〆切本

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本棚登録 : 1334
レビュー : 128
たまもひさん アンソロジー   読み終わった 

〆切に関して作家には「井上ひさし型」と「村上春樹型」がある。なーんて、今思いついたんだけど。このお二人はそれぞれ「遅筆→〆切破り(どころか結局書けないことも)」「〆切厳守←いつも早く原稿を渡す」ことで知られている。話として面白いのは、当然ながら圧倒的に前者だろう。

本書には実に89人もの(たぶん。「著者紹介」で数えた)方の、〆切にまつわるエッセイやら葉書やらマンガやらが収録されているが、何と言っても〆切に苦しむ(または編集者として苦しめられる)話が多い。よくもまあ、これだけ集めたものよと感心してしまう。つらつらいいわけがましい文章が連ねてあったり、平身低頭していたり、なかには開き直っているような人もいて、気の毒なような、どこか滑稽なような。結構分厚い本だが、飽きることなく楽しんで読んだ。


田山花袋
なかなか書けないつらさを縷々述べた後に、ふと夜中などに興が湧いてきて筆が走るときの気持ちが綴られている。
「筆が手と心と共に走る。そのうれしさ!その力強さ!またその楽しさ!」「心は昔の書生時代にかえって行っている。暗いランプの下で、髪の毛を長くして励んだ昔の時代に…。その時には文壇もなければ、T君もなければ、世間も何もない。唯、筆と紙と心とが一緒に動いていくばかりだ」
ああ、本当にそうなのだろうなと思って、文学史でしか知らない作家に親しみを感じた。

内田百閒
百閒先生、やっぱり変人である。年の瀬を迎え、あちこちに支払いをしなければならないのに、金がない。原稿を書けばいいのだが、書けない。そこで先生、奥さんの一着きりのコートを質に入れたり、知人から金を借りようと東奔西走したりする(ここでタクシーを使うところがおかしい)。結局全然うまく行かないのだが、先生いわく「やっぱり原稿を書いたりなんかするよりは、こういう活動の方が、晴れ晴れとしていて、私の性に合うと思った」だと。まったくもう。

野坂昭如
原稿の〆切が集中している上に、テレビ出演やら対談やらいくつも重なり、どう考えてもムリだというときに、これはもう天の配剤としか言いようのないタイミングで事故に遭い骨折して、そのおかげで原稿が書けたことがあるという。しかも二度も。野坂氏、「怪我することを潜在的にのぞんであるのではないか」と我が身を顧みていて、まあ実に壮絶である。笑っちゃうけど。

川端康成
代表作とされる「禽獣」は、「編集者への義理からどうしても書かねばならぬ小説の〆切が明日に迫り」「やけ気味」で「書きなぐった」ものだと書いている。「編集者の私の作品に対する愛情が感じられ、その義理に追ひ迫られないと、絶対に書けぬといふ悪習が身にしみてゐた」とも。ノーベル賞作家にして、そうなのだなあ。

山口瞳
「なぜ?」と題されたこの一文は読んだことがあり、よく覚えている。著者が雑誌の編集者であった頃の、三島由紀夫の思い出が綴られている。三島由紀夫は「村上春樹型」だったらしい。淡々とした一文は、「私は、三島さんという人が好きだった。感じのいい人だった。」と結ばれているが、そこには言うに言われぬ複雑な思いが沈殿しているように思われる。こういう文章を久しく読んでいないなあと思った。

森博嗣
この方は「村上春樹型」の最右翼。タイトルはずばり「何故、締切にルーズなのか」。〆切に遅れることを当然のことのように考える出版界の「非常識ともいえる不合理さ」を「とんでもない悪習」として舌鋒鋭く批判している。「こんなビジネスが、ほかにあるだろうか」と言われれば、お説ごもっともで、まったくその通りなのだが…。〆切より早く書く作家はなんとなく軽んじられるということも、「村上春樹型」の複数の方が書いていて、それはまったくおかしな事だとは思う。思うのだが…。やっぱり単純な「ビジネス」じゃないってことでは。

車谷長吉
「村の鍛冶屋」と題したこの一文が一番心に残っている。子どもの頃、近所の鍛冶屋の前で「村の鍛冶屋」という唱歌を歌ったら、そこの親爺さんに「こらっ、糞ったれめが」と怒鳴られたそうだ。原稿が売れるようになってからの日々は、「鍛冶屋が絶えず耳もとで『村の鍛冶屋』を歌われているような、何か居たたまれない、生の中味が流出して行くような時間であった」と書かれている。「文学は私にとって『魂の記録』であっても、編輯者にとっては『商品』である。併し、長い間、出版社の人に原稿を売り続けて来たのは、私である」とも。〆切は「商品」となる原稿だからこそあるもの。割り切れなさはそこから来るのだろう。

レビュー投稿日
2017年2月20日
読了日
2017年2月20日
本棚登録日
2017年2月20日
3
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