ガラスの街 (新潮文庫)

3.63
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本棚登録 : 794
レビュー : 83
制作 : Paul Auster  柴田 元幸 
水上さん 海外   読み終わった 

1985年の小説。クィンというミステリー作家が主人公で、ある間違い電話の依頼を受けてしまったことで物語が展開していく。このクィンという男は妻子を亡くしており、かつては文学を志していたものの今ではすっかり大衆的なミステリの商業作家として生きている。そんな彼が、あたかも別の人格になりきるかのように「ポール・オースター」のふりをして探偵を引き受ける、という物語。

おそらく約10年ぶりの再読。10年くらい前のわたしはオースターが大好きで、夢中になって読んでいたのだけど、「ティンブクトゥ」以降心が離れてしまい、ずいぶんご無沙汰してました。で、今回久しぶりに読み返してみて、こんな本だったっけ?と驚いてしまった。内容をほとんどまるで覚えていないにも関わらず10年前の自分が何に惹かれて、どう読んでいたのかはなんとなく推測できる。そういう不思議な感触の読書になった。

今回読んでみて、やっぱり素直にものすごく面白いなあと思った。虚無感、狂い、それらが全て極めて魅力的に描かれている。人生に絶望し、生きることそのものをどこかフィクションの役割を演じているかのような距離感で持ってみてしまい、そしてさらなる狂いを呼んでいく様子からは、現実を生きるためにフィクションを必要とする人間の痛切な実感が伝わってくる。フィクションが現実を侵食していき、自分の輪郭が曖昧になっていく様も含めて、彼の小説は徹頭徹尾「フィクション」の地位についてのものだと思う。のちにより詳細に展開される、オースター作品の小説的な御都合主義を超えた「偶然性」の用い方もそこに関わってる。わたしはそういうものにかつて強く惹かれていたのだった。今も好きだなと思ったし、きっと虚構と現実の二重性に対する感性を持ったものがわたしは一生好き。かつて愛したものを思い出せてよかった。

が、今回読んでみて思ったのが、オースターの描くのはデビュー作から一貫して「妻子を失った男」、要するに「かつては持っていたが失ってしまった」人間なのであり、初めから持っていない人間の物語ではない、ということです。オースターはこの小説を「妻と出会っていなかった自分」を想像して書いたと言っており、結婚して、この『ガラスの街』が出た当初はそうでもなかったにしろのちには文学的成功もおさめる男が、「妻子を失い文学的成功もなしえず発狂する男」の物語を描くというのは、なんだかかなり嫌味なのではと思ってしまった。嫌味というか、「持ってる側」のナチュラルな傲慢さというか。切実さを感じる作品であることも確かなのですが、まあ意地の悪い見方をすれば結局のところコロンビア大卒のエリート男性のシャープで都会的な憂鬱とも言えるかもしれない。そのうえでなおもこの切実さをそれはそれとして愛しているのですが、とはいえわたしはまあ意地の悪い大人になってしまった。かつて素直に感銘を受けていたところからずいぶん遠くに来たな、と。

レビュー投稿日
2019年2月5日
読了日
2019年2月1日
本棚登録日
2019年2月1日
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