学問のすゝめ (岩波文庫)

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著者 :
ntさん 哲学・思想   読み終わった 

教科書に載っていて(特に冒頭の一文を)誰もが知っている、この一万円札の人の名著、初めて全編読んだ。私のようにあまり古文が得意でなくても十分理解できる文章。
人は生まれながらにして貴賤、貧富の別なし、と断定するこの思考は、古日本的な、共同体や世間=世界=社会と分離し得ないものとして規定された主体の未分化状態から、「独立」したものとして「人間」を取り出そうとしているように見える。このような、西欧式の「人間」の発明は、それまでの日本には全く無かったというわけでもなかろうが、明治初期=近代の曙において言説が出版され、極めて広範な層に渡って読まれたという事実は、やはり歴史上非常に重大なできごとであったろう。
福澤諭吉は何よりも「国の独立」を案じていた。それは時代の空気であったに違いない。
日本は幸運だったのか、国土に誰も魅力を感じなかったのか、古来占領されたことはなくもともと「独立」していたものだったが、鎖国が解かれ凄まじい勢いで「西洋文化」が流入し、突如大洋の中に投じられた者のように「日本」が認識された当時の状況が、こうした言説を生んだものと思われる。
国が「独立」しなければならない、という焦燥感が、ただちに「個人」が独立しなければならない、という説諭に転じる。
おもしろいのは、人を裁くのは政府の領分であり、仇討ちなどのような「私裁」は非難されるべきである、忠臣蔵などもってのほかである。そのように「個人」のテリトリーと「政府」のテリトリーは区別されるべきであって、それが「国民と政府との約束」だ、という考え方。
近代法治国家の原思想みたいなものだが、このようにして国民(個人)は保護され・制限されつつ、学問を身につけることで独立し、ひいては国家の独立をまっとうすべし、というのが福澤の思想である。
この本に鼓舞されたような形で、つまり西洋的に「人間の独立」がその後進んだのかというと、現在の日本を見てもどうやら怪しい。「日本的体質」はやはりそういう方向には激変しなかった。
「個人の自立」は、現在はただ消費社会・情報過多社会によって「みんなバラバラ」「価値観が多様な無縁社会」「病んだ個人の急増」というかたちとなって、皮肉にも実現しているにすぎない。
病んでいない面においては、会社もお役所も政治も、どこか「個人の独立」とはちがう空気をはらんでいる。
たとえば以前、たまたま見た「ショムニ」という変なTVドラマの最終回でOL(江角さん)が「会社は社員のためにあるのよ!」という不条理で奇怪な、反-資本主義的な決めぜりふを発したとき、私はかなりの衝撃を受けたのだが、このように社員=個人がいつまでも会社=共同体に依存し続けているというところが、あまりにも日本的な世界観なのだ。
そういうわけで、福澤諭吉が論じた「独立」論はついに完徹されなかった。だから、今読んでみても古びていないのだとも言えるだろう。

レビュー投稿日
2011年9月11日
読了日
2011年9月11日
本棚登録日
2011年9月11日
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