増補 普通の人びと: ホロコーストと第101警察予備大隊 (ちくま学芸文庫 (フ-42-1))

  • 筑摩書房 (2019年5月10日発売)
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 原著初版1992年、あとがきを加えた第2版が1998年、更に「25年の後で」という文章が2017年追加された。
 ナチスのユダヤ人大虐殺を扱った著書として非常に有名で、いろんなところで言及されており、とりわけ社会心理学系の本にはあの有名なミルグラム実験と共に、よく引用される。
 普通に善良なドイツ市民が無残な虐殺を行ったというテーマで、それはハンナ・アーレントの「凡庸な悪」というテーマにも隣接しそうだが、本書を通じアーレントへの言及は全く無い。
 歴史上の限定的なプロセスについてのルポルタージュになっており、中心的に記述されるのは、30代から40代の至極普通のドイツ男性の寄せ集め500名ほどで編成された「第101警察予備大隊」が、ポーランドにおけるユダヤ人虐殺を遂行する経緯である。歴史上の事実をたどりながら、考察は当然心理学的な部門にもまたがってゆくだろう。
 ポーランド内の様々な街をたどってユダヤ人たちを銃殺していく。労働力になりそうな男性の一部は労務のほうに送り込まれるが、病人・老人・女性・子どもたちは即刻射殺される。隊員たちは当初殺人行為にかなりの抵抗感を持つが、作戦が重ねられるにつれ次第に麻痺してゆくようだ。より効率的に・殺戮者の心理的負担も減らすべく、ガスで一気に殺す絶滅収容所に送り込むようになるが、それでも、大量射殺行為は延々と続く。何百人、何千人と一気に殺され、その数字を見ていく内に読んでいるこちらも麻痺していく。
 この大隊の司令官はヒューマニスティックな人物で、殺戮に当たって涙を流したりする。隊員の1割ほどは「こんな仕事は私には耐えられません」と申し出てそれが意外にも許され、別の任務に回されることがあったようだ。変に真面目な日本軍なら決して許されなかったろう。
 大量殺戮の行われた日の夜は隊員に酒がふるまわれ、みんな大いに飲んで思考を麻痺させた。考えこむ隙を与えず、機械的な作業を続行させるのである。
 著者の解釈によるとこの大隊に属するドイツ人たちはもともと、反ユダヤ思想に染め上がった人々ではないのだが、命令に従う組織集団として、黙々と虐殺を実行していったのだった。先述のように良心の責めに我慢できず作戦から外してもらうことも可能だったのだけれども、状況的に、自分が殺人に参加しなかったとしてもそれでユダヤ人の命が幾らか救われるわけではなく、単に自分の担当する殺人行為を他の仲間に押しつけるだけになるので、いろいろ計算してみて結局多くの者は粛々と虐殺をこなしていったらしい。ちなみにユダヤ人だけでなく、丸腰の一般のポーランド人も相当数射殺されている。
 殺戮に嬉々として・快楽を感じつつ参加したのは、本書中ではたった一人の士官だけであり、こういう心性の方が例外である。だが、ほとんどの隊員が膨大な射殺を行ったことに変わりはない。
 著者の考察によると、当時の一般的なドイツ人の多くは、反ユダヤ思想に洗脳されていたわけではなかった。ナチスによる障害者や老人、そしてユダヤ人の殺戮が始まった時、そのことに気づきながらも、多くのドイツ市民はユダヤ人たちの運命に「無関心」を決め込んだ、というのが著者の分析だ。この冷淡な「無関心」こそが、ナチスの傍若無人な悪行を支えたのである。日本人も国政選挙に当たって無関心による沈黙を守ったり、なんだかんだ言い訳をしながら敢えて投票を棄権したりするような人間が多く、それは特徴ある日本の「あきらめ」の文化傾向の現れでもあるが、このような層こそが、政治の悪を支えているのだと気づく者は少ない。「朝鮮人皆殺し」などと書いたプラカードを掲げてデモが行われても、それを全然取り締まらないのが日本である。どこかで一歩すすめば、虐殺が繰り返されるだろう。日本の近年の中央官僚たちが文書の改ざんや隠蔽を大々的に行って悔いず、一方良心が咎めて自殺した同僚に対しても平然として鉄面皮を決め込む状態も、ある意味、野蛮な時代の到来を証明している。
 本編の最後に、著者はこう書いている。

「すべての現代社会において、生活の複雑さ、それによってもたらされる専門化と官僚制化、これらのものによって、公的政策を遂行する際の個人的責任感覚は希薄になってゆくのである。ほとんどすべての社会集団において、仲間集団は人びとの行動に恐るべき圧力を行使し、道徳的規範を制定する。第101警察予備大隊の隊員たちが、これまで述べてきたような状況下で殺戮者になることができたのだとすれば、どのような人びとの集団ならそうならないと言えるのであろうか。」(P.304)

 史実を具体的に記述しつつ、人間性についての極めて重大な疑惑を思索させる、やはりこれは優れた書物であった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 歴史・宗教・地理
感想投稿日 : 2021年12月30日
読了日 : 2021年12月30日
本棚登録日 : 2021年12月30日

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