晩鐘

3.29
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本棚登録 : 123
レビュー : 14
著者 :
たまもひさん 日本の小説   読み終わった 

愛子先生九十歳にしての新作長篇。一気に読んだ。胸を射るのは、戦後遅れて味わった青春への哀切な回顧と、老境に至った今の切々とした孤独感、寂寥感である。

「オール讀物」に目を留めることもなくなっていたので、連載をまったく知らず、この新刊は広告で見てびっくりした。エッセイの連載も終わりにされていたので、新しい小説を読むことはもうできないと思っていたから。長年のファンとしては本当に嬉しかった。そして内容を知り、さらに驚く。元夫の田畑氏については、なんども書いてこられたのだ。なぜ今またこれを?

読み終えた今は、これはある種の覚悟なのだなと思う。親しかった人たちは皆亡くなり、過去の記憶を共有する人はもういない。あの時はああだった、こうだったと言い合うことはもうできない(長生きするとはそういうことだと繰り返し語られている)。自分が世を去れば、あっけなく夢まぼろしのように消えていくであろう、過去の出来事や人々の記憶を、書くことで確かめたいという強い思いを感じた。

著者がたどり着くのは「人間は結局わからない」という静かな諦念である。どれほど親しかった人でも、自分自身でさえ、ついに理解することはできないのだと。その象徴が、夫であった田畑氏(作中では畑中としてある)なのだろう。人を惹きつける不思議な魅力を持ちながら、簡単に人を裏切り、何事もなかったように平然としている。著者は負わなくていい借金をあえて背負い、怒濤の人生を送ることになる。誰もが、どうして?と聞き、いろいろ答えてはきたものの、ここにいたって「わからない」というのである。「それがわたしという人間なのだ」という述懐が、重い。

最後のほうで、小学生だったお嬢さんが書いたノートの内容が出てきて、ここにわたしは泣きました。愛子先生の悔いの深さが思われて、心が痛くてたまらなかった。自らを「あらくれ」と言う先生は、その実、人一倍情の濃い人だ。がむしゃらに働きつづけ、わが子を顧みることができなかった日々が、いまだに先生を苦しめつづける。

最初の結婚が破綻したとき、先生は幼かった子供を置いて婚家を出てきた。その子との別れの時、ふと見た子供の靴が汚れていた。「そのことが長くわたしを苦しめた」と書かれていた(「幸福の絵」だったように思う)のが忘れられない。子供は無心であるがゆえに不憫なのだ。取り戻しようがないという気持ちが胸に突き刺さる。

刊行時に文春に載ったインタビュー写真で見る愛子先生は、以前と変わらずシャキッと背筋が伸びた姿で、気品と気概が伝わってくる。遠藤周作さんが「マドンナだった」と言った美貌も健在。驚異的だ。

レビュー投稿日
2015年2月24日
読了日
2015年2月24日
本棚登録日
2015年2月24日
6
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