喪失の物語を書かせればフィツジェラルドは抜群に上手い。
レイモンド・カーヴァーは生活に密着した日常のなかで朽ち果てて何かが駄目になっていく過程でもって「喪失」を描いていく。
が、フィツジェラルドの小説は獲得した末に失われた何かを書く。それは繰り返されることのない過ぎ去った日々や、得ようともがく力や得られずに生まれた悲嘆や懊悩の感情、あるいは得てしまったために二度と戻らない美しい何かである。
「喪失」の輪郭を丁寧になぞることで哀しみが増す。どれを読んでもちょっと哀しい。
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カテゴリ:
小説
- 感想投稿日 : 2015年10月25日
- 本棚登録日 : 2015年10月24日
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