未開社会の思惟 下 (岩波文庫 白 213-2)

  • 岩波書店 (1953年10月5日発売)
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1910年刊。本書は初期人類学の古典として有名で、各方面に大きな影響を与えたものと思われる。
しかしこの頃までの人類学的概論につきものの、文化に対する、西欧優越主義的な価値尺度がやはり目につく。各地の「未開社会」に対し「劣等文化」などと呼んでいるし、ヘーゲル流の進歩史観から脱却できていないようだ。
「土人」「原始人」などという呼称は、現在の人権感覚からは用いられない語だが、1953年という古い和訳のせいでもあろう。
レヴィ・ブリュルは「未開社会」を概括的に扱いながら、それらを軽蔑するようなつもりは毛頭ない、と断っており、末尾にはヨーロッパ文化には合理的な面もあるが、非合理な面もあり、その点で、「未開社会」と必ずしも断絶してはいない、と指摘して終えている。
けれども、「未開社会の思惟」をしきりに「神秘的」と形容している。「神秘的」などというのは、あくまでヨーロッパ人がこれらの思考法に接したときに覚える感覚(主観)にすぎず、「未開社会の思惟」に「神秘」の概念があるわけでは決してない。だからそれを「神秘的」と呼んでみたところで、何も解明されはしないはずだ。分子構造を「神秘的」と呼んでみても、何も理解したことにはならないではないか?
ただ、未開社会の心性について「集団表象」という概念を持ってきたところは秀逸だ。この概念は、定義からいって、吉本隆明の「共同幻想」と同じである。
残念なことに、レヴィ・ブリュルは結局、ヨーロッパ的思考もまた、「集団表象」のかたまりであると気づくに至らない。世界各地に分布する「未開社会の思惟」が「集団表象」にもとづく「前論理的」「神秘的」な心性である、と言って驚くのはつまるところ一方的な受け止め方にすぎない。ヨーロッパの方こそが、異常な文化なのだ。
ヨーロッパ人が後生大事にはぐくんできた「精神」「理性」「論理」といった概念こそが、「神秘的な集団表象」でなくてなんだというのだろう。
1910年という時期を思えば、レヴィ・ブリュル個人が悪いわけではないと納得できるのだが、まもなく世界大戦の経験という、ポール・ヴァレリーが「ヨーロッパの危機」と考えた衝撃的事態を経て、ようやくヘーゲル的西洋中心主義史観は終わりを遂げるはずだ。
そして、そのあとから、人類学の新時代が始まるのである。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 人類学・民俗学
感想投稿日 : 2014年1月19日
読了日 : 2014年1月19日
本棚登録日 : 2014年1月19日

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