間宮は催眠を施すにあたり、ひとりの人間のもつ属性をひとつひとつ引き剥がしてゆく。
『おまえはだれだ?』と問いかけ続ける。
人間は、他者からのまなざしによって作られた自己像を持つことで自己を自己として認識している。
まずはそれぞれが社会の内で与えられ、演じる役割によって自己同一が保たれる。職業、住所、年齢、出身地、性別、名前。
人間はことばでラベル付けされていることで自己の自己性を他者に示すことが出来る。
『おまえはだれだ?』という問いかけによって間宮は、これらのことばの世界、ラカンのいう象徴界の領域をひとつひとつ抜き取ってゆく。
『本当の自分』に辿り着くことは困難である。
人間から付随する属性を取り除いてゆくと、タマネギの皮を剥いてゆくように最後には何も残らなくなってしまう。
間宮は自分の名前や、経験したこと、それらすべての記憶が無い。
それらを記憶しておこう、自分に繋ぎ止めておこうという執着もみられない。間宮は自己が空洞化した人間である。
ただの狂人のようだが、崇高な、人間を超越した聖人のようにも見える。
何者でもないものは、何者でもないが故に何者にもなれてしまう。
間宮は自己が揺らぎ、社会的なラベルを抜き取られ、抑圧されている無意識の層に沈む人間の、抑圧された欲望を写し出す鏡のような媒体となり、深層に書き込まれている欲望を操作し書き換えてしまう。アンカーというある行為における発火装置のようなもの、そしてトリガーというアンカーを発動させる引き金となるものを設定しプログラムする。するとプログラムを書き込まれた人間はその後トリガーと出会うことにより、その書き込まれた内容の行為を、意識しないままに行ってしまう。
ことばの世界に棲まない、深層に語りかけ、深層に引込もうとする間宮と対話するものは、自己の無根拠さ、脆弱さを露呈する。
間宮にはそれらの行為を行うための目的が存在しないように描かれている。なぜそれをするのか分からない恐怖。社会は沈黙・虚無を好まない。ひとは意味の不在を恐怖する。
- 感想投稿日 : 2010年8月26日
- 読了日 : 2010年8月26日
- 本棚登録日 : 2010年8月26日
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