潮社 (1987年1月1日発売)
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5

<中>が次郎物語のクライマックスではないかと思います。少年期から青年期へ向かう次郎の苦悩。その悩みを愛情を持って導く父親や教師。ほんとうに素晴らしいです。

父のお店が潰れる直前。お酒の証文を片手に取り立てに来た人に、次郎は薄めたお酒を渡す。自己反省から、謝罪に行くが、相手からは謝罪は全く受け付けられず、一緒に行った父をも侮辱される。
そんな次郎に中学の教師である朝倉先生から

「『ミケランゼロという伊太利の彫刻家がね、――』
と、先生は、いくぶんゆったりした調子になって、
『ある日、友人と二人で散歩をしていた時に、道ばたの草っ原に大理石がころがっているのを見つけた。彼は、しばらくその黒ずんだ膚を見つめていたが、急に、友人をふりかえって、この石の中に女神が虜にされている、私はそれを救いださなければならない、と言った。そして、その大理石を自分のアトリエに運びこませ、それから毎日たんねんに鑿(のみ)をふるっていたが、とうとう、それを見事な女神の像に刻みあげてしまったそうだ。この話は、何でもないと言ってしまえば、何でもない話だ。彫刻家が自分の気に入った大理石を見つけ出してそれを彫刻するのは、何も珍しいことではないからね。しかし、考えようでは、人生の素晴らしい真理がその中に含まれているとも言えるんだ。どうだい、この話を聞いて何か感ずることはないかね。』
(中略)
『先生、わかりました。』
『どうわかったんだ。』
『人間の世の中は、草っ原にころがっている大理石のようなものです。』
『うむ。』
『その中には、女神のような美しいものがちゃんとそなわっているんです。』
『うむ、それで?』
『僕たちがそれを刻みだすんです。』
(中略)
『しかし、君の鑿(のみ)はすぐ潰れてしまったんじゃないか。』
(中略)
『僕、間違っていました。僕は決して潰れない鑿になるんです。』
『しかし、潰れない鑿なんて、あるかね。』
『あります。』
『どんな鑿だい。』
『それは、先生がさっきおっしゃったように、信ずることです。自分が努力さえすれば、それだけ世の中がよくなると信ずることです。』
『うむ、その通りだ。人間の心の鑿は、彫刻家の鑿とはちがって、そうした信の力さえ失わなければ、決してつぶれるものではない。いや、堅いものにぶっつかればぶっつかるほど、かえって鋭くなっていくのが、人間の心の鑿だ。むろん、人間には過ちというものがある。また、自分のせっかくの真心が通らないで、かえってそのために侮辱を受けることもある。それは春月亭で経験したとおりだ。過ちを犯せば悔みたくもなるだろうし、侮辱を受けたら腹もたとう。しかし、それはそれでいいんだ。そのために信の力がくじけさえしなければ、後悔の涙も怒りの炎も、そのまま素晴らしい力となって生きていくんだ。』」

さまざまありますが、もう一つだけ。
師と仰ぐ朝倉先生の送別会で、次郎が朝倉先生の奥さんとのエピソードを発言した後、奥さんの話。
「『次郎さんが、いつか私に、どなたにも秘密だとおっしゃって、こっそり見せていただいたお歌をすっぱぬくことにいたします。それは、こういうお歌でございます。』
そう言って夫人はつぎの歌を二度ほど繰り返した。

われをわが忘るる間なし道行けば硝子戸ごとにわが姿見ゆ

それから、また言葉をつないで、
『次郎さんは、このお歌は、白鳥会の精神とまるであべこべな心の秘密をうたったもので、人に見せるのは恥ずかしい、とおっしゃいました。なるほど一ときも自分を忘れることができないということは恥ずかしい事でございます。けれど、考えてみますと、たいていの人は、そんな人間でございます。そして、そんな人間でありながら、そのことに気がつかないで、いい気になっているものでございます。それこそなお一そう恥ずかしいことではございますまいか。私は、次郎さんのこのお歌を拝見いたしましたときに、はっとそのことに気がついたのでございます。』」

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 日本文学
感想投稿日 : 2013年6月25日
読了日 : 2010年11月22日
本棚登録日 : 2013年6月25日

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