再審決定の報道に再読。以前読んだときは「事実」の重みに圧倒されてしまい、それ以外の印象が残っていない。犯人とされた人は冤罪の疑いが濃厚であること、そして何よりも「エリートOL」が安い売春婦として夜毎街角に立っていたという異様さ……今思えばやはり野次馬根性を大いに刺激されていたのだと思う。
再読したら、どうにも耐え難く思うことが目について、うつうつとした気持ちになってしまった。いったい何の権利があって、私はこの人達の個人的な事情をつぶさに読んだりしているのだろう。被害者の女性はもちろんのこと、被告の男性やその周囲の人たちの、どう考えても人には知られたくないことを、どんな大義名分があって知ろうというのだろう。
著者はルポライターなのだから、これは「仕事」だ。被告の冤罪を晴らそうとして支援もしている。それでもなお、これはないだろうと思わずにはいられなかった。被害者の妹の行動を尾行までして調べ、家族間の軋轢を想像で書く。裁判に出廷した証人についての個人的な印象を「風采の上がらない」などと繰り返し実名と共に書く(何と多くの人がここで実名を曝されていることか!)。
最も抵抗を感じたのは、殺された女性への勝手な思い入れだ。安吾の「堕落論」を持ち出して彼女の「大堕落」と世間の「小堕落」を対比させたり、妙な「聖性」を付与したり、いずれも安易で、しかも根拠がない。これは酷い。
被害女性はまず間違いなく精神を病んでいたのだろう。彼女の考えていたことはわからないが、この世で安息を感じられる機会が永遠になくなったことを悲しく思う。
- 感想投稿日 : 2012年6月20日
- 読了日 : 2012年6月20日
- 本棚登録日 : 2012年6月20日
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