ニセ札つかいの手記 - 武田泰淳異色短篇集 (中公文庫)

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レビュー : 6
著者 :
ntさん 文学   読み終わった 

 武田泰淳も、私がかつて「はまり」、読みあさったお気に入りの小説家である。これは、彼の異色の短編を集めた本だ。
 武田泰淳は「戦後派」の「代表」の一人と見なされているが、私の感覚では彼は特異なアウトサイダーで、「文学史」からはこぼれおちるに違いない「変な作家」である。『富士』を読んでも『快楽』を読んでも、彼の書く小説にはあまりリアリティが無いし、逸脱も多く、何よりも「未完の作品」が多いことから、彼が「きっちりと書く構成家」ではないことを証している。
 奔放に物語をつづりながらも、独特の「重さ」を失わないのは、ちょっとした描写に「人間」についての確かな観察眼が感じられ、これは一級の文学者である証拠であって、三流の小説には決して存在しない物だ。
 私は武田泰淳は、その「得体の知れない不気味さ」において、どことなく深沢七郎と通じるものがあると思っているのだが、この親近性を探っていけば一冊の本になるだろう。
 武田泰淳の世界は、意志や精神性よりも「運命」、生と死とが違和なく結びつくような「無」の境地、善悪や倫理を超えたどう猛な生、などといった要素に満ちあふれており、それらの点が、たぶん、深沢七郎的世界とつながっている。
 ただし、武田泰淳の方はもっとえげつない。まるで「溜まってる童貞の白昼夢」のように、突如ポルノグラフィの場面が出現したりもする。
 この短編集で言うと、「「ゴジラ」の来る夜」(S34)にそんな場面がある。何の必然性もなく美女2人が宴会でストリップショーを始めるのだから、わけがわからない。このらんちき騒ぎは『富士』のクライマックスシーンに似ている。泰淳のえがきだす「物語」にはこのように意味がない。あるのはどう猛きわまりない、盲目的な生のうごめきだけだ。「透明なゴジラ」=核兵器=無差別で無意味な殺戮。この短編の主題は泰淳の暴力的な側面を象徴的に表しているのではないか。
 武田泰淳は女性というものを「精神」をもった存在として認めていなかったのではないか、と私はいぶかしんでいたが、「白昼の通り魔」(S35)では女性の独白調を採り、なかなか印象深い物語をえがくことに成功している。これはこの短編集の白眉だ。
「ニセ札つかいの手記」「誰を方舟に残すか」には武田泰淳の不気味な倫理観がよく出ている。それの感触は深沢七郎のとは微妙に違って、黒々と粘着的である。

レビュー投稿日
2013年3月3日
読了日
2013年3月3日
本棚登録日
2013年3月3日
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